選択
「っ痛」
冷やしたタオルをそっとあてられて、恭介は痛みに顔をゆがめた。
切れた口の血はすでに止まっていたが、殴られた頬はさらにひどく腫れている。
「何回殴られた」
「二回」
答えるとつらそうに風見は顔をゆがめた。
「でも、大丈夫です。明日には腫れもひきますって」
傷ついた自分以上に辛そうな風見を励まそうと恭介は、わざと明るくそう答えた。
「痛いのはお前なんだから気を使うな」
風見はそう言って、恭介の隣に腰を下ろす。
部屋に戻って光の下で恭介を見た風見は、あまりの姿に絶句した。ドレスは散々、切り裂かれ、すでに服としての機能を果たしていなかった。口の端は切れていて、血がこびりついており、かなりの力で殴られたことを物語っていた。
風見は着替えを手伝い、バイ菌がはいるからと口の端を消毒した。
消毒薬は切れた傷にかなりしみたようだった。
「大丈夫か」
「痛いですけど、大丈夫です。結局、殴られただけだし」
そう言って恭介は自身を抱きしめると身を震わせた。何もされなかった。でも、身体を触られ、男だとわかったのにそれでもやめてもらえなかった。怖かった。
風見さんたちが来てくれなかったらどうなっていたか。
風見は腕を伸ばすと隣に座る恭介を抱きしめる。
「風見さん」
「こんな目に合わせたくなかった。守っていたつもりだったのに、守りきれなかった」
さらに抱きしめる腕に力を込め、風見は恭介の肩に額を付けた。
恭介は風見が泣いているのかと思った。声も出さず、涙も見せずに。
「風見さん。俺なら大丈夫ですって」
俺のことで哀しまないで欲しいと恭介はわざと明るく答える。
それに風見は首を左右に振った。
「ごめん」
謝る風見の背に恭介は腕をまわした。風見が自分自身を責めているのがわかり、それが自分のせいだと思うと心が痛い。
「怖かったのは本当です。でも、助けに来てくれた。何かされる前に」
この人は俺が一番つらい時、いつもこうやって助けてくれていると恭介は思った。あのまま凌辱されると思った瞬間、脳裏に浮かんだのは風見さんだった。風見さんに助けて欲しかったのかもしれない。いつも守ってくれていたから。
「結局、恭は傷ついた」
恭介はくすりと笑った。
「あなたは俺を甘やかしすぎです。大体、俺が自分で自分を守れなかっただけで、あなたのせいじゃない。それでも助けてくれた。俺はそれが嬉しいんです」
「恭、それでも俺は、お前を何物からでも守りたい」
いつも大人な風見さんが今日はなんだか子供もように駄々をこねていて、恭介はなんだかおかしくなった。
巽の肩口を手で押して少し身体を離す。風見と瞳が合った。目が赤い気がする。恭介は風見の目に顔を寄せると目尻に唇をつけた。
「恭」
驚いた声の風見に恭介は唇を離す。
「俺のために泣かないで」
いつもと立場が逆だと恭介は思う。いつもは俺が慰められているのに。
「俺、風見さんが好きですよ。風見さんと同じ意味かはわからないけど。側にいたいって思うし」
風見は恭介を抱きしめた。かすかに腕が震えている気がする。
「もういいよ。恭。ありがとう」
「自分でもよくわからないから、また、あなたを傷つけるかもしれない。このままあなたと同じ好きにならないかもしれない」
言っておかないと。今言っておかないと、きっと後で悔やむことになる。
「でも、あの時。もう駄目だって思った時、浮かんだのは風見さん、あなただった」
恭介は抱きしめられたまま風見に告げる。
この感情の名前はわからない。よく本にあるように胸が高鳴るとか、雲の上にいるようだとかそういう感じではない。ただ、この人の側にいたい。ここにいるのが一番安心で、嬉しいと思う。
抱きしめた腕を解いて、風見は恭介を見つめた。ひどく思い詰めた真剣な眼差しが恭介の瞳をまっすぐに射た。
「キス…してもいいか」
風見の言葉に恭介は一瞬息を飲み、逡巡する。その様子に風見は瞳を伏せ、身体を離した。
その腕を恭介はとっさに掴む。
「風見さん」
囁くように名を呼び、恭介はゆっくり頷いた。
驚いた顔をした風見が恭介の肩を抱いた。恭介は風見の瞳を見つめている。風見の顔がスローモーションのように近づいて、風見の唇が恭介のと重なった。恭介の身体がかすかに震えたのがわかったのか、風見はそのまま恭介を愛しげに抱き締め、そして、さらに深く口づけた。