運命の流転(1)
ダンスが終わって、月嶋と二人でたわいない話をしながら恭介はやっとパーティーを少し楽しんだ。肩の荷が下りて、気が少し楽になったからかもしれない。
月嶋と話をしていたら、唐突に後ろから、
「月嶋さん」
生徒会役員が月嶋に声を掛けた。
「ちょっと、来てもらえますか」
「何か問題が?」
答える月嶋をちらりと見て、聞いてはまずい気がした恭介は、二人が話しているのから少し離れた。呼びに来た生徒会役員は文化部担当の2年だ。
顔見知りだが親しいわけでもない。なにやら小声で二人は相談している。
しばらくして
「わかった」
と声がし、月嶋が恭介に歩み寄る。
「恭介、ちょっと行かないといけないようだ」
「なにかあったんですか」
「まあ、大したことはないんだけどね。行ってくるから、ここで待ってて」
何があったかの答えは返らず、月嶋が告げた言葉に恭介は頷く。にっこりと月嶋は微笑み、生徒会役員と連れだって出て行った。
それを見送って、ほっと息を吐く。なにか少しひといきれに酔ったようだし、疲労も感じて、恭介はホールの大きな窓からバルコニーへと出た。
冬の夜風が身体の火照りをさます。
大きく息を吐いて、恭介は周りを見渡した。ホールのバルコニーからは階段が続いており、外へと出られるようになっている。建物の前に広めの芝生の庭が広がっていたが、その向こうは木々で覆われていた。木々は闇に黒々とそびえ、ざわざわと音を立てている。
ここも林になっているのか。どれだけ広いんだこの学校は。
恭介は誘われるようにバルコニーから伸びる階段を下り、芝生に降り立った。
風が木々をざわめかす音が流れて行く。
ぐるりと芝生を囲む木々を見渡した。かなり高い木が夜空を貫き、風に身を揺らす。
少し寒いか。
恭介は腕で身体を抱く。帰ろうかと思ったら、木々の間に何かが見えた。
なんだろう。
興味をそそられそちらに歩いていく。木々を抜けてさらに奥へと進んだ。建物の灯りが後ろになり、林の陰に隠れる。
「湖」
林が切れると湖畔が現れた。闇をうつして黒々と湖面がうねる。月の光が湖面に光を投げかけ、さざ波が立つたびに光の筋が揺らめく。
「すごい」
見渡す限りの水面に圧倒された。
敷地に湖までもつとは、呆れるのを通り越して感動してしまう。
湖を渡る風がドレスをはためかせ、さすがに寒くなってきた。
戻ろう。
思って向きを変えると足音が聞こえた。自分の他にもこんなところまで散歩に来る酔狂がいるのかと思ったら、木々の間から3人の少年が出てくるのが見えた。
全く見覚えがない。年は変わらないくらいだが。
「お嬢さん、一人でこんなとこで何しているの」
一応正装しているもののなんとなく荒れた感じのある少年が声を掛ける。
お嬢さん・・・。
「さっき、めだつ連れと踊ってた娘だよね」
月嶋さんを知らない。うちの学校の生徒じゃない!
恭介のことを知らなくても―大体今日はこんな格好だし―月嶋を知らない学園の生徒はいない。寮長で生徒会長なのだから、ありえない。
三人はにやにやしながら、寄ってくる。
「迷子?俺たちが送ってやるよ」
三人に取り囲まれてしまった恭介はどうするか思案していた。それが、怯えていると取られたのか、さらに近付いて一人の少年に腕を取られた。
「なんか勘違いしているようだけど、俺、男なんだけど」
どう見ても少女だと思われ絡まれていると考えた恭介はとりあえず訂正してみる。
三人はこのセリフを鼻で嗤った。
「そんな冗談だれも信じないよ」
「そうそう、脱がせてみればわかるしさ」
そういう意味で取り囲まれていることに気づき、恭介は舌打ちした。
思いっきり腕を振って、掴まれている手を振り払うと走り出す。
しかし、靴がいつもと違って地面が強く蹴れず、ドレスがまとわりついて、スピードがでない。
少年たちは獲物を追う。
「おっと」
たいして、進めないうちに再度腕を掴まれ、その勢いで恭介は地面に倒された。
残りの二人が起き上がれないように押さえつけた。
「可愛がってやるって言っているんだから、おとなしくしろよ」
「ふざけんなっ!離せよ」
押さえつけられた腕を振りほどこうと恭介が暴れだす。
しかし、ここでもドレスが邪魔で押しのけられない。
「そんな言葉使っても騙されないぜ」
のしかかってそんなことを言うが、声でわかれと言ってやりたい。
顎を摘まれ、唇が寄せられるが、思い切り横を向く。唇が頬に落ち、ぞわりと鳥肌が立った。
気持ち悪い。
「抵抗するなよ」
言うなり、頬を思い切りはたかれた。
乾いた音が辺りに響き渡る。口の中に鉄の味が広がった。
少年は肩口のドレスを掴むと乱暴に引き下げる。布の裂ける音が夜気を震わせた。
胸の上あたりをまさぐられる。
他の二人もドレスの裾から手を入れ、太腿の内側に手を這わした。
「やめろ。はなせよ」
もがくが聞き届けられない。抵抗すればするほど相手の嗜虐心をそそってしまっている。
気持ちが悪くて、吐き気がする。
少年たちは興奮して、さらに服を裂き、恭介の肌を夜気にさらそうと躍起になっている。
「いやだ!」
「へえ。こいつ本当に男だ」
ドレスの裾から手を入れていた少年が驚いたように嗤った。
「これだけ綺麗ならどっちでもいいか。どうせ、やるこた一緒だし。やっちまおうぜ」
酔っているのか、悪辣な言葉を口にすると一斉に襲いかかってきた。
「嫌だ。やめろ」
必死に暴れ、一人を蹴り飛ばす。しかし、また殴られ、口の端が切れる。
興奮して手がつけられなくなった少年たちに牡を感じて、恐怖に身が震える。
こんな奴らの好きにされるなんて。嫌だ。絶対に。
痛みに目尻ににじんだ涙さえ、相手を喜ばすことにしかならない。
――怖い。助けて。いやだ、いや。
一気に胸元の布を引き裂かれ、脳裏に浮かんだ人の名を恭介は声の限りに叫んだ。
「風見さんっっ!」
恭介の絶叫が夜気を貫き、それと同時に、突然、瞳を焼くような強烈な光が、恭介の身体の内側から溢れだした。
時が止まったかのように、少年たちが塑像のように動かなくなる。あたりは恭介の身の内から放たれる光のみが何物にも支配されずその量を増やした。恭介以外は灰色の色彩にとって代わる。
そして唐突に3つの人影がその場に降臨した。
「何が起きた」
「かなり無理に引き寄せられたが」
現れた人影も光を放っていた。
「恭!」
叫びに応じて、恭介からあふれ出た光が人型を取った。
「おまえ、その姿」
風見は驚きに目を見張るが、その風見も光に包まれ、その背には黒い翼が透けている。
「不測の事態で封印が解けたんだ。久しぶりだな。いまは巽っていうんだっけ」
口調も声も恭介だが、いつもの恭介と明らかに違うものがそこに立っていた。
「手順をふんでないのに」
月嶋ですら驚きを隠せない。自分たちですら本来の姿が2重写しのように重なっている。月嶋は久しぶりの自身の姿に驚き、そして自身の背の白い翼に瞳をすがめる。
「で、恭介は誰を選んだんだ」
玲はいたって冷静だ。金の翼がばさりと音を立てた。
「呼んだのは巽」
自分のことなのに、まるで違う人のことを話すように恭介は言った。
「でも、選んだのかな、俺」
「どういう意味だ」
月嶋が訊く。
「不測の事態なんだって。助けを呼んだだけかもってこと」
三人は光でよく見えなかったその場の状況をやっと認識した。
「恭」
恭介にまたがる少年とそれを押さえつける少年たちが、石のように固まっている。その下で、横たわる恭介が見えた。
「くそっ。こいつら。恭介に」
低く唸るように巽が言う。
「側を離れるんじゃなかった」
自身を月嶋が責め、顔を歪めた。
「いまは時が止まっている。このあとはよろしく頼むね。それと動き出しても人間の恭介はこれを覚えてないから」
光から形成されていてもその姿も表情も恭介だ。それが、まるで違う人間のことを表現しているようで不思議な感じがする。
「なぜ。このまま記憶が戻るんだよね。いつもそうだろう。封印がとけたら、いままでの記憶が全てお前に返る」
一歩前にでた玲に恭介は笑いかける。
「正規の手順じゃないからどうかな。それに俺としては、あんまり昔のことを恭介に引きずって欲しくないんだ」
自分の姿を愛おしそうに見下ろし、光でできた恭介は言う。
「これは人間の恭介の人生だし。もちろん、恭介は俺で、俺は恭介だけど、記憶があるといろいろやっぱり困ることもあるだろうしさ」
「僕たちはどうなるんだ」
玲はさらに光る恭介に近づく。玲の姿にも光を放つ玲の姿が2重に重なっている。その幻影のような姿の背に金の翼が見えた。
「玲。昔の僕がいないと恭介には興味がないの」
「そんなこと」
光る恭介を玲は抱きしめる。その腕にやっと会えたという思いを込めて。
「大丈夫、恭介は三人のことを無意識に認識しているよ」
いつもそうだろうとその瞳が語る。
だから、三人に告白されても抱きしめられても恭介は困っただけで、不快には思わなかった。
「今回の符号は名前だった。俺たちはすぐにわかった」
「花鳥風月だったね」
4人の名前の漢字を集めると『花鳥風月』になる。いつもそうだった。必ず4人に共通な符号が隠されている。何度も何度も別れては、一緒になる4人。遥か太古から繰り返された掟。
もうどのくらい昔かもわからないあの時、翼のない者を採っために静也、玲、巽の3人は楽園を後にし、人間として生きる選択をした。そうして人間として暮らす中、恭介がともに生きる者を選ぶのが彼らに課せられた宿命。そして選べば、恭介の過去が甦る。
三人の記憶は消えない。愛しき者を守るため、ともに生きるため、彼らは最も辛い選択をした。しかし、後悔はない。
「これからどうなるのか。俺がどうするのかは俺にもわからない」
恭介は告げる。
「お前のことなのにお前の気持ちがどこにあるかわからないのか」
巽の言葉に恭介はいつもの困った笑みを浮かべた。
「わからない。それは、そこの恭介に訊いて」
「僕には怯えているけどね」
静也が自嘲気味に言う。
「静は、策略を巡らせ過ぎだ。無意識だけど、さすがに俺だってそのくらい感じてた」
「ばれてたのか」
玲と巽に告白されて、困っている状況を利用したことを感づかれていたとは。
「あいかわらず、お前には嘘は通じないな」
ほろ苦く静也は微笑う。
例え記憶がなくても、恭介は恭介だということだ。だから、三人は、恭介から目を逸らせないし、ほっておくこともできない。
「そろそろ、恭介が目を覚ます。この記憶も封印されるだろう。いつか俺が目覚めるまで」
「いかないで」
抱きしめたままの玲が囁く。
「玲。また、会えるよ。それに俺は恭介で、恭介は俺なんだから」
だんだん、光の形をした恭介の身体が小さくなる。地面に横たわる恭介へと吸い込まれているのだ。
「俺を助けて」
光で形作られた恭介はそう言うとふいと消えた。同時に、静也、玲、巽の二重うつしの姿ももとの人に戻り、止まっていた時間が流れだす。