文化祭(2)
18時に生徒会室に行くとすでに月嶋以外誰もいなかった。
17時に他校の生徒を出場させているので、生徒会の仕事も終わっているのだろう。
「来たね」
にっこり微笑んで
「片つけるからちょっと入って待ってて」
言われて、部屋に入ることになった。
二人きりだし、なんとなく様子がいつもと違うような月嶋に違和感を感じる。しかし、言葉に嘘はないようで、机の上の書類やらをそろえ、パソコンの電源を落としと片つけをしている。
恭介は手持ちぶたさに月嶋のデスクのそばまでゆっくり歩み寄る。
流れるように、机の上を片つける月嶋の指を目で追った。
「そう言えば、昼食、可愛い子と一緒だったんだって」
顔も上げずに、まるで世間話をするように月嶋が言った。
「え、見てたんですか」
急に話を振られたので素っ頓狂な返事をした。狼狽したのが気に入らなかったのだろうか、月嶋は、ちょっと恭介に視線を送った。
「『彼女がかわいい女の子と浮気してるぜ』といろんな奴に言われたんだけど」
「すみません・・・俺たち付き合っていることになってるんですよね」
芝居に付き合ってもらっているのに、確かに考えなしだった。
「楽しかった?」
恭介の言葉はあっさり無視されて、そんなことを訊かれる。
「まあ、それなりには。でも、普通っていうか。特別な感じはないんですけど」
それは、正直な感想だった。別にときめくこともなかったし、共通の話題もないから、結局、彼女が話すことを聞いていただけな感じだ。
「そうなの」
つかつかと恭介のそばまできた月嶋に見下ろされる。瞳が本当にと問うていた。
こうやって月嶋に見下ろされる方がドキドキする。おかしな話だ。
「相変わらず、迂闊だよね。恭介は」
腕を引かれ、抱き寄せられる。
「まあ、そういうこと僕に言いに来るのも物好きだけど」
声が身体を通して聞こえてくる。低音でよく響く声が淡々と聞こえるが、いつもと違う気がする。
『月嶋寮長が妬くなんてな』
羽賀の言った言葉が頭を巡る。まさかね。そんなはずはない。
考えがまとまらずにちょっと物思いに囚われている隙に、月嶋の片手に顎を掬われた。片腕で抱きしめられたまま、上を向かされ、視線が絡み合う。
「どうした?」
瞳にいらいらした光がちらついている。このところ、月嶋がこういう表情を見せることが多い気がする。
恭介の困った表情にかすかに溜息をついて、月嶋は自分の顔を恭介に近づける。
息がかかるくらい近くに寄られ、かつ抱き締められていて、さらに心臓の鼓動が跳ね上がる。
「やっぱり、抵抗しないんだね。このまま、どうされてもいいのかい」
そのまま、押され後ろに下がらされて、恭介はバランスを崩した。
会長のデスクに倒れ込んで、頭を軽くぶつけた。
月嶋はその勢いのまま、恭介の腕をデスクに押さえつけ上から見下ろした。すっかり、デスクに押し倒されるような格好になり、恭介が狼狽する。
「な、何しているんです」
声が掠れる。月嶋の瞳は恭介の瞳を捉えたままで、その瞳に浮かぶいらいらした光が強さを増す。
何も言わずに月嶋は恭介に覆いかぶさると首筋に唇を落とす。
背筋をゾクリとした感覚が駆け抜け、恭介はきつく目を閉じた。その唇がゆっくり肩口へ移動するが恭介は抵抗するわけでもなく、身体をこわばらせた。
月嶋さん、どうしてこんなこと。
「いいのかい。まさか、こんなところで、本気でやらないなんて思っていないよね」
唇を肌につけたまま言われ、身体を通って月嶋の声が響き、さらに恭介は身体を硬くした。
「抵抗しないなら、同意したと思うけど」
いいんだねと無言で問われも恭介は身体を強張らせるだけで、何も答えない。
「何故っ・・」
淡々と話すように努力していた月嶋の声が荒らげられた。恭介は瞳を開ける。
いつも冷静で、何事にも動じない月嶋が、苛立ちに声を荒らげることがあるなど恭介は想像していなかった。
視線がぶつかり、一瞬見つめあった視線を逸らしたのは恭介だった。
「静さんがそうしたいなら。俺には拒む権利はない」
そう、月嶋に否と言えなくなったのは、月嶋の部屋に入ったあの日から。唐突に悟ってしまった。抵抗できない理由。
「どういう意味」
恭介を押さえつける手が震えているのが、伝わってくる。
「おれは、静さんを共犯にしてしまったから」
視線を合わすこともできずに、恭介は呟いた。
「友人を裏切らせてまで」
月嶋がいきなり、恭介を強く抱きしめた。息もできないくらい強く抱きしめられ、恭介は瞳を閉じた。
月嶋からは激情が流れ込んでくるが、それが怒りなのか哀しみなのかは恭介にはわからない。
恭介にとっては、月嶋を自分の身を守るために利用したことがどこかでいつもひっかかっていた。そのせいで、月嶋の大切な友人二人まで傷つけた。
だから、月嶋には逆らえない。これ以上、俺のために何かを犠牲にして欲しくないから。
抱きしめたのと同じくらい唐突に、月嶋は恭介を離して、身体を起こした。
そして、恭介に手を差し出した。
その手を取って、恭介は身を起こす。
「本気じゃない。揶揄っただけだ」
いつものように、いつもの口調で月嶋は言った。
「お芝居だって言ったろう」
髪をかきあげ、にっこり微笑った。まったくいつもの月嶋がそこにいた。
「静さん」
「恭介が望むならなんでもしてあげるけどね」
いつものようにいつものセリフで。
何も言えずに立ったまま月嶋を見つめるしかできない。
それに、ちょっと寂しそうに笑って、月嶋は恭介に部屋を出るよう促した。