文化祭(1)
文化祭はやってきた。
あまりの喧騒に目が回りそうだ。いたるところに出店が並び、教室も各クラスの出し物や文化部の出し物でにぎわっている。
廊下も呼び込みの声で何がなんだかわからないくらいだ。
そして、何にもましていつもと違うのは、うちの制服姿に混ざって、色とりどりの服装の女性がいること。
「華やかだな」
呼び込みをしていてつい呟いてしまうほど、男子校とは思えない光景だ。
「そうだな」
羽賀もなんだか鼻の下が伸びていた。
お目当てがいるのかそれともこれから探すのか、女の子たちは着飾って、いろいろな展示を覗いて回っている。
恭介たちのクラスは、学ランの上にマントをはおり、学生帽という昔の学生姿で、なぜか喫茶店という出し物をしていた。いつもワイシャツ、ブレザーにネクタイだから、ちょっと新鮮な感じはするが、大正喫茶と言われてもほんとかと突っ込みを入れたくなるような中身だ。
それでも、結構、盛況でお客はかなり入っている。女性客も多いから皆やたらと大張りきりだ。
「羽賀、お前の彼女いつ来るの」
「え?」
珍しく羽賀が言い淀む。
悪いこと聞いたかと一瞬ひやりとするが、羽賀のにやけた顔を見てほっとする。
「午後かな。サッカーには間に合うって言ってた」
俺たちも交流試合のメンバーに組み込まれていたので、午後は試合だ。もちろんメインは3年だが、そろそろ学年も交代する時期が近いので、経験をということで、何試合かのうち1試合、1年にも出番があるってことになっていた。
羽賀の彼女は、隣の学校の子で、サッカーを見に来ていて羽賀が口説き落としたらしい。
こいつはいい奴だから、話せば大抵の女の子はOKするだろうと思われた。
「紹介してくれるんだよな」
にっと笑ってやると、
「ああ、明日のパーティーでな」
と意地悪そうに返された。
「それって、俺だってわからないじゃないか」
それに羽賀は、大声で笑った。
「お前の方が女の子受けがいいから、普段のお前に会わすと俺が心配だろう」
それは、羽賀の謙遜だ。羽賀も背は高いし、愛嬌のある顔をしているし、どこから見ても男っぽい。
こういう奴がタイプなら俺は見向きもされない。
「よく、いうよ。仲いいくせにさ」
恭介は、羽賀の背をばんと叩きながら思った。
羽賀は照れたようにへへっと笑った。
その表情に彼女を思う気持ちが溢れていて、恭介は内心とてもうらやましいと思った。
放送のチャイムが軽やかになり、
「業務連絡、業務連絡、会長に定期報告」
という放送が鳴り響く。
二人はその放送に顔を上げた。
「やっぱり、生徒会は忙しそうだな」
心底ほっとしたように羽賀は言う。
「そうだな」
そう答えながら、昨日のことを思い出した。
文化祭中、恭介たちに生徒会の仕事はない。
昨日の放課後、最後の雑用をこなし、帰り仕度をしていた二人は月嶋に呼びとめられた。
「羽賀くん、恭介、二人ともいままでありがとう」
二人は顔を見合わせた。
「俺たちお払い箱ってことですか」
羽賀が困ったように訊く。
「まさか。本当に助かったよ。でも、君たちは僕の雑務を引き受けてくれていたからね。明日からの文化祭ではもう仕事はほとんどないんだよ。あとは、各生徒会役員の仕事でね」
確かに、明日はプリント配ったり、コピーしたり、清書したりなんて作業は生じないだろう。
そういえば、当初覚悟していた他の生徒や役員から反発はほとんど食らわなかった。普通は、関係ない一年が生徒会室に出入りするだけでも何か言われるだろうと予想していたが、二人の役目があくまで月嶋生徒会長専用の雑用係りに徹していたこともあって、他の役員からも何も言われなかった。もちろん決めたのが月嶋会長だからというところも大きいのだが。
明日の会長への連絡担当や会場整備や見回りは生徒会役員の仕事であって、二人の仕事ではない。そこを侵してしまうとそれはちょっとさすがにまずいだろう。
「そうだったんですか。じゃあ、俺たちは好きに文化祭を楽しんでいいということですよね」
月嶋にこんなにはっきり物が訊けるのは羽賀くらいだろう。
「そういうことだね。初めての文化祭だ。おおいに満喫するといいよ」
いつもの綺麗な笑顔で返され、羽賀ですら、一瞬見とれていた。
「これからもいつでも顔出してくれていいんだよ」
そうは、言ってくれるが、正式役員でもないのにそんなことはできない。
「気持ちだけ・・」
と恭介が言いかけたところを
「そうそう、気持ちだけ貰っときます」
と羽賀がかっさらって答える。
「来年、正式役員になって働いてくれると嬉しいんだけどね」
月嶋の言葉には二人で困ったように顔を見合わせて笑った。
また、思い出して、恭介は昨日以来何度目かのむなしい感情を持て余す。
もう生徒会室で、羽賀や玲さん、風見さん、月嶋さんと過ごすことはないんだ。
思い知るたびに恭介は心に空洞ができたような気がした。
大事だと思っていた時間は掌を滑り落ちて、失ってから、思っていたより自分があの空間を時間を大切にしていたことを思い知る。
嫌だったこともあったけど、過ぎてしまうといいことしか覚えていないものだな。
「・・すけ、恭介」
呼ばれて、顔を上げる。呼び込みしないといけないのに、考え事でボーっとしていたらしい。
「聞こえているか」
「ああ。ごめん、何?」
喫茶担当の奴が何度も呼んでいたらしい。
「あっちのテーブルでご指名だぜ。知り合い?」
指さされたテーブルにはモヘアのタートルネックのセーターに短いスカートをはいた髪の長い少女が座っていた。
見たこともない子だったので、恭介は首を横に振る。
「お前も隅におけないな。頑張れよ」
なんだか勝手に納得して、呼びに来たやつは離れて行った。
羽賀も興味深そうに少女を見ている。
「あの子も隣の学校の子だ。サッカーを見に来ていたのを見たことがある」
羽賀のセリフに、応援に来る子はみんな顔見知りかと突っ込みたくなるが、あえて無視した。
「ちょっと、行ってくる」
持っていた呼び込み看板を羽賀に押し付け、恭介は呼んでると言われたテーブルに近づいた。
「俺に何か用があるとか」
テーブルまで行くと恭介は声を掛けた。はじかれたように少女が顔を上げる。色白で目が大きい可愛らしい子だった。
「こ、こんにちは、突然でごめんなさい。花山さんですよね」
「そうだけど」
「私、よく友達とこの学園のサッカーの練習を見に来てて、それで・・・」
そこまで言って少女は真っ赤な顔して俯いた。
テーブルに置かれた手が震えている。
「落ち着いて。君、名前は?」
なんだか、必死な姿がほっておけなくて彼女の前の席に着くと訊いた。
「桜 有里香」
消え入りそうな声で、有里香と名乗った少女は言った。
「ずっとあなたを見ていて、でも、話とかできなくて。この学園に入れるのは文化祭だけだから」
なんか女の子に告白されているような気がすると恭介は他人事のように思った。
「俺と友達に?」
「違います。いえ、違わないけど・・ただの友達じゃなくて、えっと、その、だから」
言われているこっちが恥ずかしくなってしまいそうなほど、有里香は狼狽している。
「でも、俺、君のこと何も知らないっていうか」
「そうですよね・・・」
冷たく言ったつもりはなかったが、有里香は沈んだ声で答えた。
なんだか俺が苛めているみたいじゃないか。
こういうシチュエーションは初めてでどうしていいかわからない。でも、女の子に告白されたらきっと舞い上がるほど嬉しいだろうと思っていたのとは異なっていた。
嬉しいというより困るという感じだ。きっぱり断った方がいいのかもしれないが、こんなに落ち込まれるとあまり無碍にもできない。
「いや、そういう意味じゃなくて、友達いや知り合いからなら別に話したりするのは構わないけど」
そう言うと、有里香は嬉しそうに笑った。
「それでいいです。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
頭を下げられたので、なんかつられて下げて顔を上げると由香里と目が合って、つい笑ってしまった。
「恭介」
入り口から羽賀に呼ばれる。
「ごめん、まだ当番なんだ」
立ちあがった恭介につられ、由香里も立ち上がる。
「午後は試合ですよね。頑張ってください。応援に行きますから」
「あ、ありがとう」
行こうとするとすがるような瞳にぶつかる。
「あと30分くらいで当番終わるんだけど、お昼くらい一緒にする?」
あまりの真剣な眼差しについそんなことを言ってしまうと由香里の表情が明るくなり、にっこり微笑まれた。
「終わるまで待ってますから」
「ああ。じゃあ、あとでね」
今度こそ席を離れ、入り口に戻る。
「ごめん、羽賀」
声を掛けると羽賀の横に月嶋が立っていた。羽賀も困った顔をして、月嶋に見えないように両手を合わせていた。邪魔してごめんなって意味だ。
「…月嶋さん」
「こんにちは。どう、お店の方は?」
月嶋はいつも通り学園の制服に身を包み、右腕に生徒会の腕章をしている。そこにいるだけで目立つので、通り過ぎる他校の生徒が振り向きながら歩いていく。
「結構、好調ですよ」
「衣装は、和服じゃなくて学ランなんだね」
「あんがい着てみたら普通だったんですよね。マントと帽子だけ時代かかってますけど」
マントをちょっと指でつまんで恭介は答える。
「でも、よく似合っているよ。さっきも女の子に声かけられてたみたいだしね」
やっぱり、見られてたのか。
恭介は内心気が気ではない。なんか揶揄いの種を提供した気がする。
「見回りですか」
「そう、これも仕事だから」
にっこり微笑まれて、気を飲まれていると
「襟は閉じた方がいいよ」
一歩、恭介に近づき、つと指を首筋に伸ばされ、適当に外していたカラーを合わせられる。
そのまま顔を耳のそばに寄せられた。
「18時には終わるから、生徒会室で会おう」
恭介にだけ聞こえる声で囁かれて、どくんと心臓が跳ね上がる。
何の用事で?
すぐに身体を離し、じゃあねといって月嶋は去って行った。
それを恭介は呆然と見送る。
「ごめんな」
月嶋の姿が完全に人ごみに消えると羽賀が看板を恭介に返しながら謝った。
「恭介は呼び込みしてないのって訊かれて、いまちょっとって言ったら、ぱっと中を見られてさ」
「別にいいけど」
確かに揶揄れるかもしれないが、そんなに害もないと恭介は思った。
「でもさ、月嶋寮長でも妬くんだな」
続く羽賀の言葉に恭介は、びっくりする。そんなこと天地がひっくり返ったってありえない。
「それはないだろう。月嶋さんだよ」
「そうかなあ。なんか、女の子と話しているお前見て一瞬マジな顔したぜ」
そうだった。俺たち付き合っていることになっているんだった。羽賀がそう思ってもしかたがないんだ。
「それは、思いすごし。俺、話してただけだし。ちゃんとあとで、月嶋さんにも話すよ」
恭介の言葉に羽賀も少し安心したようで、
「ならいいけど」
と言ってこの話は終わりとなった。