文化祭準備(3)
放課後、恭介は生徒会室ではなく敷地内のうっそうと茂る森を歩いていた。このところの喧騒がうそのように静かだ。時折、枝の間から鳥の鳴き声が聞こえ、木々の葉の隙間から光が差し込む。
小春日和の陽気で、陽があると暖かい。
こんなにのんびりと風景を楽しんだのは久しぶりだ。
ゆっくりと恭介は歩を進める。
生徒会室にはもちろん行った。羽賀がクラスの出し物で忙しいので、一人で生徒会室には向かったのだ。
「・・なんだよ・・恭・・が」
扉に手を掛けたところで、中で言い争う声が聞こえた。
自分の名前も聞こえた気がする。
「・・かしい・・か・・そうだ」
何を話しているのかは分からないがどうも自分に関係のあることだと悟った恭介は、扉をノックする。
ぴたりと話声が止まり、恭介は生徒会室の扉を開いた。
部屋には玲と月嶋がいて、デスクを挟んで立っていた。月嶋はいつも通りの冷静な顔だったが、対する玲は
「もういい」
と告げるとそのまま恭介を見もせずに、出て行った。
「何か問題でも?」
恭介が問うと月嶋は軽く横に首を振った。
あれ、機嫌悪いかな。
恭介が思うのと同時に、月嶋はがたっと席を立つと恭介に歩み寄った。
「恭介」
名前を呼ばれただけなのに、身体がビクリと震えた。
なにびびってんだ俺。
月嶋さんの顔が見れずに俯いてしまう。
「今日の予定は?」
上から見下ろされて問われ、声音にイライラが混ざっている気がする。
「クラスの出し物の準備と衣装最終打ち合わせです」
「そう」
一言で返事をしたかと思ったら恭介は月嶋の腕の中にいた。
強く抱きしめるわけではない抱擁。
「今日は、こっちの仕事は無理だね。まあ、もうそんなにやることもないんだけど」
言葉は普通なのに、何か変な感じだ。
動かず返事もしない恭介の耳元に月嶋は唇を寄せた。
「今夜8時に僕の部屋へおいで」
耳元で低く囁かれ、膝が震える。
怖い。
恭介は月嶋に対し、初めてそう思う。
ダンスの練習に来いっていってるだけだと自分に言い聞かせる自分がいて恭介はもう何がなんだか分からなくなる。
月嶋さんは優しくて何かするわけでもないのに、何故、俺はこの人が怖いんだろう。
それでも、
「はい」
震える声でそう答えていた。
先ほどのことを思い出し、恭介は頬に朱が上るのを自覚した。
大体月嶋さんは、何故、一々ああいう言い方をするんだろう。俺が相手じゃなかったら絶対誤解するって。
それとも誤解して欲しいのかな。
そう思うが一瞬の後に否定する。月嶋さんは共犯なのだから。
あまりこのことは考えない方がいい。
恭介は自分の思考にストップをかけるため、首を左右に振った。長めの髪がさらさらと音を立てる。
「あれ、ここ」
ついでに自分の居場所を確認すると見たことのある場所にいることに気付いた。物思いに沈んでいたからどこをどう歩いたかわからなかったが、確かに、以前迷い込んだ東屋の前だった。
玲がいるかもと恭介は東屋を覗き込む。
ベンチに腰を掛け、片ひざを立てて東屋の後ろに視線を飛ばす玲を見つけた。
「玲さん」
声を掛けていいものか数十秒悩んで、結局、恭介は声を掛けた。
物憂げに振り返り、恭介を認めると玲は優しい顔で微笑った。
「恭介、どうしたの」
「なんか仕事にあぶれちゃったみたいで」
へへへと恭介は笑う。確かにクラスの手伝いに行ったのだが人手が余っててやることがなかった。衣装合わせは5時からだからまだ時間がある。
「玲さんは?」
「さぼり」
あまりに玲らしい答えに、ハハハと恭介は笑った。
「なにかあった?」
いつも通りに接したつもりだったのに、いきなり訊かれて恭介は狼狽する。
「俺、暗いですか」
「違うよ。カラ元気っぽいから」
この人たちに嘘は通じない。しっかり見透かされていた。
おいでおいでをされたので玲の横に座った。
「ここ、風が通るんですね。今はちょっと寒い感じだけど、夏は涼しそう」
風が髪を揺らし、それがちょっと新鮮で恭介はそんなことを言った。
「そうだね。ここは僕の秘密の場所だから、他の人には内緒だよ」
片目を瞑って言われ、この人は本当に生きているのが不思議なくらい綺麗だと思う。
「大丈夫ですよ。誰にも言いませんから」
恭介は悪戯っぽく笑った。
「俺、いつも偶然にたどり着いているから、来ようと思ってもたどり着けないかも」
恭介のセリフに玲は面白そうに微笑った。
「静也に何かされたの?」
見惚れていたら、静かに世間話のようにそう訊かれた。
一瞬、返答に詰まり、それから首を左右に振った。
「じゃあ、どうしてそんなに哀しそうな表情をしているの?」
「そ、そんな顔してます。おかしいな。何も哀しくないし。毎日楽しいですよ。ダンスはできないけど」
悩みが顔に出てるのか。玲さんは裏まで見透かしてしまうところがあるから、気をつけないと。
「ダンス?ああ、ワルツか」
踊れないの?と目線で問われた。
それにこくりと頷く。
「向いてないみたいで」
困ったように笑うと右手で左手を取られ、立ち上がらされた。流れるような動きに目を見張る。
どうするつもりだろうと思っていると、玲の左手が恭介の肩甲骨あたりに置かれる。
「音楽はないから、リズムだけね」
そういうといきなりリズムを1、2、3と取り始めた。
「いくよ」
すっと動き出した玲につられて足を出すと、玲の足を踏むことなくステップを踏んでいた。
玲に合わせて足を運ぶ。
木々のざわめきと遠くに聞こえる水音と玲のリズムを取る声が音楽だ。
うそみたいに身体が軽く、身体が覚えている足運びで足が進む。ターンも綺麗に回れて自分じゃないみたいだ。
「そう、うまいよ」
玲にリードされるまま、東屋の中で踊った。最後に綺麗にターンして、玲は左手を離すと恭介の手を取ったまま礼をした。
恭介も礼を返す。
「できるじゃないか」
すっかり息が上がってしまった恭介に対し、玲はまったくいつもどおりで、ちょっと悔しい。
玲が腰を掛けたので恭介もその隣に座る。
「結構、疲れますね」
「サッカーの方が大変だろうに」
「サッカーは好きだし、疲れは風呂に入った後に来るので、そんなに感じないんですよ」
なんか身体を動かしたからか、さっきより心が軽い。
「ちゃんとできてたし、身体がすでに覚えている感じだったけど。静也とはうまくいっていないの」
意味深な訊き方をされて、言葉に詰まる。
「そんなことは・・・」
でも、月嶋さんに同じことをされると身体がこわばって、動けなくなるんです。それにこのところの彼はちょっと怖い。と恭介は心の中で呟いた。それが、なぜかはわからないけど。
「あんまり、人前で二人でいないよね」
「静さん目立つので。俺のモットーは・・」
「普通に、静かに、平穏に、でしょう」
あんまりびっくりして目を見開いてしまった。
「おれ、話したことありましたっけ」
あまりの間抜け面にか玲はくすくすと笑った。
「恭介が思っているより、僕は君のことを知っているよ」
やっぱりいろいろ見透かされている。恭介は大きな溜息をついた。
「恭介、静也を選んだんじゃないんだね」
笑いを止めた途端、玲は真顔でそう訊いた。
お芝居だってばれた??
一瞬思うが、ここでばれたら何のために月嶋さんが付き合ってくれているかわからなくなってしまう。
「選んだとかよくわかりませんけど、俺は月嶋さんと明後日、パーティーに出ますよ」
その言葉にまた玲が面白そうに笑う。
「静也が好き?」
「単刀直入に訊きますね」
「遠回しに訊いても一緒でしょう」
柔らかい表情で答えられ恭介は戸惑いを隠せない。
「正直言って、その好きという感情は俺にはよくわからないんです」
一番悩んで誰にも言えなかったことを恭介はつい洩らしてしまった。
「人を好きになったことないの」
「昔、ちょっとだけいいかなと思った女の子がいたんですけど、その子に全く男扱いされなくて。気づけばいい友達になってたんです。今思えば、あれも好きだったのかよくわからなくて・・・」
困った顔をした俺に玲は少し哀しそうな表情をした。
「俺、玲さんも風見さんも月嶋さんも好きです。あの生徒会室で、皆がいる空間で、ゆっくりと流れる時間が好きなんです。多分、みんなが思う好きと違うし、かなり我儘な感情だと思うんですけど」
「仲間ってかんじなのかな」
玲は前髪をかき上げ溜息をついた。
「それもちょっと違うような気がしますけど。皆、先輩だし」
恭介はそこで言葉を切って、まっすぐ玲を見つめた。玲は面白そうに恭介を見ている。
「いつも不思議なんですが、何故、俺なんです」
「好きに理由はないんだよ。強いて言えば、恭介の全部がいいんだ。そして、それは誰にも渡したくないし、全部自分のものにしたい」
不用意な発言でまた告白をさせてしまった。悔やんでも遅い。しかし、玲のこういう感情が人を好きになるってことなのかもしれない。
「だけど、そのせいで好きな人が不幸になるのも嫌なんだ。恭介には笑っていて欲しい。誰にも渡したくないけど、僕がこんな風に振る舞うことで、恭介が傷つくならもう言わないよ」
それに恭介は首を横に振った。
「それは俺も同じです。俺が決められないことで、俺の好きな人たちが傷つくのが嫌なんです。決めても傷つくでしょう」
「そうだね。恭介が僕を選ばない限り、僕は傷つくだろうけど、そんなことは本当にどうでもいいんだ。これだけはわかって欲しい。恭介が望むとおりでいいんだから。僕の望みはそれだけなんだ」
玲さんも静さんと同じことを言う。俺の望むとおりと。俺の望むことは何?
「…恭介?」
いきなり手を伸ばされて、指で涙を掬われた。
「あなたたちは俺に甘くて優しすぎる。そこまでしてもらうような、思ってもらえるような奴じゃないのに」
優しさが胸に痛くて、恭介はまた涙が止まらなくなってしまった。
玲はそんな恭介をまるでヒナ鳥を抱くようにふわりと抱き締めた。いつまでも、僕が守るよというかのように。
「そんなに甘やかすとつけ上がりますよ」
ばつが悪くて、恭介はうそぶく。
「いいよ」
恭介の髪にキスを落とし、玲は呟いた。