錯乱
寮に戻るなり恭介はベッドに倒れ込んだ。
疲れた…
もう指一本だって動かない。
食事いかないと食いっぱぐれる。
そうは思うがこのまま眠ってしまいたい欲求の方が強い。
放課後のサッカー部の練習はやけに熱が入っていて、いつもよりハードだった。
風見の機嫌が悪く、口もきかずにサッカーに打ち込む様子に部全体が引っ張られ、キャプテンも多めのランニング、基礎練習、ミニゲームとなんだか目一杯の練習メニューを組んでいた。。
風見は怒鳴り散らすわけでもなく、つっけんどんにするわけでもないが、やけに練習に熱中しようとしているように見えた。走り込みだけでもほかの選手の3倍はこなしていたのではないかと思う。
大会も近いので、そのせいもあるだろうと皆で噂していた。
「もう、だめ・・」
呟き、5分だけと目を閉じる。そのまま恭介はあっという間に眠りに引き込まれていった。
頬を叩かれる感触と声が上から聞こえる。
「・・恭…恭。起きろよ・・もうすぐ夕食の締め切り・・」
ぱたぱた軽く頬をはたかれうっすらと目を開ける。
「んっ・・いまなんじ・・」
目を開けた瞬間、風見の顔が視界いっぱいに入って恭介はうろたえる。
左手首を上から布団に押さえつけられ、右手で頬をはたかれている。覆いかぶさったように思える風見に恭介は昼間の玲の仕打ちを思い出し背筋が寒くなった。
「離せっ」
風見を押しのけようとしていきなり恭介は暴れだした。
「やめろっ、離せっ…俺に何を…」
身体を捩って足を蹴り上げ、恭介は暴れた。
「恭、どうした。俺はただ、お前を起こしただけ…」
風見の言葉は全く恭介に届いておらず、ひたすら恭介は暴れた。完全にパニックになっている。風見は恭介から身体を離したが、恭介は身体をずり上げ、ベッドに座っても両腕を振り回し続けた。
「触るな。俺に…」
「恭介!寝惚けているのか」
「触るな、俺に。触らないで・・」
両腕を振り回したまま恭介は叫ぶ。
「恭介!」
風見は恭介の名を叫ぶと、振り回す腕ごと恭介を抱きしめた。
「離せ!」
強く抱き締める。
「大丈夫だから」
暴れる恭介を腕と身体で押さえつけ、耳元で大丈夫と繰り返す。
「大丈夫…恭。大丈夫だ」
何度も何度も耳元で囁く。低くゆったりとした声に、離せ、触るなと叫び暴れていた恭介の抵抗が弱くなる。
腕の力を緩めず、右腕を恭介の頭に回すと風見は恭介の頭をゆっくりなでた。
包み込むように抱きしめ、頭を優しく撫で続ける。
「か・・ざみさん・・」
恭介は完全に暴れるのをやめ、風見の胸の中でされるがままになった。おとなしくなった恭介が風見の名を呼ぶ。
「落ち着いたか」
少し身体を離し、風見が恭介の顔を覗き込んだ。風見の心配そうな瞳を恭介の濡れた瞳がじっと見つめた。二人の視線が絡み、見つめあう。
「す、すみませんでした」
恭介が先に視線を外し、俯くと謝った。顔が紅くなるのを見られなかっただろうか。
「どうした、変な夢でも見たか」
風見は俯いた恭介と目線を合わせようと覗き込んで低い声で訊いた。。
が、恭介は横を向いてしまう。
「い…いえ、目を開けたら人の顔があまりに近くにあったので・・・」
昼間のことを思い出したのだと続ける言葉を飲み込んだ。しかし、言わなくても風見は察したらしい。
「そうか、驚かして悪かった。メシの時間が終わりそうだったんで、起こしたんだが」
とくにそれ以上問い詰めようともせず、すまなそうにつぶやく。
「あ、ありがとうございます」
自分が寝ぼけて錯乱していたらしいことを思うと恥ずかしい。それにこんなに近くに風見さんがいることも何故かとても恥ずかしかった。
恭介はそっと風見の身体を手で押し、身体を離す。
ああと答え、風見も身体を離して少し距離を取った。気まずい沈黙が二人の間を流れる。
いつもサッカーで見るのとは違う顔を風見は時々恭介に見せる。ただの憧れが人間味を帯びるのはそんな時だ。
恭介は、そっと風見の顔を見た。風見の瞳には心配そうな光がある。
風見さんは優しい。なんだかんだ言ってもいつも助けてくれている気がする。
このまま甘えてしまいそうになり、恭介は腹にぐっと力を入れた。
「ところで、今何時ですか?」
恭介は暗い部屋を見回し尋ねた。
「19時25分・・」
「やばっ、風見さん、行きましょう」
そのままベッドを下り、ベッドに座る風見を見る。
「メシ抜きになります」
それだけ告げ、恭介は身を翻すと部屋のドアを開け、外へと走り出した。
「まてよ、恭」
後ろから風見が恭介の名を呼んで追ってくる気配を感じたが、恭介は振り返らなかった。