普通の子供
「助けてくれてありがとう、子猫さん」
気配を感じて振り向くと、金髪の少年はいつの間にか私の隣に座っていた。
眼下では煙幕がたちこめ、少年を見失った誘拐犯達が散り散りに去っていく。
「あ、ほら! あの男達いなくなりましたよ! 僕はここにいるのに。あはは」
「えっ……君はどうやってここに来たの?」
「僕、屋根の上にのぼるのは得意なんです。大人から抜け出すのも得意だし逃げるのも得意。でもさっきはつい失敗してしまって」
少年は意外にもケロッとした様子でペラペラと喋り続ける。抜け出すのが得意、とは……なかなか厄介な子かもしれないな。
「君は……大人達から抜け出して町へ来たの?」
「ええ。そしたら、あの男達が親切な顔して話しかけてきたんです。でもついて行ったらこんな所まで連れてこられて、急に態度も変わってしまって……」
「誘拐されかけてたわね」
「……はい。初めてです、こんなに怖かったのは」
話し方は軽いけれど、少年の肩は小さく震えているようだった。よっぽど恐ろしい思いをしたのだろう。
思わず肉球でぽんぽんと少年をなだめると、彼は少しだけ涙を滲ませた。よかった。ちゃんと反省しているみたいだ。
「これに懲りたら、あまり大人をなめないことね。一人でお屋敷を抜け出すなんてしないこと」
「はい……そうですよね」
「皆きっと君のことを心配しているわ。さあ、帰りましょう。私も途中までついていってあげるから」
少年と私は屋根を渡り歩き、なるべく安全な場所を選びながら噴水広場へとたどり着いた。ここまで来れば、おおっぴらに誘拐したりは出来ないだろう。
「じゃあ……私はこのへんで。用事もあるし……」
「やだ! 君も来てよ!」
「まだ一人じゃ怖い? おうちはどこなの?」
「もうすぐ……もうすぐ着きますから」
生意気なわりに、意外と寂しがり屋のようだ。まあ、彼の見た目は六、七歳くらい……心細くても仕方がない。
(早く帰りたいのに……この調子じゃあ夕暮れになってしまうかも)
でも、このまま彼を一人にするのも心苦しい。仕方なく、無言で歩く彼の隣をとことことついて行く。
それにしてもこの子、見れば見るほど良い服を着ている。仕立ての良いベストにシャツ、ハーフパンツだって光沢のある高価な生地が使われている。服だけじゃない、首元のブローチに埋め込まれているのは本物のエメラルドではないだろうか。
(よっぽど良いとこの御令息なのね……)
誘拐犯から見れば格好の獲物なのかもしれない。
「ねえ、なんで家を抜け出したりしたの?」
改めて、未遂で終わったことにホッとする。
猫として通りかかったからよかったものの、気づかないまま通り過ぎていたら今頃は……考えるだけでゾッとした。
話してみれば素直な良い少年で、家出なんてするような子のようには思えないのに。よっぽど家に不満があったのか、町に行きたい理由でもあったのか。
「……町で遊んでみたかったんです」
広場を歩きながら、少年はぽつぽつと話してくれた。
「ずっと勉強と鍛錬の毎日で、僕に自由な時間などほとんど無かったから」
「そうだったの……」
「別に、それが普通だと思っていました。でもある日、町に住む子供達の暮らしぶりを知ったのです」
家業の手伝いが終わったら、お小遣いをもらって広場へ行く。そこにはおいしいお菓子にジュース、友人達との楽しい時間が待っている。時には大道芸の見物をして、パレードに手を振って……
この少年にとって、町の子供達が送る普通の日々は夢のように輝いて見えた。
「なにもかも楽しかった。買い食いするのも、名も知らぬ子供達と遊ぶのも。普通の子供になれたみたいで」
少年は自虐めいたことを呟き、寂しげに笑った。
それではまるで彼が“普通の子供”では無いみたいじゃないか。胸がギュッと苦しくなる。目の前にいるのは、自由な時間を楽しかったと言う――普通の感覚を持った少年なのに。
「あなただって普通の子供よ」
「えっ?」
「少なくとも、人の形をしているもの。私なんて猫よ」
私も自虐で返すと、少年はクスクスと笑ってくれた。
「本当ですね。言葉を喋る猫なんて普通じゃ無いかも」
「そうでしょ。君もそりゃあ、いいとこの御令息なのかもしれないけど……大人と一緒でもいいから、時々町へ来たらいいのよ」
「……そんなこと許されるのかな」
「わがままくらい言ってみればいいじゃない。まだ子供なんだから」
「そうだね……ありがとう。僕にこんなことを言ってくれるなんてあなただけ……猫さんは一体何者?」
少年の顔には本来の明るさが戻り、キラキラと輝く瞳で猫の私を見下ろしている。
何者、と聞かれているけれど、この場合どう答えたらいいだろう。猫になった経緯がどうにも情けないため、正体はバレたくないのだけれど。
「わ、私は、名乗るほどのものでは……」
「僕、あなたのこと神の使いかと思ったんです。そうてしょう?」
「は?」
(え……? 神の使い??)
夢見がちな眼差しのまま、彼は私を抱き上げる。
私はめんどくさい気配を察知した。が、時すでに遅し。この子、意外に力が強くて逃げられない。さすが毎日鍛錬しているだけの事はある。
「書物で読んだことがあるのです。いつか本当に困った時には、神の使いが天から現れ、正しき道へ導いてくれるだろうと。あなたは屋根の上に颯爽と現れて、不思議な力で助けてくれた……これは書物の通り、運命のお導きですよね?」
そんなの、私は知らない。
少なくともそれは私じゃ無い。
「不思議な力というか……あれは単なる魔術なのだけど」
「ねえ、僕と一緒に来て? 大切に飼いますから」
「私にも帰る場所がありましてですね……!」
困ったことになった。
彼はわりと聞く耳を持っていない。
「名前はなんて呼べばいいですか? 僕は――」
少年が名乗ろうとしたその時、広場の向こうがにわかに騒がしくなった。
見てみると、血相を変えた騎士達が何やら叫びながらこちらへ走ってくる。彼らが叫ぶ少年の名前に、私は耳を疑った。
「アルマディウス殿下!」
「こんなところにいらっしゃったのですか!!」
(アルマディウス殿下……?!)
急いで目の前の少年を確認した。
金髪に空色の瞳、来ている服は最高級品。そして妙に世間ズレしていない素直な性格……
「ああ、もう迎えに来ちゃった」
「あ、あなた様は」
「僕は、アルマディウス・ルミナス・ド・クラリオン。どうかアルマと呼んで下さい、神使様」
アルマディウスといったら――この国の第一王子。
私のことを神の使いだと信じて疑わない彼は、やはり“普通の子供”では無かったのだと知った。