女の鉄槌
(渋々!? 冗談も程々にして!)
私の不幸のすべては、あの日のセシリオが引き金になっている。
あの日、浮気現場に出くわしてしまったから。
あの日、セシリオが大騒ぎしたから。
それを今更、渋々無かったことにしようだなんて……絶対に許せない! ガツンと言ってやる!
クルス侯爵家の屋敷を飛び出た私は、怒りに任せて城下町を走った。
屋敷を出た直後、オルランド様に『ひとりで外に出ないで』と言われたことも思い出したけど……もう手遅れだ。あとで叱られるしかない。
(ごめんなさい、オルランド様……!)
ただひたすらアレグレー子爵家の屋敷を目指した。
アレグレー子爵家は、城下町の外れに屋敷を構えている。町にいくつか直営の店を持っているようで、その収益のおかげで羽振りがいいとセシリオはいつも自慢していた。
まあ、その運営もセシリオの代になれば終わりね。あんな短絡的な人で、経営が上手くいくとは思えない。
屋根を飛び越え、塀の隙間も風のように駆け抜ける。
私すごい。なんて素晴らしい身体能力。こんなに走っても息切れひとつ無いなんて。
(ええと……アレグレー子爵家は……)
町を抜けると、塀の向こうに赤い屋根が見えた。あれだ、セシリオが謹慎しているというアレグレー子爵家のお屋敷は。
私は威勢よく扉の前に立ち、ノッカーを叩こうとして……
(あ、あれ?)
やっと、自分の姿を思い出す。
扉より遥かに小さい身体。ノックしようにも届かない前足。そうだ私は猫だった。猫なのに、セシリオにガツンと言ってやろうとしていた。
私はようやく冷静になった。
この姿、セシリオに見られてはならない気がする。自暴自棄になった挙句、私が猫になっているなんてことをあの男が知ったら……彼の反応を想像しただけで、またムカムカと腹が立ってきてしまう。こんな姿で言ったって、きっと馬鹿にされて終わるだけ。
(仕方がない……ここは引こう。とっても腹はたつけれど、婚約解消はお父様達にお任せして……)
そう思った矢先、屋敷の扉がガチャリと開いた。私は急いで柱の影へ身を隠す。
出てきたのはセシリオ本人だった。謹慎中と聞いていたはずなのに、さっそく出歩いているじゃないか。しかもその表情からは、なんの反省も感じられない。少なくとも私には。
彼は猫に気づくこと無く、軽い足取りで門へ向かって歩いていった。その行く先を目で追うと、門の外に――ピンク色の髪をなびかせた、華奢で儚げな少女が立っている。
(あれは……リディア!)
リディア。セシリオの浮気相手だ。
人目を忍ぶには少々大胆すぎる場所で、二人は秘密の逢瀬を交わしていた。空いた口が塞がらない。
「セシリオ! 会いたかった……」
「僕もだよ。リディアに会いたくて気が狂いそうだった」
人目もはばからず抱き合うセシリオとリディア。
私が見ているすぐそばで、密会が始まってしまった。私は動くこともできず、会話に耳を傾ける。
「ねえ、本当に婚約解消はできないの? 私、セシリオの奥様になれると思ったのに」
「もちろん僕だってリディアと結婚したいさ。でも親が……」
「親って! 結婚するのは私たちでしょう? どうにか説得してみせてよ」
「うーん、でもなあ……」
影で二人のやり取りを聞きながら、思わずリディアに同情してしまった。なんて情けない男なんだろう。学園であれだけ啖呵をきったのに。
「そうだ、いいことを思いついたよ」
「えっ! 本当?」
「ロミナとは形だけの結婚をする」
(ええ!?)
セシリオがまた勝手なことを言い出した。
この男、どこまで人をコケにすれば気が済むの?
「なに、それ……どういうこと?」
「親の言う通り結婚はするけど、僕が愛してるのはリディアだけ。ロミナとは白い結婚にするつもりだから安心して」
「つまりロミナと結婚して、私は愛人ってこと?」
「愛人というより恋人だよ。リディアとはこのまま、恋人同士で――」
「……ばっかじゃないの!?」
その瞬間、頬を打つ乾いた音が響いた。
頬を抑えて呆然とするセシリオと、そんな彼をキッと睨みつけるリディア。修羅場というやつだ。
それにしても、なんてスカッとする平手打ちだろう……敵ながら、リディアに拍手を贈りたい。
(リディア……あなた、か弱いだけの子じゃなかったのね。最高だわ。もっとやって……!)
もう、私の心は完全にリディアを応援してしまっている。影で見守りつつ、わくわくが止まらなくなってきた。
「お金持ってて良い男だって聞いたから身体だって許したのに、愛人扱い? 私のこと馬鹿にしてるの?!」
「リ、リディア?」
「愛人なんかじゃ意味無いでしょ! 結局、財産は妻に渡るんだから」
「財産……?」
なるほど。リディアはセシリオの財産目当てだったのか。そりゃ愛人なんかじゃ納得できないだろう。しかもこんな男に身体まで許してしまって……誰だ、セシリオのことを『良い男』だなんて唆したのは。
「もういいわ。あなたの相手をするだけ時間の無駄だった。これまでの対価はきっちり請求するから。じゃあね、金輪際連絡しないで」
「そんな、そんなのないよリディア……!」
追いすがるセシリオを、リディアは冷たく振り払った。そしてヒールをカツカツと鳴らしながら、颯爽と去っていく。
(……き、気持ちいい~!)
こんなにスカッとしたのは久しぶりだ。
猫の自分が出来なかったことを、リディアが全部やってくれた。ありがとうリディア。今日のことは忘れない。
私は胸の中で、彼女の後ろ姿に感謝した。