18 シレの自分探し
DirectAimの所属するフライトプロダクションという芸能事務所は、設立からまだ十数年と新しいながら、大変勢いのある芸能界でも有数の事務所だ。
業種にとらわれず、社長や優秀な社員によって見出された宝石たちが、事務所の適確なサポートを受けて活躍している。
その人気ぶりは、所属タレントを一人も知らないという人はいない、と言われるほど。
そんなフラプロの建物はその規模にふさわしく、大きく高さもあるビルが丸ごとフラプロの所有となっている。
中には社員が事務をするフロアだけでなく、冷暖房完備のダンスレッスン室がいくつも並ぶフロアや、収録もできる防音室が並ぶフロア、撮影用のスタジオのフロア、タレントも社員も使えるくつろぐためのフロアなどまであり、多くのことを自社のビルで済ませられるところもこの事務所の強みと言えるだろう。
その建物の1階、全ての受付けをするエントランスのソファに柊は座っていた。
「シレくん」
「……あ、コナタ」
「和佳奈さんから呼んでるって聞いたけど。どうした?」
何をするでもなくぼーっとしている柊に近づいて声をかける。
ゆっくりと振り向いた柊は、相変わらず感情の薄い表情で香奈太を見上げていた。
「……今日は」
「ん?」
「……今日は、髪上げてるんだ」
柊が香奈太をじっと見つめたまま、ぽつりと呟いた。
柊の言う通り、今香奈太は制服姿だが、前髪をピン留めで留めて、顔を晒している。
さらに後ろの髪も緩く縛ってひとつにまとめているので、以前柊が教室で見た姿とはかなり違っている。
その時に、学校で騒がれたくないので、アイドルになってからもほかのメンバーと同じ学校に通っていることは公表しないという話もした。
それで制服のまま顔を出していいのか気になったのだろう。
「あ、ああ。歌ってると暑くなるし、先生が表情も見るって言うから、ボイトレの時は上げてるんだよ。まあ、帰るだけだし大丈夫でしょ」
「……そっか」
なにか続きがあるのかと思ったが、それきり柊は黙ってしまった。
今の話題は終わりのようだ。
まだ香奈太も柊のことを掴みきれておらず、手探りで接してるような状況。
何が言いたかったのか疑問に思いつつ、口を開いた。
「えっと、それでシレくんの用事は?」
「……あ、そうだった。プロデューサーが、コナタをたよれって」
「母さんが?たよるって、なにかあった?」
急に出てきた真桜の名前に首をかしげると、何故か柊も顔の角度を合わせるように首をかしげた。
謎に見つめあう2人。
なんだこの時間、と思いながらもとりあえず柊が話し出すのを待っていると、ふいにポケットに入れたスマホが震えた。
柊から視線を外し、スマホを取り出して確認する。
噂をすればなんとやら。
真桜からメッセージがきていた。
『シレのことだけど、多分幼い頃から演技をしてきたことの弊害だと思うの。自己を形成する時期から役に入りつづけてたから、自分が薄くなってしまってるのね。たまにいるらしいわ。
それに加えてカメラに対する意識が強すぎるから、カメラに写っていると認識すると、自我が役に負けてしまう。自分を明確にとらえられるようになれば治ると思うの。ようは、自分探しね。
ただ一人でやるのは難しいだろうから恋那丹が手伝ってあげて。もちろん他のメンバーにも協カさせていいけど、一番恋那丹が時間の融通が利くから、よろしく』
(……は?いや、俺もだいぶやること多いんだけど。たしかにみんなと違って仕事じゃないから、多少融通は利くけどさ)
あまりの無茶振りに頭痛がしてきて、眉間を指でもむ。
実際、香奈太のスケデュールはわりとつまっている。
それは、香奈太のデビューが急に決まったことで、そもそも他のメンバーよりも準備期間が短いことに加え、香奈太が普通科なため下手に授業を休めないことが原因だった。
特待生として授業の免除もあるが、年間で休んでいい授業の数が決まっているのだ。
それはデビュー後時間の融通の利かない仕事が入ったときのためにとっておきたい。
さらに週に2日はあるオフの日も衣装を作るのに費している。
そういった諸々のため、香奈太はかなり忙しい日々をすごしているのだ。
そこにさらに柊の自分探しの手伝いをするとなると。
「はぁ……」
「……コナタ?」
「いや。母さんの方から説明があった。シレくんのカメラ問題のために自分探しを手伝うように、だとさ」
香奈太の言葉を聞いて柊が不思議そうにぱちぱちと瞬いたが、すぐに真桜との会話を思い出したのか納得の色が瞳に浮かんだ。
「……ん、そうだった。どうする?」
「そうだね……」
(デビューまで時間がないのも事実。衣装のためにもシレくんのキャラは早く固定させたいしな。さっさと解決するしかないか)
「シレくん、このあと時間は?」
「……きょうはもう帰るだけ」
「じゃあ、とりあえず移動しよう」
人通りもある事務所のエントランスから移動して、場所は駅近便利な夜月家。
事務所の休憩室や近所のファミレスに行くことも考えたが、プライベートな話をする可能性があるので、他人に話を聞かれない場所にしたのだ。
「ただいま」
「おかえりー。って、あれ?シレくん?今日来るって言ってたっけ?」
「……おじゃまします」
「いや、母さんの無茶振りのせいで急に用事ができたから、連れてきた。部屋に籠るから気にしなくていいよ」
「ああ、ママの。りょうかーい。シレくんもゆっくりしていってねー」
笑いかける咲にうなづいて答える柊を横目に、香奈太はさっさと階段を上る。
柊も着いてきて二人で香奈太の自室に入ると、それぞれ適当に腰を下ろした。
「じゃあ、早速だけど。シレくん自身は問題についてどう把握してるんだ?」
「……自己が薄いから、カメラを意識すると役が勝手に出てくるって聞いた」
「母さんの説明のまんまだな。なら、幼い頃から演技をしてたのが原因かもしれないってのも聞いたか?」
香奈太の確認に柊がこくりと頷く。
どうやら香奈太が真桜から受けたのと同程度の説明は受けたらしい。
ただ、この様子からしてあまり本人に自覚は無さそうだ。
「俺はそもそもちゃんと演技なんてしたことがないから、よくわからないんだけど。役を演じてるのは練習や撮影のときだけで、普段はそのままの自分でいるものじゃないのか?」
「……人によるとおもう。撮影期間中ずっと役が抜けない人もいるってきいた」
「でも、シレくんは違うよな?実際今もドラマの撮影期間中だけど、役が入っているようには見えないし」
演技について詳しくない香奈太は、なぜ幼いころから演技していることが自己の形成の邪魔をすることになるのかが理解できていなかった。
普通に考えて、演じている時間より日常の方が長くなるのだから、そうそう自分を見失うほどに支障をきたすことになるとは思えないのだ。
長時間の集中なんてできない幼い子どもならば、なおさら。
「……自分がその役になったって強く思い込む。合図を決めておいて、合図があったら役が抜けるようにしてる。それがぼくのやり方」
「自己暗示ってことか。もしかして、その合図がカメラ?」
「……だいたいは監督の合図に合わせてる」
「じゃあ、カメラに対する意識が強すぎるってのはなんなんだ?」
「……カメラの位置の把握は、何を演じてても無意識でするようにされた、から、それだとおもう」
柊はドラマや映画などに出る映像俳優だ。
常に見られる方向が変化する中、その時々で最適な映り方を意識しながら演じる必要がある。
役に入り込みすぎて、カメラを無視してはいけないのだ。
柊は訓練して、自己暗示をかけた状態でもカメラの映りを意識できるようになったらしい。
「なるほどね。カメラに対する反応については分かった。まあ、そこをいじろうとして俳優業の邪魔になるのも怖いし、やっぱ自分探しをするしかないのか」
「……ん。なにをすればいい?」
「あー……」
結局、真桜からの指示に従うことになる。
ならば、と柊が具体的なことを聞いてくるが、そこで香奈太が言葉に詰まった。
香奈太は大した不自由なく生きてきた高校一年生で、好き嫌いもはっきりしてる性格だ。
自分とはなにか、という疑問を抱いたことすらない。
この度は作品を呼んで頂きありがとうございます。
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