17 ボイトレの先生(2)
瀬戸が部屋から出ていき、バタンとドアが閉まる音が部屋に響く。
部屋に残された高岡と香奈太は、思わず顔を見合わせた。
「なんかネットに恨みでもあるのか?」
「うーん。先生はネットで活動している人たちを嫌っているというのは、聞いたことがあるね」
「へぇ」
「確か、昔先生自身がアーティストとして活躍された方らしいよ。自分でボイススクールを立ち上げて、何人もの芸能人の指導を担当してきたとか」
それほど実績のある人だとは知らなかった。
実のところ、香奈太の瀬戸への印象は良くない。
これまで数回瀬戸のレッスンを受けてきたが、毎度香奈太のことを困ったやつのように扱ってくるのだ。
香奈太としては、いくら歌ってみたに参加しているとはいえ自分が素人であることはわかっているので、指導に逆らうつもりは元からない。
だが瀬戸は、香奈太が思ってることはわかっているとでも言いたげな態度で、何も言ってなくとも勝手に諌めてくる。
気分は良くないが、指導内容自体はまともなので、そういう人もいるだろうとこれまではスルーしてきた。
しかし、今日始めて他のメンバーと共にレッスンを受けたことで、その対応が香奈太に対してだけであることが判明した。
そして、最後の台詞から、その原因も明らかだ。
「もしかしなくても、ネットで活動してたせいで、俺、嫌われてる?」
「恋那丹くんには、いつもあんな感じなのかい?」
「ああ。結弦くんには違うんだな?」
「うん。僕は、今日も含めて一度もああいう言い方をされたことは無いね。澄ちゃんやユメくんたちもなかったはずだよ」
「なら、本当に俺だけか」
よっぽどネットが嫌いらしい。
とはいえ、多少嫌味な言い方をするだけでレッスンはためになっているし、テンションが下がる以外の害はなかった、これまでは。
香奈太はおもむろに近くに置いてあったスマホを手に取った。
「どうしたんだい?」
「ちょっと確認」
スマホを持ったまま、キーボードに近づいていく。
スマホのスピーカーの音量を上げると、人の話し声が聞こえてくる。
これは、先程までのレッスンの録音だ。
レッスン中はメモをとる時間がないので、許可を得てスマホで録音し、個人で練習する時などに使っている。
今流れているのは、最初の方、二人で歌う直前の会話。
『高岡さんはこの音、朝陽さんはこの音から。歌詞は大丈夫ですね。では、いきますよ1、2、3、ハイ――』
「やっぱりな」
「そこがどうしたの?」
録音の再生を止め、キーボードでいくつかの音を鳴らしていく。
それらの音の中から、聞こえてきた音と同じものを探すと、すぐにみつかった。
一緒に静かに聞いていた高岡もキーボードに近づいてきて、尋ねてきた。
「最初に歌った時、俺が音外してグダグダになったでしょ。でも、あの時俺は最初の音を間違えてなかった」
「あれ、僕が間違えてた?」
「あー、そうじゃなくて。正しい音を歌ってなかったのは俺だよ。でも、俺は先生が最初に弾いた音でちゃんと始めてる」
「あ、もしかして、先生が弾いた音が間違ってた?」
高岡には返事をせず、録音を巻き戻して先程と同じ部分を再生する。
そして、瀬戸が弾く音が聞こえるタイミングで、香奈太が正しい音の鍵盤を押す。
ふたつの音は重ならず、和音を作り出した。
「俺もたいして音感ないからすぐには分かんなかったけど、なんか変な感じがしたから」
「たしかに、先生が弾いてるのは違う音だね」
香奈太は、ハモリを歌うのに慣れているとはいえ、家では音源を聴きながらの収録だ。
その場で同時に歌うのには慣れていない。
だからこそ、正しい音程に合わせに行くことはできても、相手を正しい音に引っ張ってやることができなかった。
耳に入ってくる音に影響されやすいのだ。
その点は、瀬戸の言うように、ネットだけで活動し、独学でやってきた弊害が出たとも言える。
「わざと、なのかな?」
「さあ。ただ、あの先生、その後も何回も俺の時だけ間違った音弾いてたな」
「え、全然気づかなかった。あれ?でも、恋那丹くん、最初の1回以外ミスしてないよね?」
「聞くのやめたから」
首を捻る高岡に、肩を竦めて答える。
最初から音がズレているだろうとわかっていれば、聞かなければいいだけなのだ。
幸い、今回は緊急で入れたパートということもあって、わかりやすいハモリ方が多いので、身構えてさえいれば、主旋律から音をとれた。
最初の音が合えば、高岡も崩れることはないし、香奈太も合わせることが出来る。
「僕からすると、違う音を聞いて自分の音を取れるだけでも十分すごいと感じるんだけどね」
「先生がどう感じてたかは知らないけど、最後の感じを見るに、認めては貰えてないだろうな」
「プロデューサーに相談すれば、先生を代えて貰うこともできると思うよ?」
確かに、態度に関してはまだしも、今回のこれはレッスンの放棄ととることも出来る。
録音という証拠もあるので、真桜に言えば注意してくれるだろうし、交代も可能だろう。
色々なことを天秤にかけて考える。
結果、まだ判断できないと結論づけた。
「……いや。俺以外にはちゃんとしてるし、指導内容もまとも。実績もある人なら、代える方がデメリットがでかい。もうちょっと様子を見たい」
「そう。君がいいならそれで。でも、何かあったら言いなよ。これでも先輩だし、君よりは芸能界に詳しいからね」
「わかった。ありがとう」
高岡が優しく微笑んで言うので、香奈太も素直に礼を言った。
どこか重くなっていた空気が緩んだところで、ドアがノックの音とともに開いた。
「失礼します。高岡くん、いますかー?」
「和佳奈さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です」
「あ、よかった。朝陽くんもまだいたんですね。お疲れ様です。高岡くんは、そろそろ時間なんですけど、移動できますか?」
「すみません、すぐ準備します」
「慌てないでいいですよ~」
どうやら和佳奈は、高岡を迎えにきたようだ。
高岡がレッスンが終わってそのままだった荷物をカバンにしまう横で、香奈太は和佳奈に向き直った。
「和佳奈さん、俺にも何か用事ありました?」
「あ、そうなんです。エントランスのとこで、柊くんが待ってますよ」
「シレくんが?」
「はい。朝陽くんに用事があると言ってましたよ」
「なんか約束してたか?」
記憶の中を探るが、特に思い当たることがない。
そもそも、柊とはあのダンスレッスン以降会っていないのだ。
例のドラマの撮影が立て込んでいて、まさに今日の仕事もその撮影だったらしい。
そのドラマの撮影さえ終われば、DirectAimの方の準備に専念できるという話だが、今はまだ忙しい時期のはず。
何か連絡が来ていたかとスマホを確認しても、特にメッセージは届いていなかった。
「なんだろうね?」
「わかんないけど、まぁ、とりあえず行ってみる。結弦くんも、仕事頑張って」
「ありがとう。じゃあ、またね」
そう言って和佳奈とともに出ていく高岡を、ひらりと手を振って見送る。
香奈太も荷物を持って準備を整えると、最後に忘れ物がないかを確認してから部屋を出た。
この度は作品を呼んで頂きありがとうございます。
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