13 ひょっこり
授業の終わりを告げるチャイムがなり、開いていた教科書を閉じる。
今日は担任が休みだったため授業は課題になり、帰りのHRもない。
帰る準備をするために立ち上がりかけた香奈太を、大地が前の席から引きとめた。
「香奈太~、課題見せて~」
「いいけど、他の人とやってたんじゃなかったの」
大地と他数人の男子は、監督の教師がいないのをいいことに、机をくっつけて一緒に課題をやっていたはずだ。
そちらをちらりと見ると、なぜか全員こちらに向かって祈っていた。
他のクラスメイトから変な目で見られてるのも気にしない様子に、軽く引いた。
「あの通り誰もわかんなくて。だから学年首席様に救いを求めに来た」
「見せるから、その言い方はやめて」
「っしゃー、ありがとー!」
「どういたしまして。でも、この課題できないと次の定期テストやばいと思うけど」
「げ、まじで?」
「うん」
課題にあった問題は、どれも授業中にテストに出ると言っていた問題と数字が少し違うだけだった。
そんな指摘に絶望した顔をした大地が、ハッとなって香奈太の方を仰ぎみる。
「香奈太、この後暇だったり……」
「はあ、20分だけな」
「まじ神!」
今日もこの後レッスンが入っているが、HRもなく早く終わった関係で少し時間に余裕がある。
一緒に事務所に行こうと話していたユメには、少し教室に残るから先に行くよう連絡を入れておく。
「お前ら香奈太が教えてくれるって〜」
「え、見せてくれるだけじゃなくて教えてくれんの?」
「20分でできる範囲だけど」
「うおー、ありがとう」
あまり時間もないので、自分の解答を見せながらすぐに解説を始める。
と言っても、記述式の問題なので、計算の過程は全て解答として書いてある。
なので、香奈太は使っている公式がそもそもどんなものであるか、なぜその公式を使うのかを簡単に説明していった。
「すげ〜、わかりやすい!」
「そう?」
「マジでマジで。授業の時は聞いても眠くなるだけだったのに、香奈太のはなんかスっと入ってくる」
「ならいいけど。じゃあ、次の問題は……」
1問ずつ解説していき、次で最後の1問になる。
なんとか20分以内に終わらせられそうだ。
そういえば、ユメは連絡をちゃんと見ただろうか、と思ったその時、香奈太たち以外誰も居なくなった教室の扉が開く音がした。
誰かが忘れ物を取りに来たのだろうと音のした方を見ると、そこには何故か扉の隙間から顔だけを覗かせた柊がいた。
「……」
「……」
無言のまま教室を覗く柊。
驚きに硬直する香奈太。
突然動きを止めた香奈太に、机に向かっていた大地たちも顔を上げる。
そして、クラスの人でも、ましてや1年生でもない人の存在に全員が固まった。
しばらくの間、沈黙が教室を支配する。
香奈太たちの困惑を余所に、柊は教室を見回した後、何も言わずに廊下に消えた。
「え、ちょ、なになになに。怖いんだけど」
「あれ、俳優の柊シレだよな?そういえば、あの人も光崎だっけ」
「だとしても、普通科の教室に来たの謎すぎるだろ」
突然の事態に大地たちは理解が追いついて無い様子だった。
有名人が急に現れ無言で消えたら誰でもそうなるだろう。
(何しに来たんだあの人)
約一名、遠い目をしているが、長い前髪に隠れて誰も気づいていない。
なんとなくこそこそ話していると、再び教室の扉が開いた。
またもやひょっこり顔を出すのは、柊。
固唾を飲んで見守る大地たち。
また沈黙が続くのか、と思った時、柊が口を開いた。
「……カナタ?」
その言葉を聞いた瞬間、バッと効果音が聞こえそうな勢いで大地たちが香奈太を振り返った。
息ぴったりだな、と現実逃避のように考えるが、全員が香奈太を見ている状況ではなんの意味もなかった。
観念して柊に返事を返す。
「……どうしたんですか、梓先輩」
「……」
柊は香奈太の問いには答えず、香奈太をまじまじと観察してくる。
本当になにしに来たんだろう。
途方にくれていると、廊下から笑い声が聞こえてきた。
大体の察しが着いて思わずため息がこぼれる。
「廊下で爆笑してるの、ユメですよね?」
こくりと柊が頷く。
大方、香奈太からの連絡を見たユメが柊を連れて迎えに来たのだろう。
そして、学校での香奈太を見たことがない柊は、一発では香奈太が見分けられなかったため、廊下にいるユメに相談しに行った、と。
(よし、あいつはあとで一発殴ろう)
密かに香奈太が決意をしている間も、柊はじっと香奈太を眺めている。
何故ひたすらに喋らないのかは、本当に謎だが。
とりあえず、まだ解説が終わっておらず帰れないことを伝えなければいけない。
「今大地たちに勉強教えてるとこだったんです。あと1問で終わるんで待っててもらってもいいですか?」
「え!?いいよ、香奈太。なんかわかんないけど、柊さんと夢叶待たせてんだろ?最初言ってた20分すぎてるし、あと1問ぐらい自分たちでどうにかするよ」
「でも、最後の問題が一番色んな公式使うけど」
「ぐっ!い、いや、待たせるの悪いしどうにかする!だから香奈太は帰りな?」
「……まあ、そういうなら」
大地の勧めに従い、帰りの準備をして柊のいる扉まで行くと、未だに顔だけを扉から出している柊の後ろからユメが顔を出した。
「あれ?カナちゃんもう出れるの?」
「ああ、いける」
「じゃあ行こっか。あ、大ちゃんたちもまたねー」
大地たちに手を振るユメを、のしかかられている柊ごと外に押し出し、香奈太は教室から出ていった。
大地と数名のクラスメイトだけが教室に残される。
「……どういう関係?」
「夢叶は昔同じダンススクール通ってたって言ってたけど」
「へー、ダンスやってたんだ」
「柊シレは?」
「知らん」
大地以外は今日初めてまともに香奈太と話したようなもののため、香奈太の人間関係に盛大に疑問符を浮かべている。
しかし、大地も聞かれても分からない。
ユメ以外にも芸能科に知り合いがいるとは聞いたことがなかった。
特に気にしてないから話していないだけの気もするが。
短い間ではあるが、香奈太が世間の評価を気にしない人種であることは薄々感じていた。
「芸能科に知り合いが2人もいて、頭も良くて、ダンスも踊れるって、なにもんだよって感じだな」
「なー。髪長くて顔よく見えないし、なんでこの学校にいるのかわかんない学力してるし、なんとなくバカが話しかけちゃいけない気がしてたけど、普通に良い奴」
「マジそれな。休憩中もなんかノートに書いてるし、勉強大好きくんだと思ってたから、喋ったら印象変わったわ。勉強の教え方も上手いし」
「お前らそんなふうに思ってたのかよ。香奈太がノートに書いてんの、落書きだぜ」
大地が呆れたように言う。
香奈太は授業中に思いついたデザインなどを、休憩中にノートに書き出している。
別に隠しているわけではないが、人に話しかけられたら普通にノートを閉じて会話に応じるので、実は大地に誤解されていることに気づいていない。
「で、その香奈太さまを帰してしまったわけですけど、君はこの問題を解けるのかな?大地クーン?」
「いや、だって、人待たせてんのに、引き止めんのは、なあ?」
「そーだけど。これ俺らに解けるか?」
「やるしかないだろ」
大地たちが最後の問題を解いて帰ることができたのは、それから1時間も後のことだった。