憧れが普通になったけど
私が生まれたのは大阪堺市の包丁鍛冶屋を家業とする家です
祖父祖母、父母、父の兄弟数名と私とで暮らしていたのですが、当たり前のように家風呂は一つしかありませんでした
これ、順番に入るとすると・・・いつになるか解らない
と言うことで、いつも近所の銭湯へ父母と私の3人でよく通っていました
その2年後ぐらいに事情があってだんじり祭りで有名な大阪岸和田市へ引っ越したのですが、家が狭くなりました
家風呂はありましたが、これもいつ入れるか解らない・・・
しかし、銭湯へ行っていたはずなのですが、よくよく考えてみれば記憶にない・・・あら?
まあ、その半年後ぐらいに、父母と私の3人は手狭になった家を出て、大阪市内の府営住宅へ転居しました
それ以降、今もその界隈にずっと住んでいます
この府営住宅は細長い廊下の先にキッチンがあり、それ以外の間取りは四畳半の和室が二間と汲み取り式トイレだけでした
と言うことで家風呂がなくなってしまったので、必然的に近所の銭湯に行っていました
当時は近くに四軒も銭湯がありました
その後プレハブで六畳の和室を増築して、19歳の時に家風呂付の中層団地に建て替えになるまで、十数年の間この銭湯には通っていたことになります
そして、この銭湯に通うのが日常だった当時は、妙に家風呂に憧れを持っていました
贅沢な設備!
そんな認識でした(笑)
家風呂がある家がとても羨ましい
中層団地に建て替えになって、家風呂が出来た時、それはそれは嬉しかったです
やっと先進文明を享受できるようになった!
大袈裟ですかね?(笑)
しかしですね、銭湯に慣れている近所の年配の方なんかは、家風呂は狭いからいや、とか冬場は寒くてねぇとかの理由で、ちょくちょく銭湯へ行っておられましたね
さて、月日は流れて家風呂が普通の生活になると・・・
勝手なもので銭湯が恋しくなるのですね
銭湯は暖かいしなんといっても広い!
そう思いだした頃には・・・時代の流れで銭湯はどんどん廃業したあとだったのです
なんとも寂しいこと!
なんて、私も勝手なこと言っていますよねぇ?
よく行っていた近所の銭湯は20年ぐらい前に廃業されましたが、建物はそのまま残っています
そして堺の生家の近所の銭湯も15年ぐらい前に廃業されていたことをその前を通って知りました、これも建物はそのまま残っています
私の住む大阪の〇〇区内で〇〇浴場組合の看板が上がった建物があったのですが、数年前に看板がなくなっていました
そうかぁ・・・人口が一番多い区やのになぁ・・・銭湯は壊滅的やな・・・
また、行きたいなぁと思うころには無くなっていた
話は違うのですが、子供の頃に府営住宅に引っ越してきてから平屋や団地に長い間住んでいた私は家の中に階段があることに非常に憧れを持っていました
ええよなぁ・・・2階があるって!
今は3階建てプラス屋根裏ロフトの言わば4階建てに住んでいます・・・念願かなって家の中に階段があるのですよ!
でもねぇ・・・今は平屋の方がええよなぁ・・・と思うようになっています
そう思うお年頃になったからです(笑)
憧れが普通になると自分勝手なものですわ