後編-3-
突然の解雇にコーネリアは狼狽えた。彼女はコーネリア・ダフィーといい、ダフィー子爵の三女だ。侯爵家には8年前から仕えていた。
「エリザベートお嬢様、私は何か不手際をしましたでしょうか?」
「心当たりがないの?」
「申し訳ございません。まったくございません」
エリザベートは、少し頭を傾け、礼を取るコーネリアを見つめた。
「心当たりがないのであれば、なおさら解雇は決定ね。コーネリア、あなた、私の婚約が白紙に戻ったこと、あの女たちに言ったわね」
コーネリアはビクッと肩を震わせた。全ての使用人が固唾を飲む。
「正確には、こういったはずよ。私がサマセット侯爵の御令息から婚約破棄されたと」
コーネリアは顔をあげて取り繕うとした。
「あの、そ、そのようなこと申し上げておりません」
「私とサマセット侯爵御令息の婚約は、破棄ではなく双方合意のもとの解消です。しかも、これは王家の意向。それは、私がリチャード王弟殿下と婚約するためだからです」
ゾーイ侯爵令嬢エリザベートとサマセット侯爵令息ウィリアムとの婚約は王家の意向により、3年前に決まった。
七つある侯爵家の筆頭ゾーイ家は王の側近中の側近であり、ゾーイ家に次ぐ財力を誇るサマセット家は現王妃の出身家であるノヴァク公爵家の縁戚にあたる。サマセット侯爵の夫人がノヴァク公爵の娘なのだ。
ちなみに現王妃はかつては側妃であり、前王妃が病で死去したのち王妃となった。第一王子とフランシス・メアリー王女は前王妃腹で、生まれたばかりの第二王子が現王妃腹である。
さて、ノヴァク公爵と王家は、隣国ステンブルグとの戦争で全く異なる立場を取った。ノヴァク公爵は戦争を推進し、王家は反対の立場だったのだ。
しかしステンブルグが越境して進撃したため、なし崩し的に開戦せざる得なかったのである。ブランデンブルグ王国の戦力を侮ったステンブルグは、開戦半年で和平交渉を持ち掛け、ステンブルグが莫大な賠償金を支払うことで和平は合意した。
通常であれば、これにより開戦推進派だったノヴァク公爵家は勢いを削がれるはずだが、賠償金が目が飛び出るほど高額であったため、この賠償金で国は功績のあった兵士に報奨を出すことができたこと、さらにノヴァク公爵家出身の王妃の口添えもあり、公爵家はそれほどのダメージを受けなかったのである。
しかし金で命は買えない。
この戦争で亡くなった人的被害は大きく、それを因として王にとってノヴァク公爵家は目の上のたんこぶになった。
そのため王は。王の懐刀と言われるゾーイ侯爵家と、ノヴァク公爵家に非常に近い立場にあるサマセット侯爵家を婚姻により結ばせ、遠隔で公爵家の手綱を取ろうともくろんだのだ。
しかし、ここにきて王家には新たな問題が浮上した。王太子の病である。元々、王太子エドワードは病弱だったが、最近はほとんど公務ができず、王宮で臥せっていると言われる。やっと生まれた第二王子はまだ1歳。
王家は王太子崩御という万が一に備え、アレクサンダー王の年の離れた弟であるリチャード王弟殿下の立太子を視野に入れるようになった。
ゾーイ侯爵家の嫡男レイモンドは、宰相補佐であり、エドワード王太子の側近、さらにフランシス・メアリー王女の将来の夫で、いずれは公爵へ陞爵することが決まっている。父である侯爵共々、人望も厚くゾーイ侯爵家を慕う者は多い。
そこで王家は、ゾーイ侯爵家との関係を一層強化するため、王弟リチャードとエリザベートとの婚姻を決めた。
既にエリザベートにはサマセット侯爵令息ウィリアム、王弟殿下にはチューダー侯爵令嬢マーガレットという婚約者がいたが、王家の意向ということでサマセット家、チューダー家双方とも婚約解消を受け入れたのである。
エリザベートの婚約解消にはこうした背景があったのだ。
「え?王弟殿下とご婚約?」
「そう。つまり王家の意向による婚約解消。でもあの二人は、婚約破棄という言葉を使ったわ」
コーネリアは手を組み、いいつのった。
「た、確かに私はナーイ夫人が他の侍女にお嬢様が婚約破棄されたと話していたのを立ち聞きした。だから、ナーイ夫人や他の侍女かもしれません。つ、つまり言いつけたのは私とは限らないと思います。どうして私が疑われるのでしょう?」
「あなたしかいないから。それ以外のメイド全員には、直接、真実を伝えているの」
「え?」
「ナーイ夫人にはあなた立ち聞きするであろうと予想して、わざと婚約破棄という言葉を使ってもらったの」
コーネリアは青くなって後ずさる。
「もし私を裏切るなら、あなたしかいないと思いました」
「そ、そんな、そんなひどいです!8年もお仕えしたのに、信じて頂けないなんて!」
「8年もいるのに、主人から信頼されない方が問題でしょ!」
コーネリアはついに本性を出した。
「この侯爵家に入った方々はすぐに辞めてしまうじゃないですか?だいたい3年でいなくなる。でも私は8年もお仕えしているのに!」
ナーイ夫人がたまらず割って入った。
「お嬢様、発言をお許しいただいても?」
「ええ」
ナーイ夫人はコーネリアを見据えていった。
「あなたは何も分かってないのね。ここに8年もいることがおかしいのよ!みんなすぐに辞めるというけど、このあいだ当家から巣立ったフィリシアもリアンも、3年で侍女として完璧になったから紹介状を書いて他家に仕えるようにしたの!今、フィリシアはアンダーソン伯爵家で家政婦を、リアンはノルディ伯爵家で同じく家政婦をしているわ!」
家政婦は侍女長ともいい、家政一切を取り仕切る立場で、侍女とは別格の存在だ。
コーネリアはブルブル震えて下を向く。自分が至らないから8年もいるということが分かったからだ。
ナーイ夫人は容赦なく続けた。
「当家は厳しいです。それはね、侍女としてどこであっても仕えられるようにするためです。これはお亡くなりになった侯爵夫人のお考えでした。それを受け継いで、お嬢様も厳しく躾あそばされるわ。でもね、当家で一人前になった侍女は、どんな貴族家でもやっていけるようになる。そのお嬢様の気持ちが分からないの!」
エリザベートが口を開く。
「ステンブルグとの戦争で多くの貴族の男性が戦死しました。たった半年の戦争だったかもしれない。でも半年で仕掛けたステンブルグが和平を言い出すほど、我が国の兵士は勇敢に戦ったのです。
それだけに多くの犠牲が出ました。それは男性だけでなく女性もよ。貴族社会は女性余りになってしまった。特に下級貴族は深刻だわ。
当家では、そうした貴族家の次女や三女を出来るだけ多く雇い入れて助けてきました。それでも当家だけでは限界がある。だから、出来るだけ早く一人前にして巣立ってもらい、新たな子女を受け入れる、これを繰り返してきたのよ」
執事のジェームズが前に出る。
「お嬢様、ご発言のお許しを」
「ええ」
ジェームズが、諭すようにコーネリアに言った。
「毎朝、多くの手紙がお嬢様宛に届きます。それらは当家から巣立った侍女たちからの感謝の手紙です。
貴族子女といえども、下級貴族で侍女として働く者には家紋入りの蝋印は押せない。家から持ち出せないからです。だから紋章なしの蝋印でお嬢様に届くのです。それらのお手紙をお嬢様は一つひとつ丁寧にお読みになり、また同様に丁寧なご返信をなさいます。あなた以外の侍女は、みな、このことを知っています。
あなたは子爵家の出身だからと、男爵家出身の侍女を見下していましたね。あなたがそのような態度を取るから、他の侍女と交流が持てなかったのです」
コーネリアは崩れ落ちて泣いた。それでもエリザベートは最も大切で、きつい一言をいう。
「あなたは私が婚約破棄されたと聞いた時、したり顔をしました。はっきり表情に出ていたわ。主を嘲笑する。これは侍女として最も慎むべき行為です。
なんとかあなたを一人前の侍女にしようと思っていましたが、あなたは侍女には向かない。ダフィー子爵を呼んでいます。実家にお帰りなさい」
驚いて顔を上げたコーネリアに、表門から一人の男性が入ってきた。ダフィー子爵領は国の南端だ。遠方からエリザベートに呼ばれた子爵は長旅の疲れが顔に出ていた。
「お、お父様」
「コーネリア、帰ろう」
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい、お父様」
子爵はエリザベートに深く礼を取ると、娘を抱きかかえるようにして馬車に向かって歩いていった。