後編-2-
いきなりマリアのドレスの裾を切り始めたエリザベートに、ナーイ夫人以下、全員があっけにとられている。
ドレスの裾が広がるので、なかなかに苦労な作業だ。見かねたナーイ夫人がさらにハサミを調達し、3人がかりでマリアのドレスを足首が見えるまで裁断した。
この時代、足首が見えるドレスはない。足首を見せるというのは、女性にとって最悪に屈辱的で恥ずかしいこととされていた。最下層の雑役女中のお仕着せでさえ、足首が隠れているのだ。例えるならすっぴんで寝間着のまま国王に謁見する、あるいは下着姿で街中を歩くくらいに、不名誉であり得ないことだった。
「つぎはこちらね」
エリザベートはマリアのドレスの裾を切り終わると、容赦なくジェニーのドレスに取り掛かる。
侯爵は「わ、我々はボードルームでスコッチを飲もう」と伯爵を誘い、常になく慌てて二人で客間を後にした。
侯爵はエリザベートに愛情を注いているが、切れ者の娘、完璧令嬢の下に最強騎士なみのメンタルを隠している娘に、若干引く時があった。
マリアとジェニーは、出自の賤しさを根拠のない高慢なプライドだけで補っていた。見てくれが全てだった。自分たちが見下していたメイドたちに、汚辱にまみれた恰好を見られ、鼻で笑われることは恥辱以外にない。エリザベートはさらに傷口に塩を塗る。
「さあ、できた!お似合いね」
ジェニーが絞り出すような声でいった。
「なんでも持ってるあんたに、あたしの気持ちなんてわかるわけないわ!」
エリザベートはハサミをナーイ夫人に渡し、1歩、ジェニーに近づいて答えた。
「高貴なる者の義務。あなたには分からないでしょうね。私たち貴族は、生まれついた時から国に仕え、領民に仕え、家に仕える義務がある。領地内の道路や下水道の整備は、すべて貴族が私財を出して行っています。けっして民が納める税で賄っているわけではありません。
隣国ステンブルグとの戦争では、戦死者の数では、平民兵士よりも貴族将校・貴族兵士の死亡がずっと多かった。
貴族の婚姻は家同士で決められており、自由恋愛などあり得ないし、王家の承認が得られなければ、婚約さえできない。さまざまな制約を受けつつ、領民を、仕える者たちを飢えさせないように努力する。巷で言われる『真実の愛』とかいう、貴族と平民の恋物語など、100年に一度、あるかないかよ」
エリザベートはもう1歩、ジェニーに近づく。
「さらに女性はもっと過酷よ。何も知らないあなたは夜会に行きたいなどとほざいたけど、夜会や舞踏会は私たちにとって戦場です。
貴族にとって情報が全て。少しでも夫や家に有利な情報を得て、なおかつ恥をかかないように最大限の努力をする。足の引っ張り合いなんて日常茶飯事。こちらの考えていることを読まれたら負け。だから感情は表に出さず、口も読まれないように扇で隠して、私たちは闘っているの。
お茶会の招待状はステイタスのあかし、王妃様からの茶会招待状はプレミアム。なんとしても手に入れなくては家の沽券に係る。そのために、おべっかいや歯の浮くようなお世辞も朝飯前。少しの嫌みなど笑顔で流す。眉一つ上げただけで不快な表情をしたと揚げ足を取られ、引きつった口元を見られたら心が狭いと悪口を言われる」
さらにもう1歩、エリザベートはジェニーに近づいた。
「外国語が話せるのは当たり前、できれば外交用に三か国語は話せるように。歌とダンス、楽器演奏と絵画はできて当然。むしろプロ並みに出来なければならない。完璧なマナーは必然。古典哲学の教養は必須。そのうえ、出来て当たり前と言われることをするための努力は、いっさい見せてはならない。
そして最も大切なことは、貴族であることを心から理解し、それを呼吸するように身にまとい、自身の行動基準の中心に置けることよ。
私たち貴族令嬢は、こういう世界に生きてるの。
人の物を盗み、楽して生きることしか考えないあなたに、これができるかしら?」
ジェニーは俯いた。彼女は負けたのだ。
権力に対してではなく、エリザベートの気概に。
あるいはどんな立場だろうと、その場所で真剣に生きようとしている者しか持っていない真摯な心根に。
エリザベートは騎士に二人を連行するようにお願いすると、執事に「メイドたちを廊下に控えさせて。全員でお見送りしなければね」と命ずる。
ずらずらと玄関までの長い廊下に執事以下、全使用人が礼を取らずまっすぐに前を見て並ぶ。はっきりいって壮観だ。
騎士たちは、表玄関前に留めてある騎士団所有の馬車に、すぐに二人を連行するものと思っていたが、エリザベートが微笑んで「わずか1か月とはいえ、当家に逗留した二人に全員で最後のお別れをしたいのです」とのたまったので、まだ公開処刑は終わっていないことを悟った。騎士たちは礼を取りつつ、ゾーイ侯爵令嬢は絶対に敵に回してはならないと、心の手帳に書き留め、みなにも情報共有しようと誓った。
執事のジェームズが一番手前に立っていた。その前を後ろで手を縛られたマリアが通ると、エリザベートが後方からいった。
「執事のジェームズ・バーロー男爵。完璧な執事です。平民詐欺師は、自分宛でもない手紙を渡せと、彼に暴言を吐きました」
ジェームズの隣に立つのは家政婦のナーイ夫人だ。
「家政婦のナーイ・キャメロン伯爵夫人」
キャメロン伯爵家はゾーイ侯爵家の遠縁にあたる。
「パーラーメイドのジョアンナ・ゾアテック男爵令嬢。ゾアテック男爵の三女です。平民詐欺師が怒鳴りつけていい身分ではないわ」
侯爵家に平民は仕えていない。
表門前に留めてある騎士団の馬車まで、エリザベートは容赦なく二人が侯爵家使用人に対して行った行為を糾弾し続けた。
やっと馬車までたどり着くと、エリザベートはジェニーの肩に手をかけて振り向かせた。
「あなたには最後に一つだけ。あなたが母親に連れられ、モントゴメリー子爵家に乗り込んだ時は10歳くらいだったはず。でも覚えているでしょう?この女がやったことを。そのうえ今回は14歳。いい、これだけは覚えておきなさい。子供を悪の道に引きずりこむ親は、子のことなんて、これっぽっちも思ってないの。そういう親は、子を自分のために利用しようとしているだけなの」
結局、ジェニーは最後まで俯いたままだった。
騎士団の馬車を見送ると、ナーイ夫人から使用人を持ち場に帰してよいかと聞かれたエリザベートは「ちょっと待って」と答え、ジェニー付きの侍女だったコーネリアを探すと、その前に立ち「コーネリア、あなたを今日付けで解雇します」と宣言した。