後編-1-
エリザベートから紹介されたストラフォード伯爵は、マリアとジェニーを一瞥すると、「やあ、愛しの君!」と皮肉交じりに声をかけた。目は笑っていない。
「どういうことなの、お母さま!」
ジェニーはマリアに問い詰めるが、マリアは青くなってブルブルと震えて何も答えない。
銀髪の偉丈夫であるストラフォード伯爵はマリアを指して、「そちらの女性、確かモントゴメリー子爵夫人じゃなかったかな?」というと、指摘されたマリアは脱兎のごとく客間から逃げ出そうとしたが、騎士たちに捉えられた。
「離して、離しなさいよ!」
大暴れするマリアを見て、あっけにとられたジェニーが「どういうことなの?」と血の気の失せた顔で母親に聞いた。
「嵌められたのよ!まだ分かんないの!バカ娘!」
騎士に後ろで手を縛られ、床に膝立ちで座らされたマリアに対して、ストラフォード伯爵は、貴族らしく片方の眉だけあげて反応したが、その声色は冷ややかだ。
「嵌められた?モントゴメリー子爵家に入り込んで、子爵家をグチャグチャにしたうえ、ほとんどの現金や宝石を盗んだ女がよくいう。あれは4年前だ。その頃は前年に終わったステンブルグとの戦後処理で、どこの貴族も大変だった。私も王都と領地を何度も往復して立て直しを図っていた。モントゴメリー子爵家は、私の祖母の実家だ。そちらも大変だったようだが、私は自領にかかりっきりで余裕がなかった。それに祖母も亡くなり、疎遠になっていたこともあって、私のところへは情報が遅れてしまった」
悔しそうに己を責めるストラフォード伯爵にゾーイ侯爵が声をかけた。
「当時の貴族は、みなそうであった。伯爵はよくやった」
「閣下。そのようなお言葉を頂けるとは身に余る光栄であります。しかし、現実には当主だったモントゴメリー子爵が戦死した子爵家の現状を、私が少しでも憂う気持ちがあれば、そこの詐欺女に入りこまれることはなかったのではないかと思うと、おのれが不甲斐なくて」
冷静なストラフォード伯爵が悔しそうにわずかの間、下を向いた。しかし次には糾弾者の顔になって、しっかり前を向いて続けた。
「そのマリアとかいう詐欺師は、当主の戦死したモントゴメリー子爵家に子連れ押しかけ、自分は子爵とは愛人関係だったとのたまった。子爵夫人は病弱で大人しい方だったし、子爵令嬢も母親に似て慎ましい。大人しい二人をいいことにズケズケと上がり込み、まるで子爵夫人のように振舞ったんだ」
「ストラフォード伯爵、証拠もないのに、子爵夫人はこの者たちが居座ることを許されたのですか?」
「エリザベート嬢。モントゴメリー子爵は身を固める前の若い頃、平民の踊り子でイルマという女性に恋をしたことがあって、イルマに熱烈な恋文を書いていたのです。そうだよな?踊り子のマリア!」
全員がマリアを凝視した。マリアは下を向いて表情は見えない。
「その女は、元は踊り子でイルマの同僚だったのです。イルマが生前中、マリアに子爵の恋文を見せていたのでしょう。イルマが病気で亡くなると、その恋文を詐欺の道具に使った。マリアから手紙を見せられた子爵夫人は、確かに夫の筆跡で、子爵家の家紋入りの蠟印があったため、マリアの言葉を鵜吞みにしてしまったのです」
エリザベートは、マリアが手紙の蝋印に家紋があるかどうかを知っていた理由が分かった。
伯爵はつづける。
「それからその二人はやりたい放題です。手厚い看護が必要な子爵夫人には侍女をつけず、ほとんど放置したまま、ろくな食事を与えませんでした。そのうえ子爵令嬢は鞭を使った体罰で虐待して召使のように扱い、使用人たちは言葉の暴力と体罰で支配したそうです。子爵家に長く仕えた老執事が解雇を言い渡された日に、その足で私のタウンハウスを訪れ、妻に現状を話してくれました。その時、私は領地にいたので、妻は急いで手紙を書いてくれたものの、結局、私が王都に戻って子爵家に行った時には、詐欺女と娘は逃げた後で、屋敷内は惨憺たる状況でした。子爵夫人は衰弱し、令嬢は虐待によって精神を病み、そのうえ、金目の物は強奪されていました。
私は法務院に勤務しておりますので、恐れ多いことながら侯爵閣下に子爵家の現状を訴え、閣下の御配慮で王都警護や王都騎士団を使ってマリア親子を探しました。結果、既に王都を出奔したことは分かりましたが、その先はようとして不明でした。
しかし、マリアたちは金を使い果たしたら、また絶対に王都に戻ってくると思ったのです。
すると3か月ほど前、市中に忍ばせている者から『自分はかつて子爵夫人だった』と世迷言をぬかす女が酒場に現れたと報告がありました。
さっそく閣下に報告したところ、侯爵家には強盗の一味と思われる侍女がいて、それを泳がせているから、どうせならこの機会に悪党は一網打尽にしようとご提案されました」
さすがは最強侯爵。二兎同時狩り。
「そこで伯爵が父上になりすまして、この者たちに近づいたのですね」
エリザベートは、事前に侯爵からあらましの事情は聴いていたにもかかわらず、やや芝居めいた仕草で相槌を打った。
「そうです。わざわざ侯爵を囮にせず、市中で二人を捕縛すべきか悩みました。しかし、逃げ足だけは早い詐欺師なので、取り逃がす危険があった」
話をきったストラフォード伯爵は、じっとマリアを見る。肩で息をするマリアは額から汗が出ていた。
「逃がすわけにはいかなかったのです」
伯爵がマリアに一歩近づくのと同時に、エリザベートが叫んだ。
「伯爵!ガウンのポケットです!」
マリアは身をよじって伯爵の手から逃れようとするが、騎士に押さえつけられた。
「これは私のよ!」
伯爵がマリアのポケットから油紙で包まれた品物を取った。
「これだ!アポロンの涙!」
伯爵がシャンデリアの光に翳したのは、20カラットの見事なサファイアにダイヤモンドを周囲にあしらったブローチだ。
「これは初代モントゴメリー子爵が、爵位を賜った記念に購入した宝石で、子爵家の家宝です。私はどうしても取り返したかった。しかし、どこに隠したのか見当がつかない。たとえ捕縛できても、この女が隠し場所を吐かなければ見つからないかもしれない。
そこで、もう一度同じ状況を作っておびきだそうと思いついたものの、さすがに閣下ご自身に二人に近づいてくださいとは申し上げられませんでした。私も身内を貶めた者たちに甘い顔で近づくのは吐きそうでしたが、せめて国のために戦死された子爵に顔向けできればと思い、クズ女に近づきました。そして侯爵家に呼び寄せることに成功したのです」
エリザベートは、子爵夫人と令嬢を思うと怒りが込み上げてきた。
「騎士団にお渡しする前に、そこの女たち!」
もはや名前も呼びたくない。
「ドレスは着替えておいていってと言いたいけれど、犯罪者が袖を通したドレスなど誰も着ないわね」
イブニングドレスはオーダーなので、どれも高額だ。そのため上流貴族といえども、染め直したり、フリルを代えるなどして手直しして着用している。
「裾が広がり過ぎて、法務院の牢では歩きにくいでしょう。ナーイ夫人、ハサミを持ってきて」
「かしこまりました」
ナーイ夫人が部屋を出る。
ジェニーは目だけギラギラしてエリザベートを睨んでいたが、マリアは俯いたままだ。マリアの方が長く生きている分、自分たちが裁かれてどういう処分になるのか、あらかた想像できたのだろう。この想像力を他者に対しても持てていたら、まともに生きられたのであろうが、あいにくマリアは自分の欲望にしか興味がなかった。
ハサミを持ったナーイ夫人が部屋に戻り、エリザベートに渡した。
「騎士様たち、しっかり押さえておいてくださいね」
そういうやいなや、エリザベートはマリアのドレスの裾をジョキジョキと切り始めた。