中編
中編です。
ゾーイ侯爵家にタウンゼント銀行から多くの現金が運び込まれた日の深夜。
侯爵家のタウンハウスの裏口が開いた。
そこから小柄な人物が出てきて、音もなく裏門に走る。裏門は表門ほどではないが、そこそこ立派な鉄門で、頑丈な鍵がかけられている。
邸宅から出てきた人物は鉄門の鍵をあけ、しばし待つ。すると足音もなく、複数の男たちが集まってきた。
「明日から警備が強化されるから!」
「今夜しかねえ」
その一団が裏口に入ろうとした時。
「ごきげんよう、皆様」
エリザベートお嬢様が手に燭台を持ち、優雅に立っていた。
「今夜しかありませんものね。ヨシュア?良かったわ、こんなに分かりやすい囮にかかってくれて」
後妻マリア付きの侍女・ヨシュアから血の気が引いた。一人の盗賊がヨシュアに食ってかかる。
「どういうことだ!ヨシュア!」
同時に、エリザベートの前に邸内に隠れていた屈強な王都騎士団が駆け込んできた。
「分かっていると思うけど、完全に屋敷回りも包囲されているわ」
こういわれて、はいそうですかと大人しく投降するような盗賊団はいない。
自暴自棄になった彼らは剣を抜いて騎士団に切りかかるが、所詮は素人だ。戦闘の騎士団にかなうはずがなく、あっという間に制圧された。
騎士に後ろで手を拘束されたヨシュアにエリザベートが近づいた。
「私から盗ったサファイアのブローチ、返して下さらない?あと先月盗ったダイヤモンドの指輪も」
「そんなもの、さっさと売っちまってないよ!」
「そう。なら結構よ。サファイアとダイヤモンドは、ともに精巧な偽造品でしたの。偽造品といっても、よくできていたから、いろいろと使い道はあってね。でもいいわ。ヨシュア・デニス男爵令嬢にあげるわ」と、のたまった。
侯爵ともなれば、侍女として仕えるのは貴族の令嬢でなければならない。ヨシュアはデニス男爵の四女だった。
「ふざけんな!あんたのそういう態度が大嫌いだったんだよ!」
「そう。でもこれを知ったら、もっと私は嫌われるわね。1年前、あなたがデニス男爵家から行儀見習いとしてやってきて、しばらくしてから私はあなたを疑っていたわ。
これまで一度も他家に侍女として奉公したことがないというわりには、あなたは出来過ぎていたんですもの。
疑いが確信に変わったのは、フィッツジェラルド公爵主催の夜会で、どのドレスを着るか選んでいた時よ。
そのとき私は、出来上がったばかりのモスグリーンの華やかなドレスが着たいといったの。それに対してあなたは『グリーンのドレスですと、お庭の緑と同化してしまいますから、オフホワイトのドレスがいいと思います。キングサリの黄色と庭園にしつらえた蝋燭の光でオフホワイトのドレスが浮かび上がって、お嬢様を引き立てるでしょう』といった。
確かに公爵家の自然風景式庭園は有名です。だからあなたもそれを知っていて、ガーデンパーティーになるであろうと想像できたのかもしれないと思いました。だけどあなたは公爵家のお庭にキングサリの黄色い花の木があることまで知っていた。
公爵家の夜会に招待されるのは伯爵家以上です。下級貴族出身のあなたが過去に出たことなどあろうはずがない。
つまりあなたは、過去に公爵家の夜会に出席可能な伯爵以上の貴族に仕えたことがあるのは間違いないと思いました」
エリザベートはヨシュアを見据えたが、彼女は下を向いたままだ。構わず、エリザベートは続けた。
「次に起きた疑問は、もし仕えたことがあるのなら、なぜそれを隠すのかということでした。
その時、あなたが当家に来る前におきた、ギルフォード伯爵家強盗殺人事件に思い至りました。この事件では伯爵以下、全員が皆殺しにされたと言われています。
あなたは知らないと思うけど、貴族は雇った使用人の名簿を作って、貴族院に提出する決まりがあります。そこで私は兄に頼んで、ギルフォード伯爵家が提出した使用人名簿と、遺体の数を照合してもらいました。そしたら、侍女の数が合わなかったの。行方不明になっていた侍女の名前はジョシュアで平民出身、そしてデニス男爵からの紹介状を持っていたと記載されていた…」
相変わらずヨシュアは俯いたままだ。エリザベートは構わず続けた。
「私は、今度は法務大臣の父にデニス家を探ってもらいました。すると襲撃事件の後、デニス家は莫大な借金を返済していたことが分かりました。どこからそんなお金が出てきたのかしら。
ヨシュア、あなたがジョシュアね。偽名を使う時、人は無意識に自分の名前と似たような名前を使ってしまうと聞いたことがあります。ほんとにそうなのね。
私はお父様とお兄様に相談し、この1年間、あえて領地に帰らず、ずっとこのタウンハウスで過ごすことにしました。
あなたは知らないでしょうけど、当家にはタウンハウスが二つあってね。もう一つの方が立派なの。ここはセカンドハウスなのよ。さらにこのセカンドハウスはね、調度品から絵画を含めて全部、偽造品よ。お父様もお兄様も国の中枢で仕事してますでしょ。ここは表に出したくない打合せのためだけに使っていたの。だから万が一、襲撃が成功しても、あなたたちの手元には全くお金が入らなかったでしょうね」
ここでヨシュアはエリザベートを上目遣いで睨みつけたが、彼女は笑顔で答えた。
「1年は長かったけど、こうして犯罪者を捕縛できて、ほんとによかった。ご存じでしょうが、強盗殺人は極刑です。あなたの実家、デニス男爵家にも、今頃、騎士団が突撃しているわ。
さて、もうお会いすることはないでしょう。ではごきげんよう」
エリザベートは、ヨシュアに対してドレスをつまんで優雅に略式の礼をとった。
執事のジェームズが、エリザベートに近づいて耳打ちする。
「あのお二人を含め、全員が客間にてお嬢様をお待ちしております」
深夜の捕縛劇に、後妻マリアと義妹ジェニーも目を覚まし、他の使用人と共に客間のソファに二人並んで座っていた。
「どういうことなの?エリザベート!」
「何が起きたのよ!お姉様!」
「いえ、大したことではありませんわ。邸宅に強盗が入りそうでしたの」
エリザベートの言葉が終わる前に、マリアが血相を変えて客間を飛び出した。彼女は2階の自室として割り当てられた部屋に入ると、化粧ボックスの中からパウダーを取り出し、中身が飛散するのも構わず、底にしまい込んだ油紙で包んだ品物を確認した。
「お母様、どうなさったの?」
いきなりエリザベートに声を掛けられ、思わずマリアは、それをガウンのポケットにしまう。
「全員、階下に集まっておりますので」
「分かってるわよ!」
客間に全員が揃う。
いきなり部屋を飛び出したマリアに、ジェニーは怪訝そうな顔を向けていた。
最後に部屋に入ったエリザベートがよく通る声でいった。
「みなさま、強盗が入りそうでしたが、未遂でした」
「お姉様!お姉様の管理がなってないんじゃないの!」
「そうね、これからはあなたではなく、私が管理するわ」
エリザベートは、ソファに座ったり立ったりしながら非難する二人を無視し、ジェームズに目配せをすると、彼が廊下に控えていた騎士たちを室内に入れた。
いきなり入ってきた騎士たちに二人は狼狽えた。
「どういうこと!なんなのいったい!だんな様に言いつけるわ!」
「そうよ!」
「騒々しい」
そう言って客間に入ってきたゾーイ侯爵バーナードにエリザベート以下、使用人全員が礼を取る。マリアとジェニーを除いて。
「お父様、お帰りなさいませ」
ただマリアとジェニーだけは目を丸くして侯爵を凝視したあと、「誰よ、この人!侯爵じゃないわ!」と、マリアが怒鳴れば、ジェニーも「偽物よ!」と追随した。二人とも鬼の形相だ。
エリザベートは微笑んだ。
「あなたたちにとってはそうでしょうね。ストラフォード伯爵」
エリザベートが呼ぶと、廊下に控えていたのだろう、客間入り口から一人の男性が現れた。ストラフォード伯爵だ。
マリアとジェニーは狂喜して「だんな様!」、「お父様」と叫んだ。
「お母様、ジェニー、ご紹介します。こちらはストラフォード伯爵です。ゾーイ侯爵、つまり私の父上ではございません」
エリザベートは、自身につけられた社交界での二つ名、「氷の微笑」と言われる微笑みを、マリアとジェニーに、初めて披露したのだった。