242話 羨望
問題が解決し、リビングの椅子に座って鏡花の帰りを待っていると、紬がアイテムボックスから朝ごはんであるビーフシチューを取り出した。
俺と紬、向かい合うように皿を並べると、追加でライスも用意する。
「はい、レオさん。どうせなら師匠も一緒に食べれたらよかったけど……気を遣わせちゃったね」
「昼飯用に置いていってやったら鏡花も喜ぶと思うぞ」
「あれ? どうしたのレオさん。もしかしてまだ怒ってる?」
苦笑いを浮かべる紬に提案すると、不思議そうに聞き返される。
「俺は元々怒ってなどいない。何を言って……」
「だってさっきから僕と顔合わせてくれないよね?」
紬の言葉にびくりと体を揺らす。
バレないようにしていたつもりなのだが、まさかこんなに早く指摘されるとは思わなかった。
理由は自分でもわかっている。
傭兵団にいた頃は、言葉よりも先に拳が飛び交うことが普通の日常で、精々口汚い悪口を言い合う程度。
今日起きたような互いの思いをぶつけ合う揉め事など、経験したことがなかった。
だからだろうか。
紬の顔を見てしまうと、先程の気恥ずかしいやりとりと、最後の笑顔が頭に浮かんでしまい、どうにも上手く話せなくなってしまったのだ。
仮に今の俺を傭兵団の連中に見られたら、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、からかわれることが容易に想像できる。
しばらくはご飯に集中して、落ち着きを取り戻そうとしていたのだが……。
「顔なんてまた今度いくらでも合わせてやる。そうだなあ、次の探索の日でもいい。うん、そうしよう。だから今はご飯でも食べようか」
紬の無言のアピールが辛い。
頬杖をつきながら、こちらをじっと見てくるのだ。
「せっかく用意してくれたのに冷えたらもったいないだろ? それに早く食べないと鏡花も帰ってきてしまうぞ」
「そうだね。……今はまだいいか」
俺の話に乗ってくれと願いながら提案すると、意味深な台詞が返ってくる。
下手に聞き返して事故が起きるのは嫌だったので、聞こえないふりをして食事を始めた。
出された料理は紬と差こそあれど多くはない。
かなりペースを落として食べたつもりが、それでも紬よりも早く食べ終わってしまった。
「もう食べちゃったの。おかわりいる?」
「……もらう。次はモンスターの肉じゃなくてもいいぞ」
「わかった。ご飯を食べ終えたら、一度僕のアイテムボックスに収納してある料理渡すから、レオさんが保管しておいてよ」
「また作るのか?」
「もうそろそろ泊まり込みの探索をしてもいいかなって思ってね。モンスターの肉は出来るだけ料理にして保管しとこうと思うの。レオさんがデパートで買った料理もあるけど、どうせなら美味しいの食べたいよね」
泊まり込みか。確かにここ最近探索している階層は、迷路のようになっていたり、次の階層の扉が分かりづらかったりと、無駄なところで時間がかかるものが多かった。
階層に出るランドマーク討伐は、次の探索をした時の必要距離の縮小することが可能だが、一度目の探索が楽になるわけではない。
往復の手間を考えるのであれば、泊まり込みで探索する人が多いのも納得だ。
「僕たちもダンジョンに泊まっての攻略は、そんなに経験がないの。だからこれを機に色々と買おうと思ってるんだ」
「食べ物さえあれば後はどうにでもなるだろ?」
「女の子にはそれ以外にも色々必要なんだよ。だから明日あたりにりっちゃんと一緒に買いに行こうって話してるの。それでお願いがあるんだけど、その一部をレオさんに持っててもらうことできるかな?」
「問題ない。着替えとか今持っているのなら、預かっておこうか?」
「……レオさんのエッチ」
紬のカウンターを受けて、俺は飲んでいた水が変なところに入りむせてしまう。
そんなつもりで言ったわけではないと弁解しようにも、顔を赤くして照れる紬に言葉が出てこなかった。
しばらく固まる俺を紬が眺めて、最後にプッと笑い声を漏らす。
「……俺をからかったな?」
「ごめんごめん。でもレオさんも悪いんだよ? もっと女心を勉強するように」
冗談混じりに伝えてくる紬の言葉にぐうの音も出なかった。
いつまでも経験がないから、なんて言い訳を続けるわけにもいくまい。
なんせ今は年の近しい少女と行動を共にしているのだから。
せめて二人を不快にさせないような言動くらいは身につけたいところだ。
紬が食事を終えたタイミングで、鏡花が理沙を引き連れて帰ってきた。
「その様子だと仲直り出来たようね。どう、自覚できた?」
「うん。負けないから」
理沙が投げかけられた質問の意図は俺には理解できなかった。
だが理沙の隣に立つ鏡花は不機嫌そうに舌打ちを放つと、手をヒラヒラさせて追い払う。
「ほら! 帰った帰った。うちは今から寝るんだから邪魔すんなよな」
そう言いながら鏡花は椅子に座り、新聞を広げる。
ちらりちらりと横目で俺たちのことを気にしながらも、それ以上声をかけることはなかった。
「明日買うもの決めた? チームの預金から用意するものもあるんだからしっかりと私物は分けなきゃダメよ」
「勝負下着とかって……」
「私物です。紬、そんな子だったっけ? クラスのみんなが聞いたらびっくりするわよ」
「相手が相手だからね。わかりやすく行動することに決めたの。後で後悔なんてしたくないから」
二人の会話についていけなくなった俺は早々に離脱。
離れた位置でぼんやりと眺めていると。
「……いいなあ」
鏡花の呟きに理沙たちが反応する。
恐らくは無意識に出た言葉なのだろう。
鏡花はパッと顔を赤くして、読んでいた新聞をぐしゃぐしゃに丸めこむ。
「えっと、これは……面白い記事があったんだ……。だからあんまり気にしないで」
口ごもりながら言い訳を重ねていく鏡花の元へ、紬が歩み寄っていく。
以前教えられた鏡花の過去。
恐らくは不完全燃焼で鏡花の探索は終わってしまっているのだろう。
大切な人を失い続けた俺には痛いほど気持ちがわかる。
紬は狼狽える鏡花の前で立ち止まると。
「元々長期でギルドの幹部やるつもりはなかったよね? なら師匠も早く自由の身になってこっちにきなよ。やらかしそうなレオさんのお守りは人数いるにこしたことないんだから」
「おい、俺は子供じゃないぞ。そんな問題児みたいな言い方するのはやめてくれ」
「でもどちらかといえば鏡花さんも問題児よ。私たちの負担が増えるだけじゃないかしら?」
「うっさい馬鹿! 誰が問題児だ! うちはレオと違ってまともな大人です」
なんで俺が背中から切られた形になっているのだろうか?
手を取り合い反論すれば、わかってもらえたはずなのに……。
三対一になってしまった構図に、ぐぬぬと拳を握りしめる。
最後に紬は何かを閃いたような顔を浮かべると、鏡花の耳元に顔を寄せた。
「……僕は本気だよ。あんまり遅いと勝負する前に手遅れになっちゃうかもね」
「ちょっと待て馬鹿弟子! どういうことだ⁉︎」
「どうもこうもないよ。そのままの意味でーす。だから師匠もこれからのこと、真面目に考えた方がいいんじゃないかな?」
軽口を叩くような忠告だが、目に帯びる色は真剣だった。
紬は鏡花の弟子で、ここにいる誰よりも鏡花の今を知っている。
弟子からの心配を受けた鏡花は少し俯き、「わかってるよ」と返した。




