237話 居酒屋での揉め事
「痛っ何しやがんだこの野郎!」
『だからこんな安っぽい店に入るの嫌だったんだ。もっとマシなグレードの店に行きたいぜ』
『そんなこと言ったって、お前が店員にセクハラしたから追い出されたんだろうが。ここでも酒飲めるんだからそれで我慢しとけって』
足をかけた金髪の男が愚痴をこぼし、黒髪を縄のように編み込んでいる褐色の肌の男が注意する。
彼らの口の動きとその風貌から、日本人ではなさそうだが……。
「おい! てめえ人に足かけといて何話してんだ!」
「大丈夫ですか? うちの仲間がすいません」
黒髪の眼鏡をつけた男が悟の元に歩み寄ると、悟に向かって手を向ける。
悟の足元に淡い光が集まっていき、やがて綺麗な円を描いた。
円から小さな光の柱が立ち上がり、悟を包み込む。
「……回復魔法か?」
「この方のお友達でしょうか? うちのチームメイトが失礼なことをして申し訳ない。これ迷惑料として納めてください」
俺の呟きに反応した黒髪の男が、札束を一つこちらに渡してくる。
俺は優しく突き返すと……
「まだ売られた喧嘩を処理してない。その金は今渡さなくてもいいぞ」
「え?」
「え? じゃなくてそっちの男が喧嘩を売ってきたんだろ? あっちではちょっかいかけられる前に武器振るわれてたから少し新鮮だ。面白そうな展開じゃないか。どうせなら俺も一緒に混ぜてくれ」
「すいません。日本に来て初日で警察沙汰はこちらも避けたいんです。あなたもわかるでしょう?」
「大丈夫だ。必ず逃げ延びてみせるさ」
「……くそっ、こっちも酔っ払いだった。リーダーがいない中でこれはまずいんですよ。一般人を傷つけて問題を起こしてしまっては、わざわざ日本に来た意味がなくなるんです」
「俺に傷をつけるのか……それは少し楽しみだな」
「ひっ!」
黒髪の男の言葉に高揚して思わず殺気が漏れる。
自身の未熟を恥じて、ヒーラーの男に謝罪し魔力を練り始める。
相手が無手なのにわざわざ武器を使う必要はないだろう。
魔力で強化した体は容易に人間程度の体は破壊できる。
急所に当たればそれだけで……
『人殺しはダメよ。それと貴方から喧嘩ふっかけるのも後々不利になるからね。やるなら正当防衛を心がけるようにして』
理沙の忠告が脳裏に浮かぶ。
要は正当防衛にもっていけば全て解決なのだ。
身体強化を緩めると、怒り冷めやらぬ悟の方に歩いていき、小声で話しかける。
「……おい悟、トイレに行く予定じゃなかったのか? あっちの男が迷惑料をくれるらしい。今日のところはそこら辺で許したらどうだ?」
「だけどよ、これじゃあ俺のプライドが……」
「咲に怒られるぞ?」
簡潔に告げられた言葉だが、悟にはそれで十分だったようだ。
悟は顔を青ざめさせると、喧嘩を売ってきた連中から目を離してトイレに向かう。
金髪の男は悟の行動が予想外だったのか、小走りでトイレに駆け込む悟を見つめ、
『逃げやがった! 卑怯者の日本人はだせえな……』
『おいウィル! どうしたんだ急に倒れて?』
舐め腐った態度をとる金髪の男を覆うように魔力を展開して殺気を放つ。
格下相手にしか通用しないただの威嚇だが、どうやらこれで十分だったようだ。
泡を吹いて倒れる男を横目に、俺は口笛を吹きながらトイレへと歩いていく。
「ちょっと待ってくれ。君、今何かしたのか?」
「人聞きの悪いことは言わないでくれ。俺は飲みすぎた知り合いを介抱しただけだ。それに何かしたのはそっちの方だろ?」
黒髪男が俺を睨みつけてくるが、逆に言い返してやる。
一連の流れを見ていた店員や、順番待ちしていた客も金髪男たちを非難の目で見ていた。
周囲の空気に気がついた男は何か言い返そうとするが、それを遮るようにして褐色肌の男が詰め寄ってくる。
『相棒に魔法を使ったな? お前何者だ? 俺たちに喧嘩売るって――』
「だからいつ喧嘩を売ったんだ? 言いがかりもいいところじゃないか。俺はただ仲間の男を介抱しただけだ。お前の妄想に巻き込まないでくれ」
手が出そうになる褐色肌の男。
男の言っていることは間違っていないが、第三者から見ればどっちが悪いか明白だ。
当人が何をされたのか認識できていないのなら、晴れて正当防衛という名の反撃許可証の出番である。
憤慨する相手は拳を強く握り込む。
戦う理由ができたと、こちらも口角を上げた時、黒髪男が褐色男の肩に手を置いて制止した。
『――ニック!』
『ケイスケ、お前もこいつが何かやったってわかってんだろ?』
『……だとしてもだ。いいから今は僕の頼みを聞いてくれ。理由は後で説明する』
『チッ! わかったよ。おいお前、顔は覚えたからな』
「お前が覚えていてもきっと俺が忘れてるぞ。断言できる」
こちとらどうでもいい人間を覚えておくほど記憶力がよくないのだ。
俺の言葉を挑発と受け取ったのか、黒髪男までこちらを睨んでくる。
だがここで終わりのようだ。
褐色肌の男は、説得に渋々引き下がると捨て台詞を吐き捨てて、倒れた男を担ぎ店を後にする。
ヒーラーの男も俺に押し付けるようにして札束を渡すと、仲間の元へ歩いていった。
「……中途半端に終わってしまったな」
俺の所属していた傭兵団でも、酒の席での乱闘は日常茶飯事だった。
他の街に飲みに行って喧嘩をふっかけられたことも多々あり、仲間の報復と称してよその冒険者が乗り込んでくることも珍しくはなかった。
酒といえば喧嘩はつきもの。己の力を誇示し、周りに知らしめる。
戦士特有の《《じゃれ合い》》はここでお預けのようだ。
「あれ? レオさんあいつらどこ行った?」
「帰ったみたいだ」
暑苦しくも懐かしいそんな過去の思い出に浸っていると、トイレから出てきた悟が俺に声をかける。
「そうなのか? むかつくけどまあいいや。そろそろ時間だし店を変えて飲みに行こう」
「別にいいが、咲に連絡したのか? 後で愚痴言われるのは嫌だぞ」
「咲には後で謝るからさ……今日はパーっと飲んで嫌なことを忘れよう。とりあえず会計は……もう払ってたな。現金はあまり入れてないから、カードで支払いできるところ探そう」
「金の心配は多分いらないぞ。これ、あいつらが渡してきた。今回の迷惑料だそうだ」
「こんなに⁉︎ まじかよ。これなら好き放題飲み食い出来るぞ。店員さん! 俺たちもここら辺で帰るよ」
「はい。お会計は預かってますので、そのままお帰りください」
悟が札束を手に取り小躍りしている。
前を歩く変人の奇行を周囲にクスクスと笑われながら、俺たちも店を出て行った。
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