226話 マスターの言葉
肉片は芋虫のように動きながら一つに集まろうとしていた。
マスターは憎々しげに動く肉片を睨みつけている。
こんな光景など、エアリアルでもなかった現象だ。
エアリアルで精霊憑きの魔物を討伐したことはあるが、ここまでおかしな生き物ではなかった。
首を刎ねれば殺せるし、宿主が死ねば精霊も死ぬかその身を離れるだけだ。
「おい、お前はこれを知っていたな?」
「答えられねえよ。それよりにいちゃんどうするんだ? このままだと復活しちまうぞ」
早く仕留めねえと駄目だぞと言われるが、どの程度の出力で攻撃したら死ぬのかわからない。
肉片が残らないほど全力で攻撃すれば殺せるかもしれないが、そんなことをすれば生き埋めどころか周囲一帯、大変見通しのよい光景が広がってしまうであろう。
「仕方ない。色々試してみるか」
そうしてマスターが見守る中、奇妙なモンスターの処理にかかったのだが……何度切り払ってもモンスターが活動を止めることはなかった。
聖剣で細かく刻んでも集まって大きくなってしまうし、死んでいないので亜空間に収納することもできない。
跡形もなく消し去る必要があるのかと悩んでいると、俺のもたつきに痺れを切らしたマスターが口を開いた。
「……こいつを殺すためには、モンスターと精霊の繋がりを断たなくちゃいけねえんだ。言ってる意味わかるか?」
「全然分からん」
マスターの言葉に正直に答えたら「だろうな」と苦笑された。
モンスターと精霊の繋がりなんぞ意識したことはなかったし、俺は魔法使いでもないただの戦士だ。
剣で切るしか脳がないだけの……待てよ。
「ちょっと離れてろ」
「……俺を巻き添えにしないでくれると助かる」
聖剣の刃先でわざと自傷した俺を見て、マスターはどこかほっとしたような表情を浮かべながら遠ざかる。
指先から流れ落ちた血が聖剣に吸収されると、聖剣が輝きを放った。
精霊憑きと呼ばれる奴らとは違うが、殺しても蘇る存在を思い出した。
正義の名の下に好き勝手暴れていた者たち、太陽の教会に所属する転生勇者だ。
蘇る原理がわからない以上、効果がある保証はない。
聖剣の力を覚醒させた上で直接肉片を切りつけると――
「……これは効くのか」
「その調子で全部処理してくれにいちゃん」
一番大きな肉片を分断してみれば、切られた肉片は両者ともぴたりと動きを止めた。
最初は死んだふりをしているのでは? と思ったが、一斉に他の肉片が俺から距離をとっていったことを考えると、聖剣の解放は無駄ではなかったのだろう。
全ての肉片を処理し終えると、肉片はぐずぐずと腐り落ちていき、やがて影も形もなくなってしまった。
……少し勿体無い気もするが、あの生命力を見た後だと気軽に食べることは出来ない。
聖剣の覚醒を解きながら、一連の流れを眉ひとつ動かさずに眺めていたマスターに問いかける。
「お前は今回の襲撃を知っていたのか?」
「ああ、知っていたよ」
「……正直なんだな。てっきり答えないとばかり思ってたぞ」
「そっちこそ、こんな疑わしい男の言葉なんて信じてくれるのかい?」
マスターはアイテムボックス持ちなのか、吸い終わったタバコを消すとこちらに笑いかける。
色々と聞きたいことはあるが……。
「お前は俺に何を話せる?」
「優しいんだな」
「優しくなんてないさ。だってお前は拷問されても口は割らないんだろ?」
初めて会った時の言葉を返すと、マスターは「よくわかってるじゃねえか」と鼻を鳴らす。
マスターはしばらく考え込んだ後、逃げるつもりなのか俺に背を向けた。
「――ちょっと待て! まだ何も」
「悪いが話せることは何もないんだ。お前さんが今日の出来事に恩を感じてくれているのなら、見逃してくれると助かる」
許せないなら切り殺せとマスターから投げやりに告げられる。
一方的な物言いに、力ずくで捕えようかとも思ったが止めた。
マスターが今日の出来事にどんな関与をしているのかわからないが、助けにきてくれたことは事実だからだ。
樹に貼り付けた風の防護が反応していないことからも、素直に信じていいと思う。
「……お前も、俺を恨んでいるのか?」
背に投げかけられた言葉に、マスターは勢いよく振り返る。
振り返ったマスターは何とも言えないような表情を浮かべ、口をもごもご動かすと……。
「すまんすまん。言い忘れてたよ、にいちゃん。人生の先輩からの伝言だ。仲間は大切にしろよ。簡単に切れたと思っても、そう切れるもんじゃねえからな」
「海斗たちのことか? 今日は依頼で――」
「そんな屑のことを言ってるんじゃねえよ」
俺の言葉を遮るように答えるマスターの顔には嫌悪の色が浮かんでいた。
その後、はっとしたように無表情に戻すと再び出口に戻っていく。
マスターを見送ると、聖剣を亜空間に収納して代わりに携帯を取り出す。
気が滅入るがパーティーのルールだから仕方ない。
鉛のように重く感じる指で携帯を操作する……。
『――はい、レオさんどうしたの? もう依頼は終わった?』
『いや……その……今日の依頼でちょっとだけ切り傷負ったんだが、軽傷だから気にしないでほしい』
パーティーのルールの一つに、怪我をした時や、魔力が切れそうな時は正直に打ち明けなくてはならないと決められている。
魔力切れ寸前で痩せ我慢を続ける理沙の行動に、制限をかけるべく追加されたルールだが、まさか俺が最初に連絡することになるなんて思いもしなかった。
『そうなんだ……。もしかして誰かとトラブルでも起こしちゃった? 怪我はどのくらいの怪我なのかな? 相手は無事?』
相手は原型を留めないほど壊されて散らばっている。
だがそんなこと言えるはずもなく……。
『相手は無力化したから問題ない。怪我もナイフで刺されたくらいで――』
『今すぐ行くから! どこにいるか教えて!』
焦ったように声を張り上げる紬に、後悔しても遅かった。
仕方ないのでギルドに戻ることを告げたと同時、入り口の扉が開き、ギルドの関係者らしき人間がぞろぞろと入ってくる。
「気がつくのが遅れて申し訳ない! ギルドに通報があって出向きました」
「これは、どういうことですか? モンスターはどこに……」
先頭の青髪の男が俺に声をかけ、続いて入ってきた茶髪の女が乱入者の残骸に顔を青ざめさせる。
依頼を終えてひと段落……なんてことはなく、長い長い一日が始まった。




