222話 見守る外野
突然の魔力の奔流に、戦闘を呆気に取られて見守っていた観客の体が総毛立つ。
重力が高まったのかと錯覚するほどの圧力と共に、同じ漆黒の鎧を纏ったモンスターが五匹現れた。
豪奢な鎧に包まれた体は、遠目から見れば体格のいい戦士のように見えるだろう。
だが首から上は、見たこともないほどに醜悪だ。
先頭に立つモンスターの浅黒い顔には、前後左右に大きな目玉だけがついており、絶えず瞳の向きを動かしている。
その左には耳だけしかないモンスターが、右には横並びで鼻が並んでいるモンスターが控えていた。
「なぜワシをサキに狙うのじゃ! ワシを殺す前にアやつを仕留めろ!」
前後に大きな口がついているモンスターが老婆に近寄っていくと、慌てたように声を上げる。
「シえきできるかバアさん!」
男の言葉に老婆が投げキッスをモンスターに送る。
老婆の前にいたモンスターは、老婆の正面についてある三日月のような口を開くと、大きく息を吸い込んだ。
「ワシからはナれろ。……ダメじゃ! 言うことをキかん!」
それが老婆の最期の言葉だった。
老婆の体は漆黒の鎧に包まれた二本の腕に叩き潰される。
走馬灯を見る時間もなく老婆は事切れ、押しつぶされた肉があたり一面に散らばった。
「ありがとヨ、バアさん」
今際の際に投げ渡した扇子を男が受け取る。
男は扇子を開いて自らの体をあおぐと、空気に溶けるように姿を消してその場から移動した。
男は勇者の死に様を見届けなければならない。
この魔道具の力と、自らの魔法があればそれまで逃げ切れるはずだ。
そう確信していたのだが……。
男の行動に頭陀袋を被っている最後の一体が反応する。
体格に似合わないスピードで、部屋の壁に駆け出すと、右の拳を振り抜いた。
「何をしているんだ?」
樹は頭陀袋を被ったモンスターの奇行に眉を寄せるが、すぐに理解した。
壁に飛び散る血痕と、突然姿を現した二つに分かれた男の体。
姿を消した男の存在をモンスターは捉えたのだろう。
樹の結界をこともなげに破壊した者を、一撃で屠るその力。
青白い顔で樹は背後に声をかける。
「柚木くん、何体引き摺り込める?」
「引き摺り込んだところで、すぐに出てこられると思います。奥の手を使っても相手になるかどうか……」
「奥の手とはさっきの姿のことかい?」
「……はい。戦闘力が上がる代わりに理性が保てなくなります。付き合いのある人たちは襲わない可能性もありますが、あちらの護衛には迷惑をかけてしまうでしょう」
「それは……やめておこう。彼の邪魔にしかならないから」
伊藤は出現したモンスターよりも圧力を放っているレオを指差すと、樹は小さく首を横に振った。
樹は老婆の死亡と共に意識を失った息子の姿を見る。
彼の凶行が老婆の魔法の影響であれば、これで解放されたのであろうか?
何をしでかすかもわからない海斗を自由にさせることもできず、伊藤も護衛対象であるかなえから離れることができない。
伊藤が唇を噛み締めて策を練っていると、胸元のポケットに入れていた、卵型の魔道具が光を発する。
胸元から取り出して確認すると、魔道具は不自然に変形している。
嫌な予感がした伊藤は魔道具を手放そうとするが時すでに遅く、魔道具が破壊されると同時、伊藤の頬に春の拳がめり込んでいた。
「ギリギリセーフ。流石あたしの魔法……って、柚木何やってる? SMプレイなら後でやったげるから今は真面目に働いて」
「ふざけるな馬鹿者。その様子だとキングを使ったな? 駒はいくつ残っている?」
春は無表情ながら、額にびっしりと汗が滲んでおり、目が赤く充血している。
これは彼女が切り札をきった後の反動による姿と同じだった。
春は細かく震える手をぎゅっと握り込みながら、小声で答える。
「……クイーンが一つとルークが二つ。まだ戦えるよ」
「それならお嬢様を先に外へ避難させてやってくれ。状況は変わった。今のお前では何も出来ないだろう」
「そんなに侵入者は強かった……何あれ? 何で地上にモンスターが?」
春は振り返り、モンスターの姿を視界にいれると反射的に距離をとった。
閉じ込められているかなえの前に立ち、駒を取り出して警戒しているのは流石だと言えるが……。
「僕にもわからないが、モンスターが彼を警戒している今がチャンスだ。あれがこちらに目をつければ、お嬢様を守りきることはできない。黒峰さんの息子さんも連れてここから離れてくれ」
春はモンスターを眺め、ブルリと体を震わせる。
探索者としての経験が、生物としての本能が、あのモンスターと戦うことを拒否していた。
「……柚木はどうするの?」
「僕はここに残るよ。もしもの時は奥の手を使う予定だから、こちらは気にしないでいい」
頬をかきながら話す伊藤に、春は眉をしかめる。
それは彼が嘘をついている時の仕草だった。
伊藤は自分がこの状況をどうにか出来るとは思っていない。
そんな彼が残ると言っているのは、モンスターを討伐するためではなく、内海家の立場を守るためなのだ。
護衛が二人とも逃げて他の者達を死なせてしまえば、生き残ったとしても悪評は内海家に大きく傷を残すであろう。
だから例え役に立てなくとも、誰かが犠牲になる必要がある。
「……すぐに戻ってくるから」
「外に出たらギルドに連絡を取り付けてほしい。スタンピード対策の魔道具があれば、被害を抑えられるかもしれない」
樹が胸元から取り出した紙に、番号を書き連ねると春に手渡した。
「黒ちゃんはどうすんの?」
「僕は彼らを守っているよ。直接の攻撃を防げなくとも、戦闘の余波くらいならどうにかなるかもしれないからね。後は……レオくん! 変装も武装も解いてくれて構わない。出現したモンスターの討伐に協力してくれないか?」
樹の言葉に伊藤は驚かなかった。
あれほどの力を持つ侵入者を圧倒できる探索者など、勇者関連くらいしか考えられなかったからだ。
まあ相棒である大剣を一切使わずに、これほど強いのは予想外ではあったが……。
レオが頷いたことを確認すると、樹は反対側の壁際――倒れ伏している他の同席者の元へと走っていく。
春は自己犠牲とも言える彼らの行動に小さく舌打ちを放つ。
春はかなえを拘束していた魔法を解除すると、横になっている二人を担いで立ち上がった。
「……死んだら墓前にネギ添えてやるから」
「それは勘弁してくれ。あんな食べ物供えてもらっても嬉しくないよ」
春は頭だけ振り返り、どこかほっとしたような表情を浮かべる伊藤に脅しをかけると、出口に向かって走って行く。
春が扉を開けて外に出ると、受付や警備の人間が倒れていた。
扉の外にある警報機や、部屋の中の映像を撮っていた通信機は全て破壊されている。
「早くギルドに連絡して戻らないと……」
「――それはやめてくれ。今邪魔が入られたら困るんだ」
突然響き渡る男の声。
避ける間も無く鳩尾に衝撃がはしり、意識が遠のいていく。
「だ……れ、あんた……」
「俺かい? 俺はしがないマスターさ」
明滅する視界に映ったのは、灰色のスーツを着た一人の男。
春は男にもたれかかるようにして倒れ込むと、そのまま意識を失った。




