210話 かなえの護衛
あれから軽く自己紹介を交わし、戻ってきた樹と一緒に会場へ向かう。
かなえの存在は樹も聞いていなかったようで、目を丸くして驚いて息子と同じように帰宅を促していたが、かなえは首を縦に振らなかった。
「……よくここに来るのをお父さんが許してくれたね。心配してるんじゃないのかい?」
「大丈夫です。お父さんお付きの護衛をつけてもらっているので」
かなえがそう答えると、物陰から一組の男女が姿を現した。
灰色のスーツを着たメガネの男は、七三に分けた髪型を指で整えながらかなえに呆れたように声を送る。
「かなえお嬢様、せめてどこかに行くなら私たちに何か言ってから向かってください。お久しぶりです、黒峰さん。今日はよろしくお願いします」
「二人とも久しぶりだね。大蔵さんは今日いらっしゃっているのかい?」
「今日は来ておりません。内海家で来ているのはかなえお嬢様一人だけです」
「ごめんなさい、伊藤さん。春さんには言ってたんだけど……」
申し訳なさそうにかなえが告げると、男は隣にいたピンクの髪の女を睨みつける。
女は話を聞いていないのか、無表情で風船ガムを膨らまして遊んでいた。
「……おい、どういうことだ? こちらにはそんな情報が届いてないぞ」
「そんな時もあるさ。次頑張ろう」
「お前が悪いんだ馬鹿者! 内海家の二番護衛がそんな体たらくでどうする!」
男が女を叱りつけるが女は気にした様子はなく、黒のスーツからおかわりのガムを取り出すと口に放り込む。
ふるふると震え出した男を見兼ねて、かなえが声をかけた。
「春さんには駒をいくつか借りてますからあまり責めないであげてください。挨拶だけしたいとお願いした私が悪いんです」
妙にかしこまった喋り方で擁護するかなえの言葉を聞いて、男は小さくため息を吐く。
「クイーンで怪我を守れても、攫われる可能性はあるんです。今度からは私に一報入れてください」
それで男の怒りはおさまったようで、こちらに向かって見苦しいところをお見せしましたと謝罪した。
「君たちがいるということは、大蔵さんからは許可を得てきているんだね?」
「……残念なことにそうなります」
男は納得していないのだろう。不満げにそう告げると海斗の横にいる俺に向き直る。
「お初にお目にかかる。私の名前は伊藤柚木、内海家の一番護衛を担当しております」
「倉本春、二番護衛っす」
七三頭の男は女の態度にぴくりと反応するも、らちがあかないと察してか、これ以上注意することはなかった。
「僕の名前は田中はじめだ、です。雇われ護衛をやらせてもらっている……です」
昨日鏡花に教えてもらっただけの付け焼き刃の敬語。
完璧に使いこなした俺の言葉を聞いて、正体がバレることはないだろう。
七三の男、伊藤は眉をぴくりと反応させるが、すぐさま笑顔に戻して俺に右手を差し出す。
「田中はじめ、見たことのない顔だな。でもまあ黒峰さんが雇った護衛だ。実力の心配はしていないよ。今日はよろしく頼みます」
「春でいいよ。よろー」
伊藤と握手を交わすと、春からは挨拶がわりに丸いガムを渡してくる。
伊藤は「後で説教、今は無視」とボソボソ独り言を喋りながら、かなえに声をかけた。
「行きますよ、かなえお嬢様。入場は別々で、私どもと一緒にいてもらいます」
「今日は無理言ってごめんなさい。それじゃあこれで私は失礼します。また会場で」
「危ないからさっさと帰れ」
「こらっ、海斗! すいません。また息子と仲良くしてやってね」
部屋にいた時とは違い、他人行儀な雰囲気でかなえは早足で離れていく。
護衛の二人は、一度こちらにお辞儀をしてからかなえに着いて行った。
「……過保護な大蔵さんが許可を出すとは。何を考えてる?」
「何か気になるところがあるのか?」
「いや、関係ないな、ごめん。独り言だ。気にしないでくれ」
樹の表情から腑に落ちていないことがあるのは丸わかりだが、口を閉ざした樹からそれ以上聞くことができなかった。




