206話 憧れた背中
樹の説明でぼんやりと息子の姿が浮かんできた。
多分理紗のことが好きなあのお漏らし少年のことだろう。
魔道具を頼りに虚勢を張っていた少年とこの父親、言われてみればどこか似た雰囲気を持っている。
「恥ずかしながら中々息子に会えていなくてね。事の顛末を知ったのは昨夜なんだ」
樹の仕事は全国各地を飛び回らなければならず、妻も死別しているとあって家政婦に世話になっているらしい。
樹はギルドの幹部なのだしそのようなものなのかと気にしていなかったのだが、樹自信その現状を悔いているような話し方であった。
「別に家にいたいのならギルドを辞めればいいだろう? ギルドの幹部になる最低条件が上澄みの実力があることと聞いているぞ」
それが魔法でも研究でも同じで、周りより抜きん出た力を持っていなければなることができない。
金に眩む屑ではなくて、胸の内に一本そびえ立つ高い信念がある変人だとなお良し、というのが鏡花の言葉だ。
一般人の感性を持つ俺なんかが計り知れないほど大変なのであろう。
だがその仕事を辞めたとて、上澄みの力を持つ幹部であればいくらでも職を探せるはずだ。
にも関わらず樹は小さく首を振る。
「妻が病床に伏していた時にギルドに世話になっていてね。何より息子の為にも僕はこの立場を退くことはできない」
息子と会えないことを悔いているのに、仕事を変えることができないとは何事か?
樹は俺の顔を見て苦笑いを浮かべると、訥々と語り始めた。
地球では魔法使いの子供は、同じように魔法の才能を受け継ぐ割合が多い傾向にあるらしい。
だが樹も妻も魔法使いであるのにも関わらず、愛した息子は両親の才能を受け継ぐことはなかった。
病弱な妻を支えるために探索者を辞め、ギルドの幹部になった樹は必死で働いて治療費を稼いでいたのだが、その陰で息子である海斗は同年代の子供に、浮気女の子供と揶揄されていたらしい。
本人に直接言って来なかったのはひとえに父親がギルドの幹部だったから。
そしてそのことを樹が知ったのは、息子が東京の学校に通いたいと言い始めた時だった。
「勿論そんなことがあったからって息子が誰かを傷つけていいわけじゃない。だが息子があんな態度を取るようになったのは、肝心なところで助けてあげられなかった私の責任なんだ」
「それは分かったがなんでそんな情報まで俺に教えた?」
息子の立場としてもそんな過去なんて誰にも知られたくないだろうに。
他人に吹聴されれば今の学び舎も居づらくなる可能性がある。
樹はどこか言い辛そうに視線を泳がせる。
「その……息子が最近、君を闇討ちしてみせると息巻いているそうなんだ」
「そうか、成長したな……」
だとすれば俺の講習は、少年にとって多少なりとも意義があったのだろう。
思い出すは懐かしき傭兵団とのやり取り。
新入りが団長に夜襲を仕掛けるのは風物詩のようになっていて、その後敗北して全裸で放置されるのが一連の流れだった。
そこで新人は反骨精神を目覚めさせ、一流の戦士になるべく鍛えていく。
申し訳なさそうに告げる樹は、俺の返答を聞くとあんぐりと口を大きく開ける。
「いや、あの闇討ちなんだよ? 模擬戦で勝つとかじゃなくて……」
「正面から勝てぬ相手に不意をついて勝とうとするのは、何もおかしなことではないだろう? 俺としてはあまり好みのやり方ではないが、それを他人に強制するものでもないしな」
他人の功績で優位に立とうとしていた時を考えると立派な成長だ。
そう続けると樹は少し固まり、憑き物が落ちたような表情でソファーに背中を預ける。
「君は、何というかその……変わっているな」
「そんなことないさ。ただ人より少しだけ荒事に慣れてるだけだ」
団長に夜襲を掛けた記憶を頭の中から振り払う。
他の新人傭兵を囮にしたことで全裸放置は回避できたのだが、結果は簡単に撃退された情けない敗北の記憶だ。
俺も最初はそうだった。団長の顔に一発いいのをぶち込むために強くなり、それは最後まで叶わない願いになって……。
「息子がね、最近私に魔法を使う感覚を聞いてきたんだ。息子にとって魔法はコンプレックスの塊だったはずなのに」
「魔法を覚えようとしているのか?」
「いや、身体強化の力を勉強しているらしい。息子は君に強い憧れを抱いているようだ」
私は息子に希望を見せてあげることは出来なかったと樹は自嘲する。
樹が実力のある魔法使いとして名を馳せているのであれば、魔法の使えない子供にとって棘にしかならない。
いくら頑張っても届かない壁。
体を鍛えたところで覆せるものではないだろう。
「君の生み出した技術は息子のような立場の人間の希望になり得る。だから感謝を。秘匿出来た技術を無条件で公開してくれて本当にありがとう」
樹はソファーから立ち上がり綺麗に腰を曲げてお辞儀をする。
エアリアルでは大抵の前衛が使うことができる技術を公表しただけでこの言われよう。
照れ臭くなった俺は、机に備え付けの新品のコップに土産の酒を注いで差し出した。
「飲み物が空だろう? これでも飲むといい」
「昼間から酒は……まあいいか。今日くらいは」
樹は最初は受け取りを渋ったが、その後おずおずとグラスに手を伸ばし、ゆっくりと酒に口をつけた。




