194話 裏で動き回っていた者たち
悟とそっくりの男はレオが消えたのを確認すると、静かに歩き出す。
金閣寺ダンジョン前の庭園の端に向かい、ぼろぼろになっている熊のぬいぐるみを手に取った。
ぽとり、ぽとりとぬいぐるみに雫が落ちる。
溢れんばかりの感情を吐き出すように、悟の姿をした男はぬいぐるみを抱きしめた。
「──満足かい?」
「おや? 私を殺しにきたんですか?」
「馬鹿言ってんじゃねえよ」
目元を擦り、声の先に目を向ければ別れの挨拶を交わしたはずのマスターの姿があった。
前身黒のスーツを纏ったマスターは、胸のポケットから煙草を取り出して火をつける。
あんたも吸うかい? と煙草差し出してくるマスターに断りを入れると、感謝の言葉を送った。
「ありがとうございます。邪魔者を排除していただいて……。お陰で本懐を遂げることができました」
「そいつは良かったな」
どうでも良さそうに返すマスターにクスリと笑い、上を向く。
拭っても拭っても絶え間なく溢れてくる涙が、どれだけ悟の姿をした男の心が救われたのかを表していた。
泣きじゃくる相手を前にマスターは舌打ちを漏らして咥えていた煙草を消す。
「俺に感謝する必要はねえよ。あいつが出張るまで手を出さなかったのも事実だ。俺は俺の都合であいつを仕留めたまでよ」
「私の行動を目こぼししてくれました。感謝の気持ちは変わりません」
そう言うとマスターは恥ずかしそうに後ろを向く。
芝居がかったその仕草に嘘が下手だなあと思いながらも、悟によく似た男は自身の体から燐光が漏れていることに気がついた。
燐光は身体と服から漏れ出しており、それに伴い彼の姿が変化していく。
体格のいい男から、妙齢の女性へと。
どこか咲の面影を残す彼女はマスターに向かって声をかける。
「最後にこっちを見てくださいな」
「──なあっ! てめえ下着姿じゃねえかよ! 痴女はお断りだ!」
「お礼と言ったでしょ。うら若き乙女の下着姿です。目に焼き付けておいてください」
女は初物ですよ、と冗談を溢す。
マスターは薄目を開けて上から下まで眺めると、女の方も恥ずかしかったのか少し身をよじり……。
「胸が小さい。三十点──痛えな!」
美しいフォームで回し蹴りを喰らわせた。
マスターは避ける様子もなくまともに受け、ぶつぶつと文句を言っている。
しばらく待ち、女は自身の体から燐光とは違う大切な何が抜け出しているのを感じた。
人として、生物として大切な何かは大気に溶けることなくダンジョンに吸い込まれていく。
「そろそろ時間のようです」
マスターは何も言わない。
煙草にまた火をつけ、女から背を向けた。
女は柔らかな微笑みをたたえてマスターの元に行き、背中を優しく抱きしめた。
「最後だから言いますが、貴方は私の初恋でした」
「……趣味が悪いな」
「そうですね。私もそう思います」
マスターは咥えただけの煙草の灰が落ちないように手に持つと、女に聞こえるように舌打ちをする。
女はマスターから手を離すと、愛しい初恋の彼の頭を撫で始める。
「ガキじゃねえんだ。そんなことされても嬉しかねえんだよ」
「褒めてあげてるんです。大人しく受け止めてください。貴方が自分を嫌うのなら、代わりに私が好きでいてあげます。どうか貴方が自分を許せますように……」
まあもう私はいなくなるんですけどね、と女は自嘲する。
女の体が透けていきマスターの頭に触れることが出来なくなっても撫でることは止めなかった。
背後が透けて見えるほど透明になった時、女はちらりと首だけ振り向いた。
「……さようなら。お母さん、お父さん」
「お前さんは切り離されるだけだ。死ぬわけじゃない」
「え?」
マスターから呟くように伝えられたその言葉。
すぐには理解出来なかった。
だがマスターがとんでもない禁忌を犯したのはすぐに分かる。
何故ならダンジョンの内側に強大な魔力が集まっていたから……。
「何でそれを私なんかに教えたんですか! 私はそれを知らなくても満足してました!」
「バレンタインのお返ししてなかったろ? ついさっき思いだしたんだ。借りは返す主義でな」
女は義理チョコと書いた手作りチョコをあげたことを思い出す。
ぶっきらぼうな顔をしたマスターが食べてくれたのだが、後になって甘いものが苦手だったと知った。
借りは返すといってもこれは吊り合わない。
だって、あいつは……。
「俺のことは心配するな。お前は自分のことだけ考えてたらいい」
違う! 貴方に危険が及んでまで知りたくはなかった。
声に出すも言葉にならず。
女の体は完全に消滅してしまう。
マスターは女がいた場所に手を伸ばしかけるが、諦めたように背を向ける。
「俺を殺しにきたのか番人? 殺せるのなら殺してみろ。俺も戦士に憧れた人間だ。尻尾巻いて逃げるなんて真似はしないぞ」
そして死神と呼ばれたモンスターよりも圧力を放っている、鎧を付けた人型のモンスターに向かって不敵に笑うのだった。
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