181話 囮
近づいてくる体の小さな死神に対して咲は魔力を練り上げる。
咲の探索者時代のあだ名は磔姫。
彼女の体を起点に魔法を展開して、それに触れた者を問題無用で凍り付かせる、設置型タイプの魔法使いだ。
自らが触れたところしか魔法を設置出来ず、直接氷のつぶてを生み出して攻撃することはできない、といったデメリットがあるが、罠にかかった時の拘束力は強力で、弱い相手なら死ぬまで留めることすら可能である。
死神に魔法は効かない。
巷で言われていることだが、厳密に言えば魔法で傷をつけることが不可能なだけで、魔法の影響は死神にも発生する。
『グルゥ?』
数歩後ろに下がった彼女を追い詰めるように歩いていた死神が、不思議そうに足元を見る。
死神の足は咲の設置した魔法を踏みつけ、ふくらはぎのところまで凍りついていた。
死神は咲の方に顔を戻してニヤリと笑う。
そしてそのまま氷ついた足を無理やり引き剥がし、地面に叩きつけた。
道路が衝撃で凹み、咲の魔法の残骸が粉々になって舞い散る。
咲は一連の結果を冷静に見やりながら、駆け出した。
「私とて上級探索者。そう簡単に捕まるつもりはありません!」
死神が追いかけてくるが、彼女が設置した魔法も踏み抜いてきているため、つかず離れずの位置を保ったまま移動出来ている。
……それが気に障ったのだろうか。
死神は道路脇に置いてあった黒塗りのバイクに近づくと、大鎌の持ち手側を振り抜いた。
バイクは中型程度の大きさはあり、そこそこ重いはずだが、死神にとっては造作もないこと。
弾き飛ばされたバイクは咲の左足を掠めるようにして転がっていき、大型バスに突き刺さるようにして止まった。
予想外の攻撃に咲は体勢を崩して地面に倒れ込むと、苦悶の声を漏らす。
彼女も一人前の探索者。
人より頑丈に出来てはいるが、あのスピードで飛ばされたバイクの接触では無傷とはいかなかった。
左足の付け根から激痛が走る。
咲は涙を浮かべながら死神に目を向けた。
死神は走るのを止めると、大鎌の刃先を地面に当てながら歩いている。
舐められているのなら結構。
咲は痛みを堪えて立ち上がり、足を引きずりながら走り出した。
痛みで倒れこみそうになる体を意志の力で押さえつけ、ただ足を動かす。
魔法使いとしては優秀だが、一人では大して役に立たない。
それが巷での彼女の評価。
彼女を魔法を生かすためには、機動力のある前衛が必要で、拘束の力を活かせるような攻撃力がなくてはならない。
頼りになる前衛は既に倒れ、満身創痍の体だけが残された。
ここでふと疑問が浮かんだ。
ギルドは何をしているのだろうか?
突発的なスタンピードだとしても戦闘音が何処からも聞こえてこない。
まさか……。唇を強く噛んで嫌な考えを追い出す。
死神の気まぐれで生かされること五分。
激痛で体が震えながらも、咲は目的地である金閣寺ダンジョンに辿りついた。
咲が金閣寺ダンジョンに来ることを選んだのは、いくつか理由がある。
一つは、犠牲者を少なくするためだ。
スタンピードが発生して、あえてダンジョンに近づく馬鹿はいない。
二つ目は、ギルドの応援の力を借りること。
ここに来るまでに、この死神以外のモンスターに出会っておらず、街が壊れている様子もなかった。
突発的なスタンピードで、死神が出てくることを防げなかっただけならば、まだ勝機はあるはず。
そしてここにきた一番の理由……それは金閣寺ダンジョンに、対モンスターとしては最上級クラスの結界石が置かれてあることだ。
咲が現役だった頃は、金閣寺ダンジョンのスタンピード対処のための、予備兵としても登録されていた。
死神が相手でも魔法が通るようにするために、ギルドが大金を積んで用意した虎の子の魔道具。
仮に既に使用していたとしても、まだ時間は残っているはず……。
「……何これ?」
危機的状況なのにも関わらず、咲はポカンと口を開けて足が止まる。
戦闘痕すら見当たらない金閣寺ダンジョンの前には、大勢の探索者が倒れていた。