170話 調査報告
戻ってきた俺は一度家に帰り、鏡花の元に報告に向かった。
考える時間がほしかったのだが、鏡花は俺がダンジョンに潜るにあたって、何かあった時に対処が出来るよう、ダンジョン調査を休んでいるのであまり待たせるわけにもいかない。
それでも早朝から潜って今は夕方、かなりの時間を浪費してしまった。
ギルドの受付に声をかけると、鏡花が自室で待っているのでそちらで話をしてくれと指示される。
「……扉が直ってる」
仕事が早い。
鏡花が壊したところは綺麗に補修されていた。
部屋のチャイムを鳴らすとすぐに扉が開き、中から鏡花が顔を出したのだが、彼女は黒地のシャツの胸元と背中を掴みながら俺を出迎えた。
彼女はシャツを寄せながら握りしめているせいで、おへそあたりまで綺麗に割れた腹筋がモロに出ている。
「結構早かったな。もう集め終わったのか。報告を聞くから中に入ってくれ」
「どうしたんだその格好は?」
「これは、何でもない。気にすんな」
そう言われると気になるのが戦士の性。
よく見ると握りしめていたところに文字らしきものが書かれてある。
前を歩く鏡花の脇腹にこっそり手を伸ばし、くすぐった。
「なぁっ! 待て! レオっちょっとタンマ!」
それでも服を握る手を止めようとしない彼女はやがて限界を迎えたのか、服を握る手を離して俺のくすぐりから逃れた。
そこに見えた言葉は、ひらがなで私は酒癖の悪い女ですと書かれていた。
前を向く鏡花の耳が真っ赤になっている。
「いや、その……すまんな。ほんの出来心で……」
「……エッチ」
謝罪する俺の罪悪感を抉るように鏡花は、ボソリと呟いた。
鏡花の機嫌が戻ったのは、謝罪をしばらく繰り返した後だった。
これは扉を壊した罰なんだと簡潔に説明すると、彼女は火照った顔を冷ますように手で仰ぎながら、こちらに報告を求める。
俺も立ち入り禁止のダンジョンを、調査の名目の元、潜っている立場なので、正直に話していく。
まずは潜った階層と出現した宝石を落とす動物のことを伝えると、彼女は紙に書き込み始める。
「レオのところは猿、ネズミ、蛇か……。雑魚の猿は置いといて蛇は厄介だったろ?」
「いや、そんなことないぞ。全くもって、これっぽっちも厄介じゃなかった。楽勝と言っても良いくらいだな。苦戦なんかしてないし、逃げられることもなかった」
鏡花が書いていたペンを止めると、こちらに顔を向ける。
じっと俺の瞳を見つめる彼女に、思わず目を逸らしてしまう。
「猿か?」
「何の話だ? それからだな、店とやらに行って俺も獣人とドワーフに会ったんだが……」
「ちょい待ち。その話も後で聞きたいけど、レオが猿に逃げられた? 本当に?」
驚愕の表情を浮かべる鏡花に俺は口をつぐむ。
彼女の疑問にこちらを馬鹿にした意図はないのは分かっている。
ただ、俺の不甲斐ないところを話すのはかなり抵抗があるだけだ。
「……猿だと言って侮るのは良くないぞ。奴らは狡猾だ。それは鏡花も知っているだろ?」
エアリアルでの猿は普段は草食だが、食糧が減ってくると、お手製の槍や弓を使って小動物を狩り始める。
こちらの猿はどうか分からないが、似たようなものだろうと話を振ったのだが、彼女はそれを聞いて眉を寄せた。
「こっちの猿は草食の能天気な奴しかいないよ。武器を作って狩りを始める蛮族みたいなのはエアリアルだけだ。逃げられるほど仕留められないってのはそんなに強かったのか?」
「強く……はないが攻撃が効かなかったんだ。あんな性質を持った相手は初めてでな……」
「猿に関しての情報は少ないんだよ。もしかしたら初めて出たタイプかもしれないな。詳しく教えてくれ」
俺が分かってる範囲で猿の力を説明すると、鏡花は目をまん丸にさせて驚いていた。
他の探索者は基本的に魔法使いが戦闘をこなすことがほとんどで、猿と出会った時も魔法を使った攻撃で瞬殺したらしい。
そしてネズミとの戦闘も俺だけ変わっていたようだ。
俺には伝えられていなかったが、他の調査員にはダンジョンのドロップ品や魔石を持ち帰るように指示をしており、ネズミの餌になるようなものはほとんどなかった。
なのでネズミが出現したとしても少数で、被害は前衛が持つダンジョン武具を齧られた程度。
それもすぐに見つかって処理されたらしい。
逆に蛇は、攻撃を受け止めきれずに怪我をして退避するパーティーがいたり、少なくない怪我人が出たようだ。
そして案内人の話になったのだが、記憶を失っていた男たちが店でやらかしたことを話すと鏡花は考えこむ。
「……確かにそれはあり得るか。素行の悪さで度々問題になるような奴らだしな」
「そんな奴を調査員として雇っているのか?」
「今回ばっかりは実力で選んだんだ。強力な奴が出てきて全滅させられる可能性もあるからな。そいつらの名誉のために言っておくが、やってることは精々チンピラ風情で犯罪者ではないよ」
モテようとして女の前で格好つけようとする小物みたいなものさ、と鏡花がフォローとは言い難い言葉を続ける。
話が終わり、立ち上がる。
鏡花はお礼を言うと俺に問いかけた。
「明日からの探索はどうする? 続けるか? まあこの感じだと数日後には解放されてそうだけど」
「やることもないから継続で頼む。次も鏡花のところに報告しに来れば良いのか?」
「うちがいない可能性もあるからな……。受付から連絡して貰って予定が合う時にうちが聞きに行くよ」
鏡花の言葉に頷き、玄関に向かう。
部屋の外に出て鏡花に別れの挨拶をすると、彼女はしかめっ面で口をモニョモニョささている。
しばらく言葉を待っていると、鏡花は意を決した様子でこちらを見上げる。
「重たくなったらうちに話してくれていいんだぞ」
「何の話だ?」
「レオの過去だよ。自分から何があったのか今まで話したことはないだろ? でも辛い過去を抱えてるのは何となく分かる。だから年上の美女が一緒になって背負ってあげようって話だ!」
顔を赤くしながら、それでも真っ直ぐにこちらを見つめてくる鏡花が眩しく感じ、目を逸らす。
「……気が向いたら話すよ」
「気が向いたら話してくれ」
嬉しそうな笑顔を浮かべる鏡花に再度別れの挨拶を送り、早足で自分の部屋に戻った。