162話 勇者の沸点はかなり低め
新宿ダンジョンの二十六階。
ダンジョン隔離前は、だだっ広い草原しかなかったフィールドだが、今は木造の家がまばらに建っているのが見受けられる。
そこで俺は激昂の叫びを上げていた。
視線の先には光り輝く猿が一匹……のその手に握られている握り飯。
「このクソ猿! 俺の握り飯を返せ!」
俺の怒りを知ってか、猿は一度鳴き声を上げると握り飯を口に放り込む。
思わず猿の方へと手を伸ばした俺が面白かったのか、馬鹿にしたように手を叩いて喜んでいる。
殺……さない。抑えろ。たかだか握り飯一個取られたくらいじゃないか。
公園で老人が野良猫に餌をやっているように、寛大な心で施してやったと考えればいい。
そうして自分を諌めていると、猿に動きがあった。
後ろを向き、お尻を突き出すと、今度はパンパンと尻を叩き出す。
握りしめた拳が小刻みに震える。
大丈夫、俺は冷静だ。こいつはお腹が空いていたのかもしれない。
腹が減っている時の苦しみは、誰よりも知っている。
知能の低い猿に馬鹿にされたくらいで、怒っていると理紗たちに笑われてしまう。
まあ、今は理紗たちもいないし、配信カメラもついていないのだが……。
いかん、いかん。誰も見ていないなら、なんて自分に都合のいい考えが浮かんでしまった。
あいつが出現してから俺は攻撃をされておらず、精々食事中の食べ物を奪われただけ。
そう、紬が早起きして作ってくれた弁当を……。
無言で身体強化を施す。
体の内側で魔力を圧縮させ、お尻を叩きながらオナラをし始めた猿に気取られないようにして。
「くたばれ猿がっ!」
全力で殴り飛ばした。
猿は俺の攻撃を回避することは出来なかったが、その代わりに周囲に集まっている光が強まる。
拳に残る確かな感触。
猿は水切り石のように地面にぶつかりながら飛ばされていき、木造の建物に激突して動きを止める。
全力で強化したわけではないが、かなり強めに殴った。
だが、そうしたにも関わらず猿は崩壊した建物から傷ひとつない状態で出てきて、鼻をほじって見せた。
……こ、ろす、殺す、殺す、殺す、絶対殺す。
何なんだあいつは舐めやがって。
激情にかられて聖剣を呼び出しそうになるが、止めた。
あんな猿一匹に聖剣を使わねば勝てないのは、戦士が廃る。
ぐっと唇を噛み締めると、今度は両手の人差し指で鼻をほじり出した猿に向かって飛び込んでいった。
俺が一人で新宿ダンジョンに来るようになったのは、鏡花から伝えられた言葉が原因だった。
『ダンジョンに建造物が建ってたりと変化があったんだけどさ、基本的な出現モンスターは同じだったよ。……ただ、同じ階層のモンスターを大量に討伐してると稀に特殊な力を持っている動物が出てくるようになったんだ』
その動物を倒すことが出来たら、宝石をドロップし、宝石を集めればダンジョンに出来た新しい特殊階層──ダンジョンショップに移動することが出来るようになるらしい。
具体的な個数は調査中だが、ある程度の数
を入手すると、階層帰還用のベルの横に色違いのベルが出現し、そこに宝石を投入すると移動用の魔法陣が形成される。
そこに入ると店への転移が可能になり、ドワーフらしき男に依頼をかけれるようになる。
その話を聞いた時に俺は鏡花にダンジョン調査に加えてくれと頼み込んだ。
その店の中は映像も、写真も残すことはできなかったらしい。
あいつかどうか、確認する術がないのなら、行って確かめるしかない……が、それに理紗たちを巻き添えにするなんてできない。
名匠、ドウェル。
エアリアルにおいて絶大な人気を誇っていたその男は、俺に鎧を作ってしまったことが原因で、転生勇者に殺されたのだから……。
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