148話 変質者は確保されました
「待たせたか? じゃあ話を始めよう」
「ええ。二時間は待ちました」
「お前……は咲だったか? もういいぞ。依頼は達成だ。報酬は約束の口座に振り込んでおいてやる」
男は遅れた謝罪をすることなくこちらに歩いてくる。
皮肉混じりに女が返答するが、男は女の名前を呼ぶと手を払ってあしらう。
女が俺に名乗った名前は田中桃と言う名前で、咲という名前は初耳だ。
男の言葉に女の顔が歪んでいるところをみると、その名は本名なのかもしれない。
どうやらあまりいい関係性ではないようだ。
女は男に聞こえないくらいの舌打ちを残して、ドアの方に向かう。
「忘れてたよ。咲君、下に行って人数分の飲み物を持って来てくれ。長話になりそうなんでね」
「……分かりました。それで依頼は終了で良いですね?」
一刻も早くここから立ち去りたいのか、女は振り返ることなく返答する。
「私の分はいつもので注文してくれ。それと君は何を飲む?」
「何でも良い」
「ではそれを二人分としよう。注文は以上だ。出来るだけ急いでくれ」
「二人分の注文が残ってるぞ。全員分頼むのではなかったのか?」
俺の言葉に初老の男の表情が固まる。
女はそれを見て困ったような表情を浮かべると。
「あの……私はここで終わりですので、お二人の話に同席することはないです」
「違う。お前の横に全裸の男が二人いるだろ。そいつらの分だ」
そこで気がついた。
もしかしたら、服を着ていないこいつらは奴隷で、人として見られていないのかもしれない。
エアリアルでも、一部の重罪を犯した犯罪者が奴隷として働くことで、処刑の日程を伸ばすやり方があった。
その間は人としての尊厳を奪われて、主人に絶対服従の条件のもと利用される。
そうであれば、男たちに同情を感じる余地などないが、二人からは犯罪奴隷特有の悲壮感が漂ってこない。
「いいから早く出ていきなさい! くだらん冗談に付き合っている時間はないんでね」
男は慌てた様子で女を外に出そうとする。
女はそれを無視するように振り返り、こちらに顔を向けると。
「詳しくお聞かせ願えますか?」
わざとらしく首を傾げてそう聞いた。
「君たちへの依頼はこれで終わりだと言っただろ。ここに居座ろうとするのなら、報酬にも影響が出てくると思うがね」
「そうするならば勝手にしてください。マスターに目をつけられるよりかは百倍マシです。すいませんが、私にも分かるように説明してもらえますか?」
「説明も何も、全裸の男がお前の横にいるだろ。……まさか見えてないのか?」
女は初老の男の相手をせずにこちらに問いかける。
そして俺の言葉に顔を引き攣らせると……。
「霊感があるって話ではないですよね」
そう言いながら横に向かって手を伸ばすが、伸ばした先にいた男──短髪で横側を刈り上げた若者がブリッジをして回避する。
地面に手をついた時に音は発生せず、女は気がつかない。
空中で何度か手を彷徨わせると、諦めたように咲はこちらに顔を向けた。
「……誰もいないようです」
「それ見たことか! くだらん戯言は止めて本題に入るぞ。今日君を呼んだのは……」
「下だ。今、お前の手の下にいる」
「お前って……咲でいいですよ。それが本名ですから」
女、咲は俺の言葉にむっとしながら手を下ろす。
男はブリッジをした状態で蜘蛛のように移動し避けようとしたが、移動先にあった夕飯のゴミを纏めていたビニール袋を右手で潰してしまう。
そこで咲も気がついたのだろう。
目を細めると今度は反対側に向かって勢いよく蹴りを放った。
ブリッジで回避するといった奇行を、心配そうに見つめていたもう一人の若者は、避けることが出来ずに胸を蹴り飛ばされる。
そこまでダメージはないのか、蹴られた坊主頭の若者は、驚いたような表情を浮かべながら地面に倒れ込んだ。
その時にも物音は聞こえなかったが、蹴った感触から確信を得たのだろう。
咲は初老の男に鋭い視線を向ける。
「これは一体どういうことですか? 私が受けた依頼は、あなたが勇者と二人っきりで話せるように場を設けることです。部外者の乱入は条件にありませんが? でもまあ、あったとしても依頼を受けることはないでしょうけどね」
「何でも屋風情が調子に乗るな! 全てを説明する必要はない!」
「……そうですか」
初老の男はわなわなと震えながら反論する。
咲は感情の読めない平坦な声で答えると、咲を中心に少しずつ地面が凍りついていく。
「な……何をしてる! 私は依頼主だぞ!」
「怪我をするほどに凍らせるつもりはありません。侵入者を捕らえたら魔法を解きます」
その言葉通り、咲の魔法は俺の靴を凍らせる程度に抑えられている。
試しに足を上げようとすると、靴底が地面に残ってしまった。
「……やるんじゃなかった」
「侵入者を捕らえたら魔法を解くと説明しましたよね? なんでじっとしてくれないんですか! ステップを踏まないでください! 一応、私も魔法使いとしてのプライドがあるんです」
壊れた靴を亜空間に仕舞い、凍りつく地面に素足を張り付かせて剥がす遊びをしていたところ、咲から注意が飛ぶ。
二人の男は逃げきれずに捕まり、足を固められている。
咲は拘束された二人の位置を確認すると、初老の男に微笑みかける。
「隠蔽用の魔道具を破壊されるか、大人しく隠蔽を解くか、どっちにしますか?」
その言葉に初老の男は諦めたようにがっくりと項垂れると、隠蔽を解くように指示を出した。