145話 不審者からの手紙
金曜日の夕方時はかなり人が多いので、変装した方がいいと、冬梅から助言をもらい、黒髪と度の入っていないメガネを装備して外に出る。
つけ髭とかつらも装着したかったのだが、あの姿は勇者の師匠として有名になってしまったため、普段は使用禁止になってしまった。
外はまだ明るく、昼の蒸し暑さとは違い、過ごしやすく感じる気温にまで収まっていた。
でもまあ、エアリアルでは火の精霊の影響が強い土地は、こちらの比にならないくらい熱くなるので、少しばかり温度が上がったところで、比較的快適には感じるのだが……。
エアリアルで旅をしていた時にそのような環境の土地を横断したことがあるが、身体強化を常に行なっていなければ、まともに行動することは出来なかった。
他に精霊の影響が強い場所には、落雷が常時発生している土地や、強風と一緒に風の刃が飛んでくる島といった場所があり、少し名残惜しくは……ないな。
そんな場所住んでいる魔物は、特異な進化を遂げている場合が多く、体の中に属性石を持っていることが多い。
金を稼ぐにはいいのだが、そんなことに行かずともダンジョンで属性石を回収できるため、わざわざそんな場所があっても行く必要はないだろう。
顔を赤らめながら、千鳥足で歩く男を避けつつ、今日の晩御飯を探していく。
今日は、質より量を食べたい気分だ。
いい仕事を終えた後だから、満腹になるまで、腹に食べ物を詰め込みたい。
安い値段でも地球の食べ物は満足のいく味が提供されるため、あまり心配はしていない。
逆に心配なのは、高級な飯屋に入ってお金が足りなくなることだ。
それだけは避けないといけ──足をもつれさせて、こちらに倒れ込んできた女性を受け止める。
そして俺のポケットに伸ばそうとしていた手を掴み上げると……。
「スリなら他をあたれ。俺のポケットに財布なんぞ入れていないぞ?」
「すいません。手が滑ってしまいました」
悪びれもなくそう話す女は、肩口ほどまで伸びている黒髪で、灰色のスーツを着ていた。
化粧は薄く、黒縁のメガネを装着しており、その身なりから普通に働いている人と区別がつかない。
女はお金に困ってそうには見えず、スリに慣れてそうでもない。
なんせ、膨らんでいないポケットに手をいれようとしたのだから。
女は捕まれた手を動かそうとするが、無理だと悟ると苦笑いを浮かべて。
「あの、手を開いてもいいですか?」
女の拳は握った状態で俺に掴まれている。
これはエアリアル時代の癖で、過去に手のひらの中に毒を隠し持っていた輩がいたことで、やるようになった防ぎ方だった。
その時相手は毒が入った小瓶を持っていたが、こうやって無力化すれば、毒は最初に相手の手の中で飛散することになるし、回避する時間も出来る。
握りこんだ感触から相手が固形物を持っていないことを確認すると、手を離す。
「常習犯ではなさそうだから、これで許してやるが、また俺に手を出して来るようなら警邏の人間に突き出すぞ」
こちらもかなり腹が減っていたため、女をどうこうする時間がもったいなかった。
何も奪われることもなかったし、女性を突き出しても取り合ってくれない可能性すらある。
まあこの程度の腕前じゃあ、また同じヘマをして捕まるだろうが、それは俺には関係ない。
固まる女を放置して歩き出す。
手軽に食べれる軽食を買ってつまみながら、食べ物屋を探していると、後ろから声をかけられる。
「待ちなさい!」
声の主はさっきの女で、俺の前で腰を曲げ、乱れた息を整えている。
「なんだ、またお前か。優しさで見逃してやったんだから、どっか行ってろ。物乞いならもっと金を持ってそうなやつに頼め」
その言葉で顔を上げた女は、すごい形相でこちらを睨み、右手を前に出す。
握りこんでいた拳を開くと一枚の紙が見えた。
「私の依頼主からの伝言です。まどろっこしいことはせずに、最初からこうするべきでした」
「そうだったのか? こそ泥の類だと思ったぞ」
女は青筋を立てて震えながら、俺の手を取って紙を握らせる。
折りたたまれた紙を開くと、何やら言葉が書かれているようだった。
内容を一読し、俺は鼻で笑う。
そして女に紙を突き返すと……。
「依頼主に言っとけ。お前は俺を買いかぶっているとな」
「あなた、無視して切り抜けるつもりですか? 外野の私が言うのもなんですが、それはやめておいた方がいいかと……。断るなら何か理由をつけてくれれば、こちらから話を通すことも出来ますけど?」
受け取ってないと思われると、こちらも報酬を貰えないので、どうぞ持ち帰ってくださいと押しつけられる。
……全く、本当に知らないようだ。
説明しようとするが、周囲から視線を感じる。
周りを見ると多くの人が立ち止まり、こちらに好奇の眼差しを送っていた。
酔っ払いと思われる集団から、痴話喧嘩が始まったのかと野次が飛び、こちらを煽るような言葉が飛び交う。
女はそれに気がついていないのか、理由を説明をしてくれるまで帰れない、と言い張っていて、その言葉がまた周囲を騒つかせる。
「あっ! ちょっと……」
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女の手を取りながらしばらく歩いていくと、人気のない裏路地に到着する。
手を離せば、女は少しこちらを警戒するように距離をとった。
「何なんですか、こんなところに連れて来て……」
「お前が説明しろって言ったんじゃないのか?」
「そうですけど、あちらで話せば良かったじゃないですか。こんな人気のない場所に移動する必要があったんですか?」
「結構な数から携帯を向けられてたからな」
携帯には映像や写真を残せる機能があるから気をつけろ、と鏡花から忠告されており、俺も今は変装している立場のため、あまり目立つ真似をしたくなかった。
「……そうでしたか。それはすみませんでした。ですが私も一緒に連れてきてくれたということは、理由を説明してくれるのですか?」
「まずは一つ聞きたい。これを書いたやつは誰だ?」
「それは、言えません。私も依頼内容の守秘義務があります。私はただの運び屋ですから」
「まずはそれが理由の一つだな。俺に用があるのに顔を見せずに、他人を寄越すようなやつは信用ならん。それと……」
そこで言葉を止め、紙を広げて女の方に向ける。
「何なんでしょうか? 私に文句を言われても困ります。私は部外者で──」
「何が書かれているのかさっぱり分からん。それが一番の理由だ」
女の言葉を遮るようにして伝えると、ふっと表情が抜け落ちたように変化する。
そして少しずつ体の震えが大きくなっていき……。
「それを早く言いなさい!」
女の叫びが人気のない裏路地に響き渡った。
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