真琴の気持ち
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―――私は、お嬢様を裏切っています。
春名のその言葉に頭が真っ白になる。どういうことなのか理解できない。
裏切る…? その意味が全く理解できず、わたしは言葉すら発することができなかった。
春名はとても真剣だ。決して噓を言っているようには見えない。ゲーム世界に転生したとはいえ、幼いころから一緒にいた春名がどうして裏切っていると言えるだろうか。わたしが知る春名はもちろん推しになるほど、可愛くて、一生懸命で、健気だ。
信じられないという表情をしていたのだろう、わたしのその表情を見て春名は顔をとても辛そうに、くしゃりと歪めた。
「私はお嬢様と初めてお会いした時から、春名家の人間としてお嬢様のすべての行動が七宮家として相応しいかどうか、そして今後、春名家が不利にならないようにお嬢様に関するすべての報告を義務付けられていました」
苦しげな表情をする春名を見て、ああ本当のことなんだ、と実感する。
簡単に言えば、春名は侍女でなく、スパイだったわけだ。
きゅっと心が締め付けられる。
「でも、なぜ今になってわたしに告白したのかしら?」
わたしの声が震えているのが分かる。ずっと近くにいて、信頼している大好きな存在がとても遠くに行ってしまったような感覚だ。それほど、わたしにとって春名はゲームの中のただの推しでなく、大切な存在だということが嫌でもわかる。
「自己満足なのは十分理解しています。私はずっと悩んできました。私のためにお嬢様は心を砕いてくださるのに、私はそれに見合うようなことを返しておりません。それどころかお嬢様の言動一つ一つを未来の春名家のために報告しておりました。お嬢様を七宮家の道具としてみていた私はお嬢様に相応しい人間ではありません」
春名の告白に上手な返しが思いつかない。
「本当に申し訳ありませんでした」
そう言って春名は深々と頭を下げた。
「今までの責任を取り、お嬢様の傍を離れることをお許しください」
頭を下げながら言うと、顔をゆっくりと上げ、そのまま部屋から出ていってしまった。
わたしは去っていく春名に言葉をかけることができなかった。
「眠れなかった…」
睡眠不足の頭を横に振りながら教室へと入る。
衝撃の告白をされ、わたしは裏切られて腹が立ったわけではなかった。部屋から出ていった春名の辛そうな顔を思い起こすと、とてもじゃないが怒る気になれなかった。どうするのが正解だったのか、ベッドの中でもんもんと考えていたら朝になった。いつもなら「おはようございます、お嬢様」という言葉とともに迎えてくれたが、今朝は別のお手伝いがやってきた。春名が離れていってしまったということを嫌でも思い知る。
もうすぐ冬休みなので、クラスメイトは浮き足立っているが、わたしの心はかなり乱れている。学校に登校してからも春名を見ていない。わたしは、ため息を一つついた。
「おはよう。今日は真琴さんと一緒に来てないの?」
わたしが席に着くや否や、隣の席である主人公が声をかけてきた。春名を真琴呼びしていることは気になるが、つっこむ気力がない。
「春名は本人の申し出から、解任になったのです」
嘘をつく必要もないので正直に話すと、主人公はかなり驚いた顔をしていた。それはそうだ、ずっと一緒だった春名がいなくなるとは普通思わないだろう。
「…もしかしてあのことって…。春名さんは、その…理由とかは何か言ってたの?」
「裏切っていたので責任を取りたい、と…」
「責任、ね…。真琴さんらしいけど…」
腕を組んで唸りながら主人公は言う。何か知っているのだろうか? と、じっと見ていると、主人公は真剣な顔つきになって言った。
「ホームルームまでまだ時間あるよね? 少し時間いい?」
主人公に誘われるがまま、中庭に付いてきた。昼には昼食を広げる学生が多く賑わっているが、朝の中庭は教室棟から少し遠いこともあり、用事がない限りは近づくような場所ではない。なので、今は人一人いない。誰にも聞かれたくないような話をするときにはもってこいの場所だ。
「ここなら大丈夫だ。―――さて」
本当に人がいないか念のためにあたりを見渡し、確認する。主人公は花壇近くのベンチに座るようにわたしに勧めてきた。わたしも、勧められるがままベンチに腰掛ける。
「確認なんだけど、真琴さんは、七宮さんを自分の事情で裏切っていたから、”やめる”と言ったんだよね?」
「ええ、確かにそう言ってたわ」
――お嬢様を七宮家の道具としてみていた私はお嬢様に相応しい人間ではありません。
その時の情景と春名の言葉が再現され、胸が苦しくなったわたしはきゅっと拳を握った。
「それは、少し違っていると俺は思うんだ。本当の真琴さんの気持ちは、決して”やめる”ことを望んでいるわけではないと思うよ」
「本当の…春名の気持ち?」
わたしが聞き返すと、主人公はゆっくり、そして大きく頷いた。
「昨日、真琴さんから相談を受けたんだ。大切な人を裏切っている、自分自身は辞めたいと思っているけれど、…とても怖いって」
「それは、どういう…」
「君に自分のしていることが知られて、軽蔑されて嫌われることが怖くてたまらないということだよ」
わたしは目を見開く。主人公に指摘されるまで、春名自身の気持ちをきちんと考えてこなかったことに気付く。自分のことばかり考えていて、とても恥ずかしくなった。
「真琴さんは多分、軽蔑される自分を見たくないんだと思う。責任を取る、という意味もあるとは思うけど…。だから、君の元を去ることにしたんじゃないかな。七宮さんは、真琴さんに告白されて、どう思った? 腹が立った? 幻滅した?」
わたしは首を横に振る。告白をされて、ただ純粋に――――悲しかった。
春名が春名家のために動いていたと言っていたことは本当なのかもしれないが、一緒にいてわたしを大切に思ってくれていることは十分に伝わっていた。だから、裏切る云々に対する気持ちよりも離れていってしまった悲しみの方が大きい。主人公と話して自分の気持ちをきちんと整理できた気がした。わたしは答える。
「なぜ”解任”という選択肢しか取れなかったのか、という怒りはありますが、春名に幻滅するなんてことはありません。春名はわたしの大切な存在なのです」
そうわたしが言うと、主人公はにこりと笑った。
「真琴さんは、おそらく君の気持ちを聞くことから逃げているという方が大きいと思う。あの子の中で君はとても、とてつもなく大切な存在だだから、事情があるけれど裏切ることに罪悪感を感じ続けていたんじゃないかな。だから、君に伝えたんだと思う。―――七宮さんも真琴さんのことを大切だと思っているならば、それを本人に伝えてあげてほしい。」
わたしはしっかりと頷いた。
わたしは春名に伝えたい。そんなこと関係ない、と。わたしは貴女が大切で大好きなのだと。
―――春名に会わなければ。
そう決意した。