7. リューと世界史の教科書
「おふざけはやめて勉強しなさい!」
言われて、2階の自室に駆け込む。
まずいことしちゃったみたい。
「おふざけって言われたよね」
「これから、いろいろな分からないことを聞いていくのは難しそうですね」
勉強しなさいと言われたし、この世界について勉強しないといけないのは確かなのだけれど。いきなり何を勉強すればいいんだろう。寝室でしばらく歩き回った後、机に向かう。
昨日目についた四角いものが目に入る。手に持ってみると、ぱらぱらとめくれる。中にはびっしりと文字が書き込まれている。光沢があって光っているけど、これ紙だ。ってことは、これは本かな。
表紙を開いて、本文1ページ目を読む。
「――――、――――、――?」
だめだ、読めない。くねくねした文字と、四角っぽくて複雑な形の文字が交じり合って並んでいる。a,b,c,…のアルファベットで書かれた僕の知っている文字とは大違いだ。
「これ、読むの苦労しそう」
ん、よく思い出してみると、この世界は文字で溢れてる。さっき見た、父親の男の人が持っていたねずみ色の紙、そのわきに置いてあった色とりどりの紙の山、みな文字でいっぱいだった。そして、この部屋にある大量の本。
この世界では文字が読めることが当たり前みたいだ。しかも、この世界の常識を聞くことはできない。そうなると、書物を読めるようになってそれで勉強するしかないのか……。
「けど、こんな複雑な文字、僕には無理だよ」
「あきらめないでください」
「どういうこと?」
「この本、仕掛けがあります。まず、この本の文字は一文字一文字が独立しています」
うん、確かに。
『21□□○□○○、□□□□○、……、□○○○○?』
「『、』で意味の区切り、『。』や『?』『!』で一文の終わりです。『?』まで、意識して目で追ってみてください。最初は指でなぞって構いません」
ええと、やってみよ。左から右に指でなぞって、と。
“21世紀に生きる、現代□□の我々にとって、歴史を学ぶ意義は何だろうか? What is the significance for contemporary □□’s us, living in 21st century, to study the history of the world ?”
「わ、文字が浮かび上がってきた! もしかして、よく知った文字で書かれた言葉に翻訳できる?」
「そうみたいですね」
「次、浮かび上がった文の“□□”の部分、これは固有名詞、地名や人の名前です。分からない単語は翻訳されません。今度は意味が分からなかった部分を読みます。また紙に書かれた文を見てください。文字を意識しながら、一単語、一単語に区切っていきます」
『21世紀に』“21世紀に in 21st century”
/『生きる』“生きる live”
/『現代』“現代の contemporary age”
/『日本の』“□□の □□’s”
/『我々にとって』“我々にとってfor us”
/……。
「文全体の訳で、文字が浮かんでこなくて”□□”になった部分と、単語で区切って読んだときのまだ知らない単語、ここでは、『日本の』”□□’s”が対応しています。つまり、ざっと読んで大まかな意味を取り、次に部分を区切って読んでいって、分からなかった単語、『□□』という言葉や文字を、書物の他の部分を読むなりして意味を調べて」
「改めて、全体を読んでみる……と」
「この『日本』というのは、今私たちのいる国の名前です」
「分からない単語が複数並んでいて、区切れなかったときは?」
「表紙の文字で試してみましょう」
表紙には3文字、大きく字が書かれている。
□□□
「3文字あります。文字を意識して」
『世界史』
「3文字を区切ってみます。まずは前1文字と後ろ2文字に」
『世』“□” /『界史』“□□”
「次は前2文字と後ろ1文字に」
『世界』”世界 world” /『史』“歴史 history”
「くっつけてみましょう」
「『世界の歴史』って意味かな」
“the history of the world= 世界史 the world’s history”
「一度意味が分かった単語は、一単語として浮かび上がります。もちろん、文字を意識して区切って読めば、各々の意味も分かります」
「便利な本だね。さっそく他の部分でも試してみよ、っと」
本の右上を見る。
『高等学校世界史教科書』
『世界史』“the world’s history”は分かるから、
『高等学校』”□□□□” /『世界史』“世界史 the world’s history” /『教科書』“□□□”
まず文字数の少ない方から区切ってみよ。
『教科書』
を、
『教科』/『書』
っと。で『書』は、
『書』“書くこと to write; 文字 letter, character; 本、書物 book; 書道、カリグラフィー calligraphy”
「意味が確定できないときは、複数の訳語が浮かんできます」
これをヒントに、2つの言葉の意味の組み合わせを探るわけだ。
けれど、あれ、どうしたって無理だ。『教科』の意味が分からない。
「『教科』と『書』、2つ合わせてテキストブックtextbookって意味です」
うん。聖職者の学校とかで使うっていうやつだ。
次、先頭の部分。
『高等学校』
区切って、
『高』“高い high” /『等』”等しい equal; など and so on” /『学校』“学校、学び舎 school”
で、前半は、『高等』で一単語かな。「高い等しさ」じゃ意味をなさない。
『高等』“上級の high level”
じゃ、『高等学校』は、「上の水準の学校」かな。
『高等学校』“□□□□”
「あれ、一単語にならない」
「リューが『そのもの』を知らないからです。くっつけてできた単語が指す『そのもの自体』を知らないと、一つの単語としては認識されません。ついでに、くっつけて作ろうと思った単語が存在しない場合も。そのものを知るのが第一、つまり、この世界のことを知らないといけない。本だけじゃダメということです」
「さらに言うと、ここにことわざ辞典っていうのがありますね。いわゆることわざや慣用句が典型ですが、単語の組み合わせや、文中での使い方で、思ってもみない意味になってしまうことがあるので注意です」
「シャリア、よく知ってるね」
「ええ、リューが1階で驚いて走り回ってる間に試しておきました」
「そ、そうだね。短時間でやったにしては詳しすぎるレベルだけど」
ああ、文字が読めてよかった。隣村の聖職者のお兄さんには感謝だなあ。日曜にお祈りに行くと、午後、子供たちに字を教えてくれたんだった。木の枝で地面に書いて。a,b,cから始めて、簡単な言葉を順番に。最後は聖典もちょっと読ませてもらった。「文字を読む」ということそのものができなければ、この便利な本も使えなかったからね。
お兄さん、今頃大丈夫かなあ。魔王軍の襲撃を逃れて、生き残っていてほしい。
さて、改めて。世界史の教科書を読んでみよう。骨が折れそうだけれど。
まず、前書き。“21世紀に生きる、現代日本の我々にとって、歴史を学ぶ意義は何だろうか?”
本の最後、奥付を読む。”202X年X月X日発行” つまり、今僕がいるのは「日本」という国で、時代は21世紀、こちらの暦で202X年ということらしい。
本の末尾の方も読んでみる。「『地球』“terra”規模の課題に立ち向かうために、我々は、……」 つまり、この世界は「地球」という。
最後の方は分量の割に内容が濃い。最初から順を追って読まなきゃダメみたい。
改めて、先頭から。最初の方は、僕らの世界じゃ想像もできないような昔のこと、次は遺跡の絵が並ぶ。うん、苦痛。飛ばし読み。
ぱらぱらとページをめくり続け、見たような街並みを見つける。何となくだけれど、首都の街並みに似ている。見慣れた様式の絵も。教会に描いてあったのとそっくりだ。
時代を見ると、「中世」となっている。国名なんかはだいぶ違うけど、生活様式は僕らの世界と似たような感じ。僕らの世界の歴史だと、「中世」は4000年くらい続いてることになっている。対して、こちらの世界は、っと。この本長い、もう年表!
ルネサンス、近世、近代、そして現代と、時を追うごとに、科学技術が進歩し、歴史の動きが加速して……。
「で、科学技術の発展の結果が、今見てきた、ぜいたくで、へんてこりんな生活だ」
「そういうことですね」
本から目を上げる。気が付けば背中が痛い。太もももしびれている。そりゃそうだ。おぼろげにしか意味のつかめない、知らない言葉の本を、何時間も動かず座りっぱなしで読んでたんだから。元の世界だと動いて働き続けるのが普通だった。ずっと同じ姿勢で座っているのって疲れる。
休憩しよ。正午くらいじゃないかな。立ち上がって、歩いて、伸びーー。うん。ちょっと良くなった。
階下から大きな声。
「お昼ですよ」
ん、わざわざ言う?
「そうだね」
「そうだね、じゃありません!お昼ごはん準備したから、早く下りてきて食べなさい」
「また食事があるの!」
「何とぼけたことを! 早く……」
「ごめんなさい!」
お腹いっぱいだよ、と思ったけれど。触ってみるとぺこぺこだ。この体は一日に何回も食事を取るのが当たり前みたい。そりゃこの体型にもなるよ。
うん、我慢できない。僕は階下に下りていく。
なぜ異世界から来た人物への翻訳が英語なのか。理由は簡単、作者は英語しかできないからです。いや、英語も十分できるかと言われるとあやしいですが。
本当は、主人公は俗ラテン語っぽいナーロッパの古い言葉を話しています。あれ、1か所だけ、翻訳先の言語が違うところがありますね。まあ気にしないで行きましょう。