1. 生け贄リュー
「リューよ」
がらんとした高い天井の広間、祭壇の上から、低い声が響く。
「そなたを生け贄に、勇者召喚の儀式を行う」
僕は祭壇の前、冷たい石の床に描かれた魔法陣の真ん中へと進む。王様、大魔導師様が見下ろしている。魔法陣に追加の模様が描かれていく。
真夜中を告げる声がする。
「リューよ、床に手をついて平伏せよ」
魔法陣がうっすらと光り始めた。
ごめんね、お母さん。何もできない息子で。
今日、僕は消えちゃうんだ、勇者召喚の生け贄として。この年、13歳で親より先に逝くなんて、親不孝者だね。お母さんに、大きくなった姿、見せたかったよ。
けれど、これは世界のためなんだ。勇者召喚には生け贄がいるんだ。僕の故郷の村を焼いた、悪い魔王を倒すため。伝説の勇者なら、きっと敵を討ってくれる。勇者が魔王を倒したら、息子を犠牲に差し出して世界を救ってくれた母親だって、母さん、よくしてもらえるから。きっと今までよりましな暮らしができるよ。
でも、やっぱり悲しいかな、人に褒められるたび、ずっと思い出し続けるなんて。
もう変えられないんだ。ごめんね、母さん、許して。
どうしてだろう、目が熱くなって涙がこぼれる。覚悟は決めたはずなのに。今までの記憶が駆け巡るよ。
忘れもしない、あの日。魔王軍が故郷の村を襲った日を。
ハーフエルフの小さな村、森の中にあるその村に僕は生まれた。たのもしい父さんと、しっかり者の母さん、かわいい妹、そして僕。家族4人で、つつましく、質素に、けれど平和に暮らしていた。鳥の声、木々のざわめき、台所から流れる料理の香り、すべてが懐かしい。数年前、まだ小さな頃、古の魔王が封印を破って復活したと大人たちが話し始めた。大人たちは心配していたけれど、子供だった僕は、ふうん、とだけ聞いていた。
雲行きが怪しくなってきたのは1年ほど前だ。前にも増して、大人たちは魔王について話していた。どうやら、魔王が軍を組織して、魔王城のある死の森の周りの町を襲い始めたらしい。
「この村も死の森から遠くない。襲われるかもしれない」
「準備するに越したことはない。村を空堀で囲って、柵をめぐらそう」
農作業の合間に、大人たちは防御を固め、のどかな村の姿は物々しいものに変わっていった。
そんなある日、人間の軍隊がやってきた。先頭に立った、馬に乗った隊長の騎士は、ハーフエルフの村人たちに、協力してほしいと頼み込んできた。村を守ってやるからと、村の食料を供出させ、村の防御を強めるよう改造するのだと、男手を取り立てた。
数日後、まだ村を砦としても使えないような頃、物見やぐらから、森の向こうをゴブリンの大軍が移動しているのが見えた。人間の軍隊は門を開け放ち、偵察隊を出した。すぐに戻ってきた偵察隊を追って、ゴブリンの群れがやってくる。
「女子供は逃げろ!」
隊長が命令した。
「早く!」
父さんにも急かされて、女たちと子供たちは、村を出た。振り返ると、父さんは頷いていた。これが父さんとの最後の別れになるなんて、思ってもみなかった。
僕たちが森に逃げ込んですぐ、ゴブリンの群れが、開かれた門から村になだれ込んだ。間もなく、村から火の手が上がる。次々と、家々は炎に包まれていった。剣の触れ合う音、弓矢が射かけられる音がしばらく続いた後、人間たちが囲いを破って走り出てきた。続いて男たちも。ゴブリンの叫び声がその後を追った。
一瞬の出来事だった。人間たちは集団で森の彼方へと走り去り、ゴブリンの群れがそれを追跡していく。初めから、人間の軍隊の目的は一つだったんだ。目立たせた村に、馬鹿なゴブリンを誘い込んで家々を楯にして戦い、最後は丸ごと焼いてしまう。そして、防御を固めていた僕たちの村は、それに利用された。
男たちは、僕らが隠れたのとは別の方向に、ばらばらになって走っていった。残ったゴブリンの目を、僕らからそらすためだ。
息をひそめて過ごした夜の後、僕らは森を出た。変わり果てた村、焼き尽くされ、黒こげになった村で、僕は呆然と立ち尽くしていた。
村の食料は、人間の軍隊が持って逃げていった。残ったのはわずかな種もみだけ。残された種もみから収穫できる来年の食料は決まっている。あぶれた人々は村を出るしかなかった。
人間の王国の首都に向かって歩き始めた。人間の軍隊にもてあそばれたけれど、僕ら弱いハーフエルフには、人間に助けを求めるしかなかったんだ。
途中の村々も、魔王軍との戦いで荒廃していた。なんとかその日の食料を買うお金を稼ぎながら旅を続けたけれど、弱った村の人々は、飢えで、病で、はたまた野盗に遭って、数を減らしていった。
やっと着いた首都でも、苦しさは変わらない。各地から集まった避難民で街は溢れかえり、仕事と食料の奪い合いになっていた。日銭を稼ぐのがやっと。路地裏で寝起きし、朝から晩まで働いたけれど、僕らは見る間に痩せ細り、ついに、幼い妹は流行り病で高熱を出し、次の日には冷たくなっていた。
小さな妹の体は、城壁の外に掘られた深い穴に、他の貧民と一緒に埋められた。城内への帰り道、ちょうど城門をくぐるところで母さんに言った。
「母さんだけは、何としても」
「いえ、リュー、お前だけは生き残って」
「リューというのか」
上から声が降ってきた。
見上げると、城壁の中間に作られた守衛所の窓から騎士がのぞいていた。
「リューというのだな」
言いながら、守衛所から降りてきた。がっしりとした体つきをしていた。
「女、その子供、譲ってくれないか」
「何をいきなり。たとえ王室の騎士の方でも、子供を渡すことなど」
「銀貨5枚でどうだ」
「売れというのですか。一体何を思って」
「魔王を倒す、伝説の勇者を召喚するために。生け贄が必要なのだ」
「なおのこと絶対にできません、我が子を生け贄になんて。たとえ魔王を倒すためとはいえ」
「逆らうなら奪うまでだ」
「母さん、僕行くよ。僕、何もできない子供だけど、村を襲った魔王を倒すために役に立てるなら何でもする」
「リュー、やめて、そんなこと言わないで」
「それに、銀貨5枚あれば、母さん生き延びられるよ」
「子供も言っているんだ。もう諦めろ」
すがる母さんを僕から振りほどき、銀貨5枚を放り投げると、兵士たちを呼んで、僕を王宮へと連れて行かせた。
「絶対にこのことは口外するなよ。勇者召喚は、敵に知られてはならない秘密の切り札だからな」
その日、初めて王宮に入ったよ。村での質素な暮らしでは考えられないような豪華な広間。破れた服から、真新しい、きれいに染められた服に着替えさせられた。通された部屋で給仕が持ってきたのは、白い小麦のパン。祭礼のときしか食べられないような。寝室にはふかふかのベッド。村では藁に薄い布をかけただけだった。羊毛だけでこんなにふかふかのベッドなんて初めて。生け贄に使うのだから、最後くらい、いいものを体験させてやろうっていう気づかいだったんだね。
翌日、またも豪華な朝食の後で、玉座の間で王様に謁見した。王様は、光沢のある、紺に染められた布(たぶん話に聞く絹というものだろう)で作られた服を着て、たくさんの宝石がちりばめられた王冠をかぶっていた。長い黒ひげが威厳を感じさせたよ。隣に立つのは王宮の大魔導師様。
「リューという名でよいのだな」
「はい、リューです。いえ、リューと申します」
「よい名だ。そなたは勇者召喚の儀式の生け贄に使われる。覚悟はよいな」
「はい」
「勇者召喚は、異世界から勇者になる人を呼び出す王家秘伝の儀式。魔王を倒す勇者のために己を捧げる、至上の名誉と心得よ」
「そなたに、伴として妖精を授けよう。シャリア」
大魔導師の手から、光の球が飛んでくる。
「勇者召喚の儀式は今日の真夜中。それまで覚悟が揺らがぬように過ごすがよい」
あと12時間の命。
日が暮れるまで一日、妖精を従えて、諸々の儀式をして過ごした。
夕方、一際豪華な饗宴が催されると、あとは自室に帰された。
窓際に備え付けられた椅子に座り、夜空を見上げる。今日のうちに、天に昇った妹と同じ場所に行くのだろうか、いや想像したくないけれど、生け贄は魂を消されるのだろうか。今日与えられた妖精、シャリアを指に乗せながら、物思いにふけった。
シャリアは普段は光の球に蝶の羽が生えたような見た目をしているけれど、見つめると持ち主の見たいと望む人の顔を持った小人に見えてくる。最初見つめたときは妹の顔に見えた、次は母さんの顔。さすがにそれは母さんの今後を思うと辛すぎる、やめてくれと言って、今は誰の顔ともつかない、ハーフエルフの女の人の顔に見えるようにしてもらっている。
「シャリアは、今日会ったばかりの僕と一緒に消えるんだよね」
「ええ」
「悲しくはない?」
「いえ、それが定めですから。」
今日出会ったばかりの妖精と最後の会話を交わすって、なにか不思議だ。
夜が更け、月が高く昇っていく。
「リュー、儀式の時間だ。召喚の間へ」
扉が開かれた。
そして今、こうして魔法陣の真ん中に平伏している。
「リュー、刻限だ」
大魔導師の声が響く。真夜中を告げる鐘が鳴る。
これでおしまいだ。ありがとう、そしてごめんなさい。
「手をつき、頭を垂れよ」
ああ、どんな儀式なのだろうか、そして最期はどんな方法なのだろうか。斬撃か、射撃か、あるいは魔法か。魔法なら即のやつがいい。
「額を地に付けて」
「デア・フォルトゥナエ、モヴァ・シングリ・リューイス・インテル・テラム・エト・ムンドゥム・ノストルム!」
シングリ? リューイス? テラ?
まぶしい光が僕を包む。何も見えない。そのまま視界は真っ白に染まる。
呪文、語法も文法も滅茶苦茶です。雰囲気で読んで下さい。正しい表現が分かる方は、感想欄で優しく教えていただけるとありがたいです。