file.2「鬼柳あきらの調査ファイル」
未来が予知できるという探偵、仙堂大介の元で助手として働くことになったユキ。
ミッションとして渡されたのは…セーラー服!
美少年鬼柳あきらの調査を任命される。
1 プロローグ
どんっ!
背中には、ひんやりと冷たい壁。それとは対照的に身体が熱い。
壁に追い詰められ、両腕で逃げられないように閉じ込められてしまった。
(ああああ、どうしよう!
どうしよう…、どうしよう!どうしたらいいの私!
仙堂さん…! 助けて……!)
同じ人間とは思えないような、まるでお人形さんのような色素の薄い、美しい瞳が私を見下ろしている。汗で濡れた前髪がなだらかな額に張り付いて、長い睫毛や、泣きぼくろまでもがはっきり見える。
(本当に……綺麗な男の子。)
白く、細長い指が頬に触れた。美しい手だけど
手のひらは剣道の鍛錬で固く、タコが出来ていた。
それがなんだか、男の子らしく感じてドキドキする。
顔が近づいてくる。
美しくて、息をするのも忘れそうになる。
「…ねぇ、教えてよ。君は誰なの?」
と、美しい声が耳元で囁いた。
(ああ、お母さん、ごめんなさい!)
(私もう…、逮捕されてもかまわない…!)
ユキはぎゅっと目を閉じた。
2
神鳴町は東京と神奈川の県境に位置する小さな町だ。
仙堂大介の探偵事務所は『昭和ビル』という古びた三階建てのビルの二階に入っていた。名前通り、昭和に建てられたビルらしい。レトロな雰囲気が漂っていた。
三階は個室が3部屋。小さなお風呂もついていて、それぞれ人が住めるようになっていた。
ユキはその一室を住居として借りることになった。
(今日から、1人暮らし!)
ユキは新生活に期待を膨らませながら今日から自分の城となる部屋のドアを開けた。
「……うっ!?」
高校を卒業して一カ月ちょっとの無垢な少女の淡い期待はガラガラと音を立てて砕けて行った。部屋はガラクタだらけの物置…というよりゴミ捨て場と言った方がふさわしい。仙堂は事務所で寝泊まりしているらしく、すべての部屋を好きなように使っていいと言われたがそれは、つまりすべて掃除しろという意味か…と絶句した。
住み込みのアルバイトと言われたときは少し戸惑ったが、今こそ、自立する時なのだと思い承諾した。母の元を離れるさみしい気持ちもあったが、家賃や光熱費などもいらないと言われむしろ良い機会だと思った。
母親には長年付き合っている人がいて何度か再婚を申し込まれていることをユキは知っていた。母が「娘がいるから…」と再婚を断っているのが心苦しかった。3人で何度か食事に連れて行ってもらった感じでは良い人だと思うし結婚は反対ではない。
だからと言って今さらよく知らないおじさんを「お父さん」だなんて呼ぶ気にもなれず、複雑な気持ちだった。自分が家を出るなら、それが好機だと思う。
子供の頃の、両親と一緒に写っている写真は持ち出してきた。犬のぬいぐるみと一緒にとりあえずダンボールの上に置いておく。ユキは走り出るゴキブリに心が折れそうになったが、よし!と袖をまくりガラクタ山に立ち向かう決意をした。
ダンボール山が増えたり減ったり…歩くのもやっとだったガラクタ山に、まともに住めるようになったのはまるまる一週間後だった。物をざっくり分類して箱に詰めて、積み上げただけだが床を綺麗に吹きあげるだけで見違えるように綺麗になった。
「ん~~~~~! スッキリした! よしっ!お昼にしよう!」
軽快な足取りで階段をくだっていく。昭和ビルの1Fは『純喫茶メトロノーム』という古い喫茶店だ。自動演奏のピアノが置いてあって、たまに生音の演奏が流れていた。昭和レトロを感じる雰囲気でいかにも白髪のおじいちゃんが経営してそうな店だったが店主は意外にも若いしっとりとした美人だった。
「あら、ユキちゃん。いらっしゃい。」
「金原くん。ごくろうさま。」
仙堂と談笑していた美人…店主の日向美奈子は祖父から店を継いで一人で店を切り盛りしている。客の常連のほとんどは彼女のファンなのではないだろうか。色白で色気があって、儚げでおっとりした口調が癒される。そして背が高くて胸も大きくて、スタイルがいい。
ユキは床に落とされた大福のような…埃まみれの自分がみっともなくて恥ずかしくなってしまった。シングルマザーらしく、ユキが母子家庭育ちであることがわかってから随分気にかけてくれている。
「…おつかれさまです。」
「それでは、ご馳走様でした。」
仙堂が席を立つ。ユキは一緒に食事を取りたいと思っていたが
仙堂は生活が不規則でなかなか一緒にはならなかった。
ユキはちらっと仙堂の背中を見た。
ドアを開けて出ていくという寸前で視線に気が付いたかのように店を出る前に振り返った。
「金原くん。ちょっとお使いを頼みたいので昼休みが終わったら事務所に来てくれるかな。」
「あ、はい!わかりました!」
「ゆっくりでいいからね。美奈子さん、私につけておいてください。」
「わ、悪いので大丈夫です…!」
「ユキちゃん、今日は何にする?」
「あ、えーと、オムライスでお願いします。」
美奈子に声をかけられて、ドアの方を見たら仙堂はもういなかった。
助手と言うからもっと色々と頼まれるのかと思っていたが
この一週間はほとんど部屋の掃除と犬の世話だけで拍子抜けしていた。
探偵と聞くと、刺激的な事件を想像するが
だいたいは不倫の調査や、行方不明のペット探しなどあまり事件性の無いものがほとんどらしい。たまに、警察官の知人から事件などの情報が回ってくるらしいがそれはやはり稀だし、そういう事件は仙堂が動くらしい。
「は~い、お待たせしました。」
身体を動かした心地よい疲れにぼーっとしている間にケチャップの美味しい香りがしてきた。美奈子が運んできたオムライスにはハートマークが書かれていた。いちいち可愛らしいことをする美奈子に、女性として勝てる気がしない。
ユキは勝手な敗北感を感じ少し落ち込んだが、大きめのスプーンで絶妙のとろとろ加減に焼かれた半熟卵とチキン入りのケチャップライスを口いっぱいに頬張ると思わず「美味しいっ!」と叫ばずにはいられなかった。美奈子は目を輝かせるユキを満足そうに眺めた。
ユキが食べ物を頬張る姿はやはりどこか小動物じみている。丸く、柔らかい頬が膨らむのが赤子じみて可愛らしくて美奈子はいつか触れてみたいと密かに願っていた。見つめられてユキは恥ずかしい気持ちになる。
「……なんですか?」
「ううん、なんでもない。」
「ユキちゃんて本当に可愛いわぁ。うちの娘もあなたくらい素直だったらいいんだけど…。」
「そ、そんなことないですよ…。」
「娘さん、おいくつなんですか?」
「11歳。クールっていうか……しっかりし過ぎててねぇ。可愛げないのよ、うちの子。」
「はぁ…良いじゃないですか。」
「しっかりしなさい」とは母によく言われた言葉だ。母親とは、結局のところ何かしら言いたいものなのだろうなぁと苦笑いした。談笑している内にオムライスはあっという間に消えていった。
「ご馳走さまでした!」
「は~い、ありがとう。」
仙堂は支払いを月末にまとめているらしく、ユキの飲食代もつけておいていいと言われている。が、さすがに毎回それは悪いので払おうとしたが美奈子に支払おうとしたが。
「だめよ、ユキちゃん。男性の気持ちを無下にしちゃ。」
と手を握られて笑ってやんわりと突き返された。なんだか、その言い方がとても色っぽくてドキドキした。男性にご飯をご馳走になることも慣れておらず、居心地の悪い気持ちになってしまうユキをうぶで可愛らしい娘だと美奈子は微笑ましく思っていた。
3 はじめてのミッション
お腹が満たされたユキは機嫌よく事務所に戻った。
事務所の中はまだ手付かずなのでまだまだ散らかっている。
片付けの達成感は心地よかった。次は事務所を片付けよう。
あと、事務所の看板犬ルドルフも洗ってあげよう。
窓を背に古い革張りのオフィスチェアに座る仙堂の足元で大きなモップ…もとい看板犬のルドルフが大人しく眠っていた。
いつものように、煙草の煙をゆっくりと燻らせながら、目を閉じてゆったりと深呼吸をしていた。ラジオが細い音量でBGMとして流しっぱなしになっている。そういえば、さっきの喫茶店でも同じ番組だった。
これは、未来を予知するための儀式なのだ。
まだ信じられないが、仙堂には未来が視えるという。
じっと見ていると、独り言を言ってクスクスと笑い出した。
「…ふふっ、ははは。そうかそうか…。」
何がおかしいのか、気になりながら煙草の火を消すタイミングを見て声をかける。
「……仙堂さん、お昼ご飯、ご馳走さまでした。」
「いえいえ、こちらこそ。片付けご苦労様でした。」
「何か、面白いことがあるんですか?」
「ん? まあね。まあ……後でわかるよ。
そんなことより、綺麗にしてくれて、ありがとう。」
ユキは『面白い事』が気になったが褒められたことが嬉しくて照れ笑いをした。
仕事とはいえやはりお礼を言われると嬉しいものだ。仙堂が褒めてくれると、ユキは胸が温かい気持ちになる。無自覚だが、父を持たないがゆえのファザコンの気が強かった。
「それでは金原くん。お願いがあるんだけど。」
「はい! 何でもいってください!」
ユキは頼まれたことを機嫌よく、喜んでこなすつもりだったが仙堂に差し出されたものを見て「何でも」と言ったことを後悔した。
「これを着て、聖龍学園に行ってきてほしい。」
差し出された紙袋を見ると、セーラー服のようなものが入っていた。
いぶかしげに取り出してみたが、それはやはりセーラー服だった。
上品なブルーに深紅のスカーフ。丁寧にソックスや革靴まで揃っていた。
「私がこれを着てって…」
これを着て、庶民オーラ丸出しの自分が
あのお金持ちの子息が通う高校へ…。
ユキは想像しただけで違和感に身震いがした。
「…冗談ですよね?」
「いや、本気だよ。」
「……えーーーーー!?」
「ムッ、ムリですよ!」
「さっき何でもって言ったじゃないか。」
「大丈夫さ、ちょっと行って、ちょっと写真とか撮ってきてくれたらいいから。」
まるでたい焼きでもお使いに頼むかのような軽やかさだ。
「そ、それって犯罪じゃないんですか?」
「まぁ、捕まったら不法侵入と盗撮にはなるかな。大丈夫、絶対捕まらないから。」
「ム、ムリですぅ~~~~!」
知らない高校に制服着て忍び込むなんてハードルが高すぎる。
突然かつ困難な指令にユキは涙目になった。
途端に、仙堂は真面目な顔になる。
「ユキちゃん。これは人助けなんだよ。
「……君にしか頼めないんだ。」
仙堂がユキを見つめた。黒い瞳が子犬のようにユキを見つめた。
背後にゴールデンレトリバーの子犬が見えた。
きゅ~ん、きゅい~ん、と飼い主を求める切なげな鳴き声が聞こえる。
「そんなのムリです! 絶対ムリです!
そんな大胆なこと、私には絶対できません!」
「………どうしても、だめ…?」
仙堂の表情はまったく変わらなかったが、
背後のゴールデンレトリバーの子犬が雨に打たれて、このままでは死んでしまう様子が見えた。きゅぅーんきゅーん…という幻聴が弱っていく。
意とは反して、ゆっくりと頭が下がっていく
「…………わ、わかり…ました…。」
「何かあったら、助けてくれるんですよね?」
「もちろん。ありがとう。」
仙堂は、嬉しそうに笑った。
ユキは自分の断れない性格を心底呪った。
ラジオDJが優雅な昼下がりを演出するように、軽やかな語り口で語りかけてくる。
『今日は映画音楽特集。最初のリクエストはミッションインポッシブルのテーマソングです。さあ、プロの仕事をしよう!って気がしますね。では、お昼からもお仕事頑張りましょう!』
3
ユキが卒業した高校はブレザーだった。中学校はセーラー服だったので、なんだかなつかしい感じがした。名門高校だからかスカートは長め。仙堂に渡されたメガネをかけて、髪をふたつにおさげに編み込んだ。野暮ったさが際立つ。
時刻は放課後。下校する生徒に逆行して忘れ物を取りに帰るフリをして忍び込む。
学校から少し離れた所で仙堂の車から降ろされた。ユキはドキドキしながら歩きだす。
「それでは…行ってまいります…。」
校舎から少し離れた所で降りて、自信なさげに歩き出す。
「あっ、ユキちゃん。」
「…はい?」
振り返ると仙堂は難しい顔をして少し黙っていた。ユキの方、というよりはユキの腰のあたりを見ていた。ユキはやっぱり辞めよう、と仙堂が心変わりしてこのミッションが中止になることを期待したが少し瞳を閉じた後、笑ってユキを送りだした。
「……いや。やっぱり何でもない。
とっても可愛いよ。そのまま行ってくれ。」
期待とは違ったものの『可愛い』と褒められたことに有頂天になり、頑張ろう! と意気込んで校門へと向かった。こほん、と咳払いをする。
「あ~~~ん、もう~~~、
ノート忘れちゃった~~~~~!」
「私ってば、本当に忘れっぽいんだからな~~
も~~~~~~、困っちゃうなぁ~~~~」
意気込みとは反比例するように演技がヘタクソすぎてユキは絶望的な気持ちになった。
いかめしい顔をした中年の守衛が立っている。
(お願い、お願い、無事に入れますように…。)
平静を装ってみるが、心臓はドキドキしている。
空の鞄を持つ手にじわりと汗がにじむ。
守衛の前を通り過ぎる。と。
「あー、きみ。」
呼び止められて、ユキはぎくりとする。
「……は、はい!」
中年の守衛が、じっとユキを見ていた。
バレた? 通報? 逮捕?
新聞が高速で印刷されるイメージが頭を駆け巡る。
18歳 女を逮捕。見出しは「美少年を撮りたかった。」
逮捕されて、新聞に載って、母に泣かれる嫌な妄想が一瞬で駆け巡ったが…
守衛の中年男性はなにやら言いにくそうに明後日の方向を見た。
「あー…。おほん。」
「その……スカート、はさまってるよ。」
「えっ…?」
ユキの青ざめた顔が、今度は一気に赤くなった。
ささっとスカートを探る。出発する前にトイレに行った時。たくしあげたスカートが挟まったらしい。お尻のところに違和感を感じた。ユキは慌ててスカートの裾をひっぱり下げた。
仙堂が腰のあたりを見てた理由。
(さっきの、気付いてたんだ…!
言ってくれればいいのに…!
もしかして……パンツ見えてた?)
(今日どんなパンツ履いてたっけ…
いや、そういう問題じゃなくて!
は、恥ずかしすぎる…)
「あ、ありがとうございます。」
(ていうか、こういう時って、仙堂さんが守衛の目を逸らしてくれる、
とか、普通はそういう展開じゃないの?)
ユキは会釈をしてそそくさと小走りで武道場に向かった。
声をかけられて心臓が止まりそうになったが、とりあえずはなんとか入り込めて、ほっとする。
仙堂の言葉を思い出す。
「今回のミッションはこの少年の調査だ。
母親からの依頼で、学校内外での行動を観察してほしい、ということだ。」
ぺらりと写真を一枚出した。そこにはコンビニでアルバイトしていた時に漫画雑誌を買いに来た白皙の美少年が写っていた。中学校の卒業式の写真のようで、先日見た時より少し幼く見えた。
「あ…この子…。」
「そう、君の勤めてたコンビニでも会ったことがあるよね。」
「じゃ、じゃあダメですよ! 私、顔見られてますもん!」
「…金原くん、きみ、今まで行ったコンビニの店員さんの顔って思い出せる?」
「……思い出せ、ません。」
「だよね。そんなもんだよ、人間の記憶力というものは。」
ユキは自分ではダメだという言い訳が出来たと思い喜んだが、すぐに潰されてしまった。
そのまま仙堂が何事もなかったかのように淡々と続ける。
「彼の名前は、鬼柳あきら。
現在高校2年生の16歳。眉目秀麗で成績優秀。その上剣道も全国トップクラスの文武両道と来た。四字熟語のオンパレードだな。」
「……なにひとつ非の打ち所の無い完璧な男の子に見えるんですが、何を調査するんですか?」
「それでも親というのは心配するものさ。」
「小さいころから、本人の知る由の無いことをよく口にしていたらしい。
父親の不倫を言い当て家族関係が悪化してからは何も言わなくなったそうだが、それから心を閉ざしてしまい、特に最近連絡もないと。正月も剣道部の越年稽古があるから帰らない、とまったく帰省していないそうだ。息子が健全に成長しているか心配している」
「霊感が強い、と、母親は言うが…。」
「話を聞いていたら、彼はサイコメトリー能力の持ち主ではないかとも考えられる。」
「……!」
手袋をしていて、神経質そうな態度が思い出された。
サイコメトリー。漫画で見たことがある。触ったものから思念を読み取る超能力だ。
仙堂の予知能力を目の当たりにしていたユキは、驚いたもののあり得るかもしれない、と素直に受け止めた。
「ええと、それで私は何をすれば…。」
「写真撮影と、ちょっとした聞き込みだね。
少なくとも男子1名、女子1名から聞き込みをしてほしい。」
その内容を調査報告書にまとめるから。」
「大丈夫、やることは全部指示出すから。」
「ちょっと特訓もしておこう。」
ユキはどんどん気が重くなっていった。
「特訓…。はぁ。」
聖龍学園の武道場は立派だった。
床はピカピカと輝き、有名書家の大きな書が飾られていた。
武道場ではすでに剣道部が練習をしていた。
部員同士が激しく打ち込みあっている。
高く、竹刀がぶつかり合う独特の音が響く。
1名、素人目に見ても熟練度が違うのがわかる。
間合いを上手く取り相手の攻撃をかわし
その隙にキレのある面が綺麗に決まった。
防具を脱ぐと、ギャラリーからため息が漏れた。
鬼柳あきらだった。
「あ~、やっぱり美しいわぁ~。」
「本当に王子すぎるわ…。」
「鬼かっこいい…。」
武道場の外にはギャラリーが出来ている。
その隙間からカメラでこっそりと写真を撮る。
当然、女生徒のファンが多い。
ユキは女子のグループが苦手だったが、どうにか声をかけられそうな1人で見に来ている比較的地味めの女生徒に声をかけた。細身で小柄、黒髪を後ろで一つに結んでいて眼鏡が知的に見えた。勉強が出来るのだろうと見た目からも想像された。
「あの…。ねえ、ちょっといい? 鬼柳くんってどんな人なの?」
「なに、あなた新入生? やめときなよ。彼に近付いたらどうなるか。
知らないの? 消されるわよ。」
消される、とは高校生らしからぬ物騒な発言だ。この学校では鬼柳あきらに近付くものは消されるらしい。何となく、怖いお姉さん方は想像できた。
「あっ、別にファンとかじゃないんだけど。だって、ほら、私なんか全然釣り合わないし、憧れるとかじゃなくて単純に凄いなーって思って。」
女生徒はユキを上から下まで眺めて「そりゃそうね」と、鼻で笑われた。
その後、あきらに視線を戻してうっとり見惚れながらため息をついた。
「私は2年に上がって同じクラスになったけど……本当に、僥倖だったわ。
告白して、親衛隊にシメられる子もいるけど。理解できない。彼と釣り合うと思うなんて、身の程知らずよ。」
「あ、僥倖って意味わかる? 思いがけず得る幸せということよ。」
ギョウコウ…親切に説明されながらもなにか馬鹿にされてる空気を感じた。
「彼は特別。本当に、見てるだけで、幸せ。ミケランジェロだって、こんな美しい造形は作り出せないわ。」
ユキにはミケランジェロが何者なのか想像つかず、なぜか、言葉のイメージで色黒のチリチリヘアーの怪しげなサッカー選手が想像された。華麗にドリブル、シュートする謎のミケランジェロを頭から追い払いながらさらに質問をする。
それよりも、一発でクラスメイトに当たったことこそ僥倖であった。
「へ、へぇ~…なんか、凄いね。
クラスの中ではどんな感じなの?」
「そりゃ、優秀だし人当たりもいいし皆から慕われてるけど、特別仲の良い子は……いないかな。そうなれたらって誰もが思っていると思うけど、隙がないっていうか…。あ、でも今一緒に喋ってる佐々木はなついててよく一緒にいるかな。」
男子が、何かプリントを渡していた。二言三言、言葉を交わして手を振って去っていく。この学校には珍しそうな、純朴で純粋そうな男の子に見えた。
「鬼柳君にお似合いなのは、ああいう元気少年キャラじゃなくて知的な執事キャラみたいな感じかなって思うけど…。主従関係萌…あっ、または気弱な教師が完璧美少年に翻弄されるって展開も素敵よね……。」
眼鏡の女子は遠くを見つめながら、うっとりとため息をついた。
(あ、なんかこの子も私に近いものがあるな……方向は違うっぽいけど)
「あ、ありがとう。」
自分の世界に入っている女子生徒を置いてユキは苦笑いしながら立ち去った。
先ほどあきらに話しかけていた男子を追いかける。
鬼柳あきらがその後ろ姿を横目でちらりと見ていたことには気づかなかった。
仲のよさげな男子。そして、話しかけやすそう! これを逃してはいけないとユキは走ったが男子生徒は歩幅が大きくて速足で歩くので、見失いそうになった。あっという間に息が切れる。体力のなさを実感する。
「ま、待って…! 佐々木くん!」
「えっ? あ、オレ?」
「えーと、ちょっと、いいかな。」
「う、うん……いいけど。」
息を整える。佐々木少年は短髪でおでこが広い。身体は大きいが幼い雰囲気がする男の子だった。薄い太いまゆげが、どこか柴犬に似ていると犬好きなユキは思ったが、麻呂眉毛なので友人からは「まろ」と呼ばれていた。
頭が良さそうでどこかプライドの高そうな生徒が多い中、親しみやすそうな感じがした。こういう男の子はユキが通っている高校にもいた。
「あの、鬼柳くんと、仲いいんだよね。」
見知らぬ女子に呼び止められて、少年は何か期待するようにどきまぎしていたが、用件が鬼柳あきらのことだと知ると明らかにがっかりした。
「……なんだよ、あいつ狙いかよ。」
「いや、狙ってるわけじゃないんだけど。
ちょっと、友達がね。彼のこと知りたいって。」
「あー、はいはい。あるある過ぎ。」
「俺、そういうの、嫌なんだけど。」
面倒くさそうに頭をばりばりと掻いた。
「お互い、そういうの、面倒くさくね?」
「う~~ん、本当は、面倒くさいというか…
私もすっごく、嫌なんだけど……。」
「でも仕事だから…」という言葉を飲み込み、その代わりに「友達のためだから」と何とか吐き出す。
「そう…。ふーん。」
「同じ男子から見て、あきらくんってどんな感じ?」
「どうって…あきらは真面目だし、頭良いし、女みたいな顔してるのに剣道強いし、家も金持ちで、女にモテるけど全然鼻にかけないし……普通にいい奴だよ。」
「人の悪口とかあんまり言わないし、本心見えない所あるけど人の痛みとか、気持ちがわかる奴だと思う。」
「落ち込んでる時とか元気なふりしてても、あいつにはバレてて、大人っていうか、かなわないなぁと思う。」
「へぇ~…、そうなんだぁ…。」
気持ちがわかる、という言葉が妙に強く響く。
思念を読む、サイコメトリー能力者。
それが本当なら、人にとりいることなんて、さぞ容易いだろう。
「女子にはけっこう淡々としてるというか、冷たいからホモとか変に噂立てられたりとか、
優等生ぶってつまんねーと奴か言うやつもいるけど、やっかみだよ。あいつのこと、悪く言うやつがいたら、俺、許さない。」
佐々木少年は遠くの方を見てきっと眉をひそめた。
色々あったのだろう。美形は美形で大変そうだな、と感じた。
「…そっか。そんな風に友達のこと言えるって、素敵だね。」
「あきらくんが、あなたのことを親友に選ぶ気持ちがわかる気がする。」
大人の事情で送りこまれたユキだったが、少年のまっすぐな友情が微笑ましくて思わず笑みがこぼれた。佐々木少年は熱く語ってしまったことに気付き照れた。
「べ、別に親友とかじゃないし。…あいつは俺のことお見通しだけど、俺はあいつのこと、よくわかんないし。」
見た感じは親しげだったが、そういえば女子生徒は特別親しい子はいないと言っていた。
友達関係でも、片思い的なことはある。そういうことなのだろう。
少し悔しそうな顔をする少年にユキは自分の青春時代を重ねた
「とにかく! その友達に伝えてくれよな。
あいつは今は勉強と部活に集中したいから恋愛するつもりはないし、告白しても嫌な思いするだけだから諦めろって。」
「わかった、そう伝える。本当にありがとう。」
「それじゃ、時間取ってごめんね。」
「…あ、君の名前は?」
「え? あ、私の名前は、かな…」
とまで言ってから潜入中であることを思い出して口をはっと押えた。
「カナ…です。…じゃ、本当にありがとう!」
「お、おう…」
慌てて走り去るユキを佐々木少年は見送りながらぽつりとつぶやいた。
「カナちゃん、か…。
なんか、いいな…。何組かな…。」
とりあえず最低でも女子1名、男子1名から話を聞く事。
写真を撮る事、というミッションは達成できた。
しかもクラスメイトだし、内容としても十分だろうと
ユキはミッション完了!と足早に校門に戻ろうと歩き出したが
学校内の敷地は大きく、迷ってしまった。
あれ? あれ? とうろうろと歩くうちに
いつの間にか武道場の方に戻っていた。
迎えに行く。と言われた時間が近づいてくる。
「え~と…、校門から入ってきて、右に曲がって…建物の間をまっすぐ来て…。アレ?」
ユキは頭の中でどう来たか必死に考えていた。
「…どうしたの?」
気が逸れていた所に声をかけられてギクリ、と心臓が止まりそうになった。
この声に聞き覚えがある気がして、ギギギ、とゆっくりと振り返る。
ユキが今もっとも遭遇したくない人物…鬼柳あきらその人である。
(あ…、やば…。)
鬼柳あきらは部活を終えて胴着から制服に着替えていた。
爽やかに笑っているが、目の奥は決して笑っていない。
腕組みをして立っていた。
「どうしたの? もしかして……迷ってる?」
「いえ、大丈夫です! ありがとうございます!」
マッハで逃げようとしたが、さっと回り込まれてしまった。
「ねぇ、君、さっき武道場にいたよね。何年生?」
「あまり見ない顔だけど。」
「あっ、あっ」
「え、えー…と…。」
「さ、3年生、です…」
「剣道、興味あるの?」
「う、うん…まぁ…」
「もしくは、誰かに興味があったり?」
「……。」
質問に答えがあるものはまだ答えやすい。
だが、想定していない質問をされると、焦って固まってしまう。
ぎくしゃくと、ごまかし笑いをするしかなかった。
「あはは、あはははは…」
「あはははは…」
あきらの目は、ちっとも笑っていない。
妙な間が空いた。あきらは、なぜだか、大昔のことを思い出していた。
幼い頃。あきらには、声が聞こえた。
触ると、植物や虫、動物の感情が聞こえた。
親戚から、あきらは霊感があるのかもねぇ。と言われていた。
そしてそれは人間や、物からも聞こえてきた。
鬼柳家の玄関。武家の家系で古い武家屋敷を改築して暮らしていた。
あきらが5歳の誕生日を迎えた朝。
父はリビングで朝食を取っていた。
「あなた、今日は早く帰ってきてくださるのよね?
あーちゃんのお誕生日、覚えてるでしょう?」
「ああ、悪いけど取引先の接待があってな。」
「…そう。」
母が何か言いたげだったが、黙りこんだ。
「もちろん誕生日は覚えてるよ。あきら、ほらこれは父さんからのプレゼントだ。
遅くなったら悪いから、先に渡しておくよ。」
父が紙袋から放送された箱を取り出した。
「わぁ、ありがとう!」
あきらがプレゼントの箱を父親から受け取った瞬間、
若い女の顔が見えた。名前は、ユカリ。プレゼントはこの人が選んだ。
瞬時に頭にイメージが浮かぶ。
誰だろう?
あきらは、それを無邪気に問うた。
「…お父さん、ユカリって誰?
どうして、その人が僕のプレゼントを選ぶの?」
と、聞いた瞬間。父は勢いよく立ち上がり、椅子が倒れた。
「…誰に、聞いた。
誰から聞いたんだ、そんなこと!」
あきらの肩を掴み、恐ろしい剣幕で問いただす。
「あなた!!何するんですか!!!」
「うるさい!!お前は子供相手に不倫相手の話なんかしてるのか!」
母親がわなわなと震えだす。
「……するわけないでしょう! あなた、やっぱり…!」
口論になり、姉が慌てて飛んできて、あきらの手を引いた。
父親の怒鳴り声と、母親の泣き叫ぶ声。
姉も泣いていた。怒り、悲しみ、絶望が手から伝わってきた。
姉があきらを部屋に連れて戻ったが、遠くでまだ口論の声がする。
「…あきら、もし何か聞こえたり、見えたとしても、絶対に言っちゃだめ。」
「約束。思ったことをそのまま言うと、皆、不幸になるよ。」
「……。」
もし、何も言わなかったら。
今でも平和な我が家だったのかもしれない。
父は今も変わらず、愛人を作っている。
母は、父を軽蔑しながらも一緒にいる。
そして父の代わりに俺に期待するようになった。
俺をまるで恋人のように溺愛する母。姉からの嫉妬と呆れ。
家族を壊したのは自分だ。こんな能力、なかったら今頃は皆幸せで、もっと楽に生きられてるのかな。家にいるのが苦しくて、高校はわざと寮がある遠くの学校を選んだ。
それでも周囲の期待の目。羨望の目。嫉妬の目からは逃げられない。
無視しようと思うのに、期待に応えようとしてしまう、自分が嫌だった。
こんなの自分じゃないのに。俺は王子様なんかじゃない。
勝手な理想や願望を押し付けられて、勝手に失望される。
うるさい! そんなの知るか! やめてくれ!
能力を使うのは、こわい。
蓋をしたいのに、ふとした瞬間に
人の嫌な感情が見えてしまう。
にこにこ笑いながら、心の中では真逆のことを考えている。
『人間とは汚い生き物。恐ろしい生き物だ。』
あきらは幼少期の経験から人間不信に陥っていた。
(この能天気そうに見える女でも、どんな汚い感情を隠してるかわからない。
お前の目的はなんだ。なぜオレのことを嗅ぎまわる。)
武道場であきらの聞き込みをしているユキのことをアキラは目尻の方で捕らえていた。
浮ついた女達の好奇の目とは違う。こんなにも怯えて、挙動不審にオドオドしながら探っている。胸のざわつきと違和感を覚えた。
あきらは手袋をそっとはずした。指を組んで伸びをする。ふう、と深く息を吐く。
仙堂も能力を使う時は深呼吸をする。ユキがはっとした顔をしてその手を見つめた。
「…何?」
「……いえ、何も。」
顔色が変わったユキの顔を見て確信した。
(やはりこの女…、何か知ってる。)
「…あ、髪に何かついてるよ。」
「え?」
ユキは髪をぱたぱたと叩いて、ぶんぶんと頭をふった。
「まだついてる。とってあげるよ。」
鬼柳あきらが手を伸ばした。
ユキは思わず、手をチョップのようにして身構え、さっと避けた。
「いえっ! いいですっ!
自分でとります!」
「まぁ、遠慮しないで。」
「い、いえ、けっこうですっ!」
「ほら、あっ、それ、虫かもしれない。動いたよ。」
「虫、大丈夫です! あっ、虫、好きなんで!」
「嘘つけ!」
さっ、さっ、ささささっ、
ユキは千手観音のようにあきらの手をさけながらにじり下がった。
格闘技の攻防のようだった。
仙堂の言葉が思い出される。
「もし、本当にサイコメトリー能力者なら触られたら一発アウト。ミッションは失敗だ。」
「失敗したら、どうなるんですか?」
と、聞いたら。いつものように笑って、首をかしげた。
「まぁちょっと拘置所には入ってもらうかもしれないね」
拘置所。
ユキはその重い言葉から逃げるようにあきらの手をさっと避けた。
右、左、右、左、ダウン…。ユキには珍しく、ボクサーのように機敏な動きだ。
あきらの伸ばした手が当たり、カシャン、と音を立てて眼鏡が落ちた。
フレームが顔にあたり思わず目を閉じてしまう。
目を開けた時には、気が付けば壁際に追い詰められていた。
背中には冷たい壁。
両手でついて逃げられないように閉じ込められる。
俗に言う「壁ドン」の体勢である。
「……。」
「……。」
至近距離。
「お前、この学校の生徒じゃないだろ。3年で迷うとかありえないだろ!」
(ああ…! 触られる前にすでに部外者だってバレてる!!)
「お前は何者だ。なぜ、俺のことを調べてる?」
(どうしよう、どうしよう、どうしよう…!)
(ああ、どうしよう。触られてしまう…。)
吸い込まれるような美しい瞳に睨まれ、金縛りにあったように動けなくなってしまった。
ゆっくりとあきらが、ユキの頬にふれようとする。
頭ではわかっているのに、身体が動かない。
胸がドキドキとうるさい。
その瞬間、どこか遠くで、犬の鳴き声が聞こえた。
ルドルフの鳴き声だ! わん、わん、わん、と3度鳴いた。
ユキは仙堂の「特訓」を思い出した。
「はい、右膝を高くあげてー」
「捕まりたくなかったら、右膝を高くあげてー」
「はい、臭い飯はー、くいたくない! 復唱!」
「く、くさいめしはー、くいたくない!」
「遠慮は無用! チャーシュー、メン!」
「チャ、チャーシュー…メン?!」
メン、というかけ声とともに ビシっと右膝を蹴り上げる。
変な掛け声で何度も練習させられた。
守衛から逃げるためかと思っていたが…
(これって…、今、蹴ってしまったら…その…
でも、いや、やっぱり逮捕だけは勘弁! )
「チャー、シュー……、ごめんッ!」
ユキはただ、目をつぶって練習通り右ひざを蹴り上げた。
間抜けな掛け声に気を取られあきらは油断した。
身体能力的にはちっとも威力はなかったが、男を潰すには充分だった。
鬼柳あきらが膝下から崩れ落ち、股間を押さえて悶絶していた。
非力な女子の力で男を効率よく倒す方法。金的である。
「……ごめんなさい!!!」
「……!…ま、て…!」
あきらが崩れ落ちた隙に全力で走り出す。ルドルフが鳴く方向へ走った。
18時、学校のチャイムがなった。シンデレラは靴を落として行ったが、ユキが落としたのは伊達眼鏡だった。
ユキはそんなに走るのが早い方ではない。運動不足で、
すぐに息が切れてくる。痛みで少しの間動けなかったが、あきらが痛みをこらえながら立ち上がり鬼のような顔をして後ろから走ってくるのが見えた。
(ひええ…!)
何とか校門にたどり着き、迎えに行くと言われた場所に来たが、まだ車は来ていない。
仙堂は仕事の時は目立たないようにワゴン車をレンタルしていた。
今日はカーキ色の車だったが見当たらず気があせる。
(いない…、仙堂さん…!!)
遠くからエンジン音が聞こえてきた。
車だと思っていたら、仙堂がバイクで迎えに来た。
すぐ後ろにあきらの姿があった。
バイクが急旋回してユキの前で止まる。
あきらがユキの背中を掴もうと手を伸ばす。
「乗って!」
「…待てッ!」
(え?これ、どうやって乗るの?!)
一瞬パニックになったが必死で足をあげて仙堂の背中にしがみついた。
ユキが乗るが早いか、バイクは急発進した。
「きゃあっ!」
予想外のお迎えだった。体中で風を感じる。くっついてる部分だけが暖かい。
ユキは仙堂の土っぽいような、埃くさいような背中にしがみつきながらぼんやりと考えた。
(これも、洗わなきゃ…)
ユキは必死で気付く暇がなかったが、
バイクの風でスカートがまくれあがり、
下着がまるみえになっていた。
前がパグ犬の顔、後ろが犬が足を上げてオシッコをする後姿がプリントされているユニークなデザインだった。犬が好きなユキのために母が買ってきたものだったが、あまりにもデザインが子供っぽくてユキ本人はあまり気に入ってなかった。
しかも犬種が3種類セットなので毎日ローテーションで履けるという思いやりようだ。
パグ、コーギー、チワワというラインナップである。
そんな金原母の善意のパンツだったが、まるでコケにされているような、烈火のごとき怒りとなって鬼柳少年の目に焼き付いていた。
(ふざけたパンツ履きやがって……ぶっ殺す!)
少し走った後、バイクは近くの公園で停車した。
仙堂がヘルメットを脱いだ。乱れた前髪を後ろにかき上げる。
「……どうだった?」
にこりと笑う。冷や汗をかきっぱなしのユキとは対照的に、仙堂は間一髪の逃避行を楽しんでいるようだった。
(う、かっこいい…)
おでこを出したスタイルが新鮮で不覚にもときめきそうになったが、それどころではない。
「どうもなにも! どうもなにもぉ~~~!!!!」
言葉にならず、仙堂の背中をばしばしと叩く。
「あはは、そこのトイレで着替えておいで。スカートでバイクは危ないからね。
あ、マフラーでヤケドしないように気を付けて。熱いよ。」
「ス、…スカート! ……行くとき、上がってるなら
言ってくれたらよかったのに! ひどいです!
「いやあ、ごめんごめん。」
「それを注意しちゃうと、守衛でもう、ひっかかってたんだよ。」
「スカートで注意が逸れたんだ。」
「~~~~!」
その頃、あきらはユキが落として行ったメガネを拾いにいっていた。
安っぽいプラスチックのフレーム。度は入っていない伊達眼鏡。
日頃は極力、思念を読み取らないように意図しているので今日、意図的に残留思念を読むのは久しぶりだった。人間と物はまた、思念の質が違う。
深く呼吸をして目を閉じる。物の残留思念はそんなに情報の質量はないし、すぐに抜けて行ってしまう。時系列の近いものから見える。特に強い気持ちははっきり見える。
あきらに見つめられてドキドキした少女的な気持ち。
バレないか、緊張しながらあきらを調査していたこと。
スカートが挟まっていて恥ずかしい思いをしたこと。
そして、車の運転席の前に座る、帽子の男への憧れ、信頼、期待、淡い恋心。
この男に頼まれて、送り出されたこと…。
この男も依頼で動いている。だいぶと薄い感情になってきたが、
かすかに、親の過干渉への呆れが見えた。
「くっくっく…、あっはっはっは…!」
思わず笑ってしまったが、その後に怒りが湧いてくる。
親が適当に選んだ探偵事務所。その使いぱしりのド素人の女。
眼鏡を握りしめる手がわなわなと震えた。
眼鏡を床に叩きつけてふみつける。フレームがボキりと折れて、割れたレンズが飛び出した。
「ふざけたパンツ履きやがって…ぶっ殺してやる!」
…それから3日後。
鬼柳あきらはイライラしながら漫画雑誌を買いにコンビニに向かっていた。
今の所、あきらの状況に変化はない。
あの探偵は、親からの依頼で動いているの間違いないと思う。
もし、仮に何かしらの超能力の研究機関だとか、
それこそ漫画に出てくるような悪の組織から送りこまれてくるなら
あんなマヌケは絶対に送られてこないはずだ。
打てる手が無い以上は、慌てても意味がないし、動く必要もない。
仮に親から連絡が来たら、どうする。精神病のふりでもするか。精神科でも行って適当な診断つけてもらって、薬飲んだふりして、治ったふりでもするか。
母親の過干渉からはもう逃げたい。
あきらは、色んな可能性を考えてシミュレーションをしていた。
(でも、あの女…どっかで見たような気がするんだよなぁ。
どこかで…。どこだ…。眼鏡をはずした時のあの顔。
どんくさそうな、間の抜けたとろくさそうな女。)
あきらがドアを開けるとコンビニの来店メロディがなった。
「「あっ。」」
ユキは仙堂におつかいでコンビニに来ていた。
追いかけてくる、と思って走ったが、
出入り口の前の棚で待ち伏せされてて、あっさり捕まってしまった。
あきらは、にっこりと笑いながらユキの肩を抱いた。ぎりぎり、と力が入る。
「やぁ、待った?」
「い…いたい…。」
ジブリ映画の某美形魔法使いのようにさわやかに肩を抱いた。
「ひぃっ…!」
笑顔が恐ろしい。店を出て人がいないことを確認すると
急に突き飛ばされた。コンクリートに尻もちをついた。
脂肪がたっぷりついた、ふくよかなお尻だったが、それでも痛いものは痛い。
ユキは悶絶した。
「いったぁ…!」
ユキを見下ろしながらあきらが、手袋の中指をくわえて、すっと引き抜いた。
潔癖症というのは嘘だ。潔癖症なら、手袋の指先をくわえるなんて絶対にやらない。
手袋をポケットに押し込むとあきらは素手の右手でユキの手を取った。
引きずられるように無理やり立たされて、歩きだす。
「名前は?」
「どこから来た?」
「お前に指示を出したやつはどこにいる。」
ドスの効いた声で詰問される。何も言わなかったが、すべて筒抜けのようだった。どっちだ。と聞かれ、え~と…あっち。と適当な方向を指さしたが、あっさりと思考を読み取られてしまう。
「こっちだな。」
あきらのファンが見たら発狂するだろう夢のようなシチュエーションだったが、ユキにとっては豚箱送りの秒読みと同義であった。あきらはその調子でどんどん歩いていって事務所をつきとめてしまった。
「…仙堂さぁん…、ごめんなさい~~~」
「やあ、いらっしゃい。おかえり。」
仙堂は、いつもの笑顔でゆったりと構えていた。
あきらは、きっと仙堂を睨んだ。
「これは警告だ。親にチクったら、通報する。」
「不法侵入。盗撮。暴行罪。」
「通報されたくなかったら俺に関わるな。」
通報される、と脅されたが、仙堂はやはり動じない様子であった。
「週刊少年マンデーの発売日、学校から帰るころに
コンビニで金原くんを待たせてたら
いつかは遭遇して連れて来てくれると思ったけど
こんなに早いとは思わなかった。
さすが金原君、きみの強運は、才能だと思うよ。」
相変わらずかみ合わない会話をする。
ユキは事務所がバレたことを失敗だと思っていたが、仙堂にとってはそれすら予定調和だったらしい。
「まぁ、どうぞ座って。鬼柳あきらくん。」
「まぁ、もう何もかもわかってるだろうけど」
「ここに、君の親御さんへ送る予定の調査報告書がある。」
「こっちは、漫画が好きないたって健全な男子高校生です。という報告書。」
「こっちは、君がやはり何かしらの特殊能力の持ち主だというこという報告書だ。」
「で、もう一つ一応作ったのが、精神病の疑いアリ。というパターン。」
「どれがいい?」
「……。」
あきらは仙堂をずっと睨んでいる。
「君はやはり、物の残留思念を読んでいたようだった。そして、金原くんの思考を読んで僕の元にたどり着いた。」
「別に通報しても良いよ。」
「俺はともかく、この子は警察の取り調べなんて受けたら
嘘やごまかしなんかできないから全て吐くだろうね。超能力があることや、君の急所を蹴り上げた話とか。すべてご両親の元へ届くだろう。」
急所というくだりで カっ、顔が赤くなりユキの方を睨む。
ひっと思わずすくんでしまい、
一応お茶を…と用意しだしたお茶をこぼしてしまう。
「警察沙汰にしたくない、というのは学園側、君の親御さん、
そして何より君の本意ではないかな。
好奇の目はを浴びることは、君としても避けたいはずだ。」
「……逆に脅す気かよ。」
「何が望みだ。」
「あきらくん。君が欲しい。」
「……はぁ?! キモッ!」
「君の能力は、探偵として無敵だね。将来は刑事になると良いかもしれない。
まぁ、ホストだとか占い師になっても、莫大な資産を築けると思うけど。」
「お前に関係ないだろ。」
「まぁ、経験者のいうことは聞いてみる物だよ。俺も、能力者だから。」
「……。」
あきらは少し驚いたようだった。
「力の使い方を教えよう。身の守り方も。
アルバイトとして、時々手伝ってくれたら嬉しい。まぁ、悪いようにはしないよ。」
「おっさん。お前の本意は何だ。」
「わざわざこんなガキ使って、何しようとしてる。」
「俺はお前をガキだなんて思っていないよ。頭が切れるし、身体能力も高く。間違いなく超能力者だ。ただ、君は目立ちすぎるから。使い処は限られてるけど。」
「…ふん。」
「じゃ、なんだこのド素人は。」
「挙動不審すぎて笑えるわ。使い捨てにもできんだろ。」
「俺はこのアホ女みたいに、何も知らずに手駒として踊らされるのは気に食わない。」
「ちゃんと俺には説明しろ。別にやってやってもかまわない。
親の監視からはずれて使える金はあっても困らないからな。
ただし、危ない橋は渡らないし、危険だと思ったらすぐその都度やるかやらないかは、俺が決める。変なババア及び変なジジイの相手はしない。そして、時給は5000円、いや1万円だ。それ以外は断る。」
時給いちまんえん…。
なんと大胆で思い切った交渉だろう。ユキはこぼしたお茶をふきながら話を聞いていた。
口がぽかんと開いていた。
そして、この鬼柳あきらの態度の豹変ぶり。学校では「王子様」と言われてすらいるのに、とてつもなく口が悪い。そして、攻撃的だ。高校生男子らしいといえばそうかもしれないが、外見とのギャップにユキはあっけに取られてしまう。
「……いいよ。何時間も張りこんだり足で稼ぐことを思えば、君の能力は効率が良い。
俺は仙堂大介。予知能力者だ。彼女は助手の金原ユキさん。一緒に動くことも多いだろうから、仲良くね。」
仙堂はにっこり笑って名刺を差し出した。
それをあきらは奪うように受け取った。
「俺はお前を信じたわけじゃない。」
「通報されてダメージが大きいのはどっちだ?」
「おかしな動きをしたら、すぐに通報するからな。」
通報する、と念押ししてあきらは背を向けた。
後ろにいたユキと目が合い、ユキは「ひっ」とまた小さく叫んだ。
「おい、アホ女。」
「今度ふざけた真似したら、女だろうと、マ ジ で、ぶん殴るからな。覚えとけよ。」
マジでぶん殴る、という所を強調する。
思い切り指差されて凄まれる。
「は…はいぃ…。」
そして、にっこりと花が咲くように笑ったと思ったら
渾身の力を込めたデコピンされた。
剣士のデコピン。脳が右脳と左脳で分断されるような痛みだった。
「これくらいで、許されたと思うなよ。」
「あうぅ~~~~~~!」
痛みにしゃがみこむユキをみて、あきらは盛大に鼻で笑って去って行った。
最後にドアをバタン!とわざと大きな音で締めて。
「ひ、ひどい…。」
「あはは、よかったね。仲良くなれて。」
「ど、どこがですか…!」
「仙堂さん…」
「もしかして全部、こうなるって」
「うん。知ってた。多少の差異はあるが、ほぼほぼ、ビジョン通りだね。」
「最初に、言ってくださいよ~~~~~」
「いや、君の挙動不審さがあるからこそあきらは学校で君の存在に気付く。
そして君に対する怒りで冷静さを欠いた行動を起こすんだ。彼は頭も良いし、慎重だからね。」
「良い仕事してくれた。見事過ぎて、感動してる。
ありがとう。君に来てもらって本当に良かったよ。」
納得できないのに、褒められて喜んでいる自分がいる。
(か、完全に踊らされている…)
仙堂大介という男は、本当に底がしれない。
何を考えているのか。あきらならわかるかもしれない。
もし、聞けるなら、聞いてみたいとユキは思った。
おでこをさすりながら、ユキは立ち上がった。
そして、ふと気になった疑問を仙堂に投げかける。
「仙堂さん、あの…。
仙堂さんとかああいう、鬼柳くんみたいな超能力者って
そんなに、よくいるものなんですか?」
「……。」
「……いないよ。」
少し間が空いて仙堂がまた、煙草に火をつけた。
いつもの儀式の始まりだ。
ユキは声をかけられず、それが終わるまで待つしかないのだ。
文字通り煙に巻かれるしかない。
背を向けて、この話は終わりだと、有無を言わさない空気を感じた。
「俺はこのアホ女みたいに、何も知らずに手駒として踊らされるのは気に食わない。」
さっきのあきらの言葉が妙に心に突き刺さった。
ラジオからベース音がリズミカルに聞こえてきた。細く音声が聞こえてくる。
『次のリクエストはフランツ・フェルディナンド。「this fire」』
アップテンポでノリのいい曲だけど、少し不穏な空気を感じる曲だった。
ユキはそれを聞きながらそっとこぼしたお茶のお盆を片付けた。
エピローグ
喧噪の中。妙な3人組が目を引いた。
派手なアロハシャツに身を包んだ赤毛の男と、
眼鏡にセンター分けの前髪がいかにも真面目そうな大学生風の若い男、
そして髪をピンクに染めたロリータファッションの少女。
繋がりがまったく想像できない取り合わせだ。
どおん!!!
突然、空気が振動した。
ビルで爆発が起こった。煙が立ち込める。
周囲の人々が振り向き騒ぎ出す。
「爆発だ!」
「ガス漏れかもしれない、離れろ!」
「消防車!消防車呼んで!」
パニックが起こったが、
3人組はそれを気に留める様子もなく、歩いて行った。
「さーて、無事に仕事も無事終わったし、今日は何食おうかなぁ。」
「あたし、オムライス食べたい。」
「あ? ファミレスとか萎えるわー。」
「誰がファミレスと言ったのよ。インスタで人気のおしゃれな洋食屋さんがあるの。
今日はあたしが決めていいでしょ。」
少女の後ろでメガネの青年がぽつりと呟く。
「僕も洋食に賛成。ハンバーグの気分です。」
「速水にはきーてないから。」
「そこって酒置いてんの?」
「あと、綺麗なねーちゃんいる?」
「知るかエロオヤジ。」
ロリータファッションの少女が侮蔑的な眼差しで睨み、吐き捨てるように言った。
消防車のサイレンが聞こえてくる。
ざわざわと不穏な胸騒ぎがする音だが
エロオヤジこと葛城八雲には血が騒ぐ音だった。
浅黒い肌に派手な赤いアロハシャツ。金のネックレスに、胸元にタトゥー。
ド派手な外見からして常人ならぬオーラが漂っていた。
もくもくと煙をあげるビルをちらりと一瞥した。
鋭い瞳が光る。男は不遜に、不敵に笑った。
その笑顔は、魔王のようでもあり、英雄のようでもあった。
End
次回 「松本日出子の調査ファイル~人形の館~」
家出少女の調査を依頼。家出少女のツイッターを調査していくと、人形コレクターの資産家にたどり着いた。ユキはメイドとして潜入することに。