55日目:夏休みの前日
終業式。
学校祭が終わってからの、夏休みに入るまでの消化試合じみた一週間も遂に終わりを迎える。
とはいえ先輩が泊まりに来たりもしたので、濃厚な日々でもあった。
今日は前期の終業式。
普通授業はなく、校長先生の話を聞いた後に宿題や夏休みの過ごし方みたいなプリントを受け取って解散となる。
先輩が隣に寝ていないベッドから起き上がり、鳴る前の目覚まし時計を止める。今日は雨も降っていない。
スマホを持って、階段を降りる。
「おはよう」
「おはよう。今日って学校終わるの早いの?」
「うん。式が終わったらすぐ下校だけど」
「先輩との予定は?」
「どう、かな。お互いバイトは休みだけど」
「もし遅くなるなら連絡して」
「わかった」
「朝食は食パンよ。好きなものを塗ったり挟んで食べて」
「うん」
冷蔵庫からマーマレードと牛乳を取り出し、戸棚から皿を一枚とコップ、引き出しからはスプーンを出して、椅子に座る。
袋から食パンを二枚出して皿に乗せ、スプーンでマーマレードをすくい、パンに塗る。中学生の頃はイチゴジャム一択だったが、今ではマーマレード愛好家になりつつある。
塗ったマーマレードの分、少し重たくなったパンを口に運ぶ。面倒だったからトーストにしなかったけど、これはこれで食パン自体の甘みがあって悪くない。
牛乳を流し込んで、喉越しを感じる。ビールとかもこんな感じなのだろうか。
「ねぇお母さん。先輩が泊まっている時、どう思ってた?」
「特に思うところはなかったけど、そうね。強いて言うなら、十代にしては贅沢な経験をしてるなこの娘は……とは思ったよ」
「それは否定できないかな」
「別に迷惑ではないし、夏休みに入ったらまた泊まりに来るでしょう?」
「多分。どっちにしろ、先輩のおばあちゃんの家と北海道でお泊まりはするよ」
「いいね、お泊まりイベント。私の青春にはなかったよ」
「お母さんは、学生の頃から女の子が好きってわかってたの?」
「そうよ。一応、高校生の頃には彼女もいたし」
「初耳なんだけど」
「あんたと恋バナなんて、したことないしね。聞きたい時はいつでも言いなさい?」
「うん、そうする」
人生の師でもあるお母さんの恋愛談、興味が無いと言うと嘘になる。お父さんとどういう風に出会ったのかとか、そういうのは訊いても良いのだろうか。
流石に、肉親相手にまで踏み込むのを遠慮するような私ではないけど。
「ごちそうさまでした」
「はい」
朝食が終わったばかりなのに、昼食のことを考えてしまう。というか、先輩と何処かに食べに行こうかな、なんてことを考えてしまう。
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体育館で、汗を浮かべながら整列する生徒たち。
妙に暑い体育館の中で、ほとんど意味を成していない扇風機が数台稼働している。エアコンなんて気の利いた文明の利器は存在しない。
『皆さんこんにちは。めちゃくちゃ暑いので手短に』
校長先生が登壇し、話を始める。この校長先生が赴任するまでは、話が長いのが通例だった。ましてや夏休み前なんて、伝えたいことが多すぎるのだろう。
勉強もしっかりしなさいとか、羽目を外しすぎないようにとか、そんなことは言われるまでもないのに。
『明日から夏休みです。休みって言うくらいなので、宿題を廃止します』
突然の発表に、生徒たちがザワつく。静粛に、静粛にと裁判官のように校長先生が制する。
『その代わり、休み明けテストの範囲を復習できるプリントを、各教科の先生が作ってくれた。提出義務はないので、好きに勉強してください』
なるほど。それは中々に妙案だ。
そもそも、宿題に効果が無いということは海外の研究で明らかになっているらしい。前にネットニュースかなんかで見た。
結局のところ、勉強をする人は宿題なんか無くてもするし、勉強をする気がない人は適当に取り組むので頭に入らない。
『さて。夏休みというのは、人生で経験できる回数が少ないイベントだ。悪いことさえしなければ、君たちは自由だ。この夏は二度と来ることのない、君たちだけのものだ』
『当然、事故や怪我には気をつけるように。自分が悪くなくても、巻き込まれることもある。悪人にならない、そして悪人に近づかない』
『一生忘れられない夏にするように。解散!!』
学校祭の開催宣言の時と同じく、生徒たちは歓声を上げて手を叩く。いやどんな学校だ、体育館が沸いちゃってるよ。ただでさえ暑いのに。
教室に次々と戻る生徒たちは、宿題が無いことで喜んだり夏を楽しむために気を引き締めたりしている。
一生忘れられない夏に、か。言われてみると、去年の夏のことなんてほとんど覚えていない。記憶にあるのは、先輩と夏祭りに行ったことくらいだろうか。
先輩が居たら、忘れられない夏に自然となるらしい。なら、今年は安心だ。
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ホームルームも終わり、先輩が来るのを玄関前のベンチで待つ。相変わらず糧近先生はやる気が無かったし、宿題の採点作業をしなくてラッキーとか言っていた。逆にあそこまで本音を話す教師ってレアなんじゃないか。
「おまたせぇ。お昼、どっか食べに行くぅ?」
「行きましょう。先輩は、何か食べたいものはありますか」
「うーん、お蕎麦とか食べたいかも」
「参反の鵐雨天に行きます?」
「さんせーい」
「ねぇ先輩、一生忘れられない夏にしましょうね」
「あはぁ。ボクと関わった日々の一切を、忘れさせるつもりなんてないよぉ?」
「……流石、敵いません」
「忘れられない夏は叶うけどねぇ」
笑顔の生徒の群れの中、靴を履き替え、先輩と一緒に外に出る。正午前なのに随分と日差しが強い。例えるなら、チャージ無しでソーラービームが撃てるくらい。
日差し、高い気温、高い青空。
先輩の手の感触、妙に高揚している自分。高鳴る鼓動。
私だけの、一度しかない夏休みが始まる。
次回から夏休み編がスタートします。乞うご期待。




