52日目:同棲予行練習(後編)
※驚くほど内容が薄いです。予めご了承ください。
髪を乾かし終えた私の元に、同じく皿洗いを終えた先輩がやって来た。
タイミングがバッチリ過ぎて、計算が完璧なのか運命的なやつなのか悩んだ。
「皿洗いありがとうございました。それでは、歯を磨いて着替えましょうか」
「そうしよっかぁ」
何に急かされることもない、穏やかな一日のスタート。流れる時間までゆっくりに錯覚してしまう。
でも、先輩と一緒に居ると流れる時間が早く感じるので、相殺されちゃうな。楽しい時間が早く終わるのは、小学生くらいの頃からなんとなく気が付いていたけど。
洗面所で一緒に歯を磨く。もう、泊まった時用の歯ブラシとか置いておけば良いのに。私が買っておこうか。
歯磨き粉は共用でも平気的なことを前に言ってたし、歯ブラシだけ買っておこう。決定。
先に歯を磨き終えた先輩が、私のコップに水を入れて口をすすぐ。あまりにも自然だったから、先輩も同じコップを持ってたんだって誤認しかけた。
関節キスなんかより濃厚なキスを毎日しているのに、どうして意識してしまうんだろう。それこそ、今すぐキスしようと思えばできるのに。
「はい、コップありがとぉ」
泡立った歯磨き粉でいっぱいの口内を開くわけにもいかず、無言でコップを受け取り水を入れる。
夏特有の温い水を流し込み、口をすすぐ。白く濁った水が流れていくのを、何故か先輩が見つめている。なんだろう、謎の恥ずかしさが込み上げてくる。
「……なんですか」
「えっ、いやぁ別にぃ?」
「あまり見ないでくださいよ、照れるじゃないですか」
「あはぁ。ごめんねぇ」
コップを元に戻し、着替えるために一緒に部屋に戻る。今度は手を繋いで。
先輩の家とは違い、着替えをする場所と自分の部屋はイコールだけど、2人で同時に着替えられる程度のスペースはある。
先輩はリュックから、制服といつもの手提げ鞄を取り出した。なるほど、恐らく急いで家を出てきたから、そんなに服を持ってこなかったのだろう。
「先輩は制服ですか」
「うん。服を選ぶ余裕もなかったからねぇ。それに、制服さえあれば学校にも行けるでしょ?」
「そうですね。教科書とかは持ってきたんですか?」
「ほとんど学校に置いてあるから平気だよぉ」
うちの学校は、個人のロッカー内に限り置き勉が許されている。
常に全ての教科書を持ち歩くのは大変だし、たまにしか使わない資料集とか忘れる可能性もあるから、という校長先生の計らいだ。
本当はなんでもかんでも入れるのは良くないんだけど、今回は緊急事態ということで見逃してもらおう。いや、先輩の口ぶりだと普段から置いてるっぽいけど。顔に似合わず大胆なことをする人だ。
先輩に合わせて、私も制服を着ることにした。夏服といえど暑いものは暑い。けど、悩まなくていいし楽で良い。
「それでは、行きましょうか」
「制服デートって、なんかいいよねぇ」
「最高ですよね。先輩はもう今年しか着れないわけですし」
「別に卒業した後も着れるよぉ?」
「そういえばコスプレが趣味でしたね」
卒業後も制服を着て私とデートする先輩。……想像すると悪くない気もするけど、なんとなく駄目な気もする。たった一年くらいでは違和感もないだろうけど。
というか、卒業後も私とデートしてくれるのかな。それは先輩の進路と、私の気持ち次第か。
私もポシェットに財布と家の鍵を入れて、準備万端となったところで先輩と家を出る。
ドアの向こうには想像以上の夏が広がっていた。午前にも関わらず、既に熱を帯びた空気が揺らめいている。
「夏だねぇ」
「夏ですね。先輩は夏がお好きですか」
「君と過ごす季節は全部好きぃ」
「答えになってませんよ、それ」
照れて声が上擦りそうになるのを堪え、鍵をかける。
こんなに暑いなら、早く梅雨明け宣言をしてほしいな。いつ降るかわからない雨に苛まれるのはストレスだ。
「君は夏好きなの?」
「苦手です。でも、先輩が隣に居るなら好きになれそう」
「あはぁ。素敵な夏にしようねぇ」
しようとしなくても、先輩と一緒なら自然と素敵な夏になるに違いない。季節の一切が先輩に敵うとは思えないし、私の季節に対するスタンスの全ても先輩の前では無力だ。
手を繋いで駅に向かう。いつも猫が寝ている塀に、その姿は見つからなかった。少し残念。
「先輩、明日は学校もバイトもありますよね」
「そうだねぇ。君の家から登校して、バイトが終わったら君の家に帰ることになるけど……大丈夫ぅ?」
「平気ですよ。ねぇ、早く自分の家に帰りたいですか? それとも、私の家にもう少し泊まっていたいですか?」
「難しいことを言うねぇ。本音を言えばもっと泊まっていたいけど、流石に申し訳ない気持ちもあるし」
「逆の立場なら、私もそう言うと思います。でも、きっと一緒に居たいなぁって思っちゃいます」
「……可愛すぎるんだけど」
「え?」
「一緒のベッドで寝てさ、君の部屋だからアレもできないしさ。なんていうかな、限界が近いかも」
「それも、素敵な夏の思い出に変えてくださるならどうぞ」
「そ、そんなこと言ってぇ……!」
握る手に力を込める先輩。感情が顔にも声にもその他の端々にも現れるのが先輩の素敵で可愛いところだ。
最近は、昔よりもそれが顕著な気がする。それはもしかすると、私のせいだったりするのだろうか。だとしたら嬉しい。
駅に到着すると、ほぼ同時に電車が入ってきた。危ない。
慌てて乗り込み、壱津羽に向かう。学校よりも一つ先の駅だから、ほんの少しだけ遠く感じる。もっと遠いところに、先輩と何度も行ってるにも関わらず。
平日ということもあり、ほとんど人のいない車内で先輩と雑談をする。周囲に気を遣わなくて良いのは気楽だ。
夏休みはニケさんとアラさんとも遊ぶとか、最近バイト先に入った新人さんがめちゃくちゃ声が大きいとか、先輩の好きな歌手が9月に不行でライブを開催するとか、そんな話をした。
ライブの件は伏線だと思うので、確実に記憶しておこう。
『次は壱津羽です。停車時間は僅かです』
滅多に聞くことのないアナウンスを合図に、降りる準備をする。
停車し、手を繋いで降りる。こんなに呼吸するように手を繋いで良いのだろうか。あまりにも回数が多いから、もうわざわざ明文化しなくても常時手を繋いでいることにしようかな。
「なんか変なこと考えてない?」
「そんなことはありませんよ?」
繋いだ手から思考まで読み取られるようになったのだろうか。どんどんレベルアップする先輩のスキルに驚嘆する。
駅を出て徒歩数分でアクセスできるスーパーイチツウに、早くも到着した。まずは何を買おうか。
「おばあちゃんの家に行くのと、北海道に行くの。どっちを意識した買い物なのぉ?」
「どっちも、ですかね。早めに済ませておきたいので」
「そっかぁ。でも北海道はホテルに泊まるだろうし、シャンプーとか買わなくても平気だよね」
そう考えると、着替えとか洗顔フォームとかあれば平気か。改めてホテルって凄いと思った。なんでもあるから。
買い物カゴを一つ取り、会話を続ける。
「そうなると、特に買うものも無いですかね」
「ばあちゃんの家に行く時は、小さいシャンプーとかボディーソープを持っていくのがオススメかなぁ」
「と、言うと?」
「おばあちゃん、石鹸派だから」
「なるほど。あとは汗ふきシートとか買おうかな」
「着替えも多めの方がいいかもねぇ」
旅行前の出費は最小限に抑えたい。なるべく既に持っているものは買わず、確実に必要なものだけ買うことにしよう。
先輩のアドバイスを元に、必要そうなものをカゴに入れていく。
「こんなものですかね」
「これくらいで足りると思うよぉ。足りなかったら現地調達という手もあるし」
「確かにそうですね。楽しみすぎて、つい気が急いてしまいました」
「んもぉ、可愛いなぁ」
「何がですか」
私の何処に何を思って可愛いなんて感想が出るんだろう。
素直に嬉しいけど、先輩の「可愛い」は威力が強大で影響は甚大で被害は拡大する一方だ。先輩の方が可愛いですよ、なんて言い返してみたい。
買い物をあっさりと終えてしまい、今日のデートの目的を達成してしまった。
いや、大切なことを忘れていた。先輩は今日のログボを獲得していない。手を繋ぎまくってはいたけれど、キスを一度もしていない。家でしようと思えばできたのに。
「先輩。今日のログボなんですけど」
「てっきり忘れているのかと思ったよぉ。まぁ、お泊まり自体がボクにとってはログボみたいはものだけどねぇ」
「キス……は家でもできますし、何かデートらしいログボの方が良いですよね」
「さらっと、お家ではキスするのが普通みたいなこと言わなかったぁ?」
「そこまでは言ってません。が、まぁ確かにそうですね」
ニコニコする先輩が、何か思いついたらしく目を輝かせる。なんだろう、悪魔的な閃きではないことを祈っておこう。
「それじゃあ、今日のログボは一階の食品売り場で決めよぉ」
「ふふ。では、腕によりをかけさせていただきます」
「あ、キスもしてね?」
「勿論」
手を繋ぐのもキスをするのも、ログボとは関係ない。私が先輩に何かをしたりしてあげたいと思うこと自体、ログボから離れつつある気がする。
けど、この建前だけは大事にしないと。先輩との関係が始まったきっかけで、続いている理由でもあるのだから。
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