番外編:バレンタインデー
『七凪無音からの年賀状』の約一ヶ月後、バレンタインデーのお話になります。ログボ実装の約三ヶ月前とも言います。
なんとなく点けたテレビが告げる、今日はバレンタインという事実。誰かにあげる予定なんて無いし、完全に忘れていた。
そもそも、恋をしたことがない私にとっては疎ましいイベントでもあるのだ。スーパーとかでチョコレート菓子が少し安くなるという点だけは好ましいけど。
制服に着替え、トレンチコートを上から着る。準備を整え終え、意味もなく笑うキャスターのお姉さんに別れを告げる。
なんの期待も抱かずに鞄を持って家を出て、それなりの寒さを噛み締めて白い息を吐く。
ほとんど雪は残っていない歩道を一人進む。まだ油断はできないけれど、不行市はそこまで降雪の多い地域ではない。北海道とかに行ったら興奮するかもしれない。
いつもの駅に到着し、いつもの時間のいつもの電車に乗り込む。世間はどのくらいバレンタインで色めき立っているのだろうか、見当も付かない。心做しか男子生徒たちがソワソワしている気もするが、それが錯覚や杞憂で終わらないことを適当に祈っておこう。
そういえば、先輩はこんな日は大忙しなんだろうな。きっと男女問わずチョコを貰ったりなんかして、これでしばらくは甘いものに困らないねぇと笑うに違いない。
私の知らない人たちから貰ったチョコを笑顔で食べる先輩を見るくらいなら、私も板チョコとか買っておけば良かったかな。友だち同士で渡すのなんて、今じゃ一般常識だし。ん、友だちなのかな私たちは。
『次は練羽高校前です。練羽高校前では、全てのドアが開きます』
毎日聞くアナウンスを合図に、車内の学生たちが降りる準備を始める。
因みに、高校にお菓子を持ち込むことは禁止されていない。なので、そこら辺のハードルは低い。
電車を降りて、いつも通りの道を歩いて高校に向かう。退屈で変哲のない漫然とした日々の繰り返し。こんなバレンタインという糖度高めのイベントを持ってしても、私の日々に変化は起きない。しかし、これがネトゲだと話が変わってくる。
今日はバレンタイン限定ミッションをクリアして、限定武器とコスチュームを手に入れないと。
「おはよぉ」
「わっ。おはようございます、先輩」
考え事をして隙だらけだった背中に、先輩の右手が添えられる。学校に到着する前に話しかけられるのは珍しい。
「今日はなんの日かわかるぅ?」
「バレンタイン、ですか」
「よかったぁ、君なら知りませんとか言いそうだもん」
「流石に私でもわかりますよ」
なんて、朝テレビを観なかったら思い出してなかったであろうことは黙っておく。
しかし、先輩もワクワクするようなイベントなんだ。ちょっとだけ羨ましい。
「というわけではい、チョコあげる」
「……これは、なんのチョコですか」
「え、市販品だけど……。ボク、手作りとかできないし」
「あ、違います。そういう意味ではなく、どういう意味合いのチョコですかって意味です」
友チョコ、と言われたら今後は友だちと自信を持って言えるようになる。まさか義理チョコではないだろうし、いやでもある意味で義理とも言えるか。
それか、普通にイベントを楽しむという趣向かもしれない。
「えっとぉ……本命、だよ?」
綺麗な赤い袋で梱包されたチョコを、思わず二度見してしまった。あまりにも予想外の解答だったから。
お得意の冗談ですよね、と言おうと思ったけど、あまりにも乙女な顔で頬を染める先輩を見て何も言えなくなった。
どう、しよう。
「……本命、ですか。返事は必要ですか?」
「そんな怖い顔しないでよぉ。冗談だって、ただの友チョコだよぉ」
「へぇ。私たちって友だちだったんですね」
「と、友だちもダメぇ……?」
も、ってなんだ。もしかして本当に本命チョコで、彼女になれないなら友だちでいたい的な意味だろうか。
いやいや、それは無い。仮に先輩がそっちだとしても、私を恋愛対象にするわけがない。そこまで甚だしい思い上がりをするほど厚顔無恥ではない。
「いや、私は友だちだと思っていますよ? 先輩もそういう認識だったんだなぁと思っただけです」
「もぉ、イジワルしないでよぉ」
「すみません。まさかチョコをいただけると思っていなかったので、つい」
「あ、お返しとかはいらないからねぇ」
「わかりました」
バレンタインすら忘却していた私のことだ、ホワイトデーなんて確実に記憶から消してしまうだろう。
でも、先輩からチョコを貰ったという事実は忘れない。なんだかんだで嬉しいし。
チョコを鞄に入れて、先輩と適当な雑談をしながら学校へ再び歩を進める。
なんの変哲もない一日の予定が、先輩に壊された。勿論、良い意味で。
こういう、日々を変える出来事を大事にしていきたいな。それがどんなに小さなことでも、変化をもたらすには十分に過ぎる。多くを望まなくても、私の望みなんて簡単に叶ってしまう。
ましてや、相手が先輩なら尚更だ。
校門に到着し、学年の違う私たちは玄関で分かれる。そして合流して、また少し会話をして別れる。
先輩はバイトの日だから、チョコの感想は明日にでも伝えよう。
教室に到着し、鞄の中で袋を開けて中身を覗く。
……先輩の嘘つき、手作りじゃん。
絶対にお返しすることを心に決めて、袋を元に戻し、そっと鞄のチャックを閉めた。
さて、ログボ実装後のバレンタインデーはどうなるんでしょうね。
 




