番外編:祭後の晩餐
打ち上げに参加する、先輩目線のお話になります。
華咲音先輩。
莎楼の声が、ずっと頭の中で反響している。何度もそれを思い出して、反芻する。
好きな人の声で自分の名前が再生されるなんて、夢にも思っていなかった。不意打ちだよ。
50日目のログボで、こんなに素敵なことがあるなんて。キスだけで満たされている気でいたけど、まだまだボクは空白だらけだったみたい。莎楼がそれを、少しずつ塗りつぶしてくれる。
「何ボーッとしてんだよ。ほら、焼けたぜ」
「ありがとぉ」
やっぱりクラスの打ち上げに誘われたから、莎楼の読みは正解だったなぁとしみじみ思う。
正面に座っているニケが焼いてくれたお肉をタレにつけて、ご飯の上に一度置いてから口に運ぶ。肉汁とタレが染み込んだ白飯、好き。
「後輩ちゃんと回れたか?」
「おかげさまでねぇ。ライブも大成功だったし」
「上手くいって良かったよなー。あたし、陸上の大会より緊張しちゃったもん」
「私も緊張したよ、ですよ」
ニケの左隣に座るアラが頷く。
二人のおかげで、莎楼に歌を聴かせることができた。本当に感謝しかない。
「あ、でもあの歌詞はちょっと指摘したいんだけど」
「うん?」
「誰もカサっちのことを見てないとか、寂しいこと言うなよな」
「あはぁ。ごめんごめん、ニケとアラは別だよぉ」
「ならいいけどさ」
「カサちゃん、実はニケはずっとそれを気にしていたんだよ、です。友だちなのにって」
「そうだよねぇ。ボクの数少ない友だちだからねぇ」
「後輩ちゃんと遊ぶのが楽しいのはわかるけど、たまにはあたしとアラちゃんのことも誘ってくれよ」
「うん。夏休みに入ったら遊ぼうよぉ」
結構二人とも遊んでいるつもりだったけど、もしかしたら寂しい思いをさせていたのかもしれない。
二人が付き合ってるから、なんとなく一歩引いていたのかも。莎楼とはまた別の枠で、ニケとアラのことも大切にしたい。
ニケはどんどんお肉を焼いて、追加注文までしている。こういう時に仕切ってくれる人がいると、楽でいいよね。
焼肉なんて、莎楼と二人で行って以来だけど。また行きたいなぁ、莎楼のクラスの打ち上げはどこのお店なんだろ。
「あ、今後輩ちゃんのこと考えてただろー?」
「わかるのぉ?」
「わかるよ、付き合い長いし」
まさか、ニケもテレパシーの使い手だったとは。それとも、ボクがわかりやすいのかな。顔に書いているって言われるタイプじゃないと思っていたのに。
「ねぇ。ニケはさ、名前を呼ばれるの好き?」
「名前かぁ。あんまり呼ばれることないからなぁ」
「私がたまに呼んでるじゃない、ですか」
「へぇ。やっぱりそれってさぁ、特別な時?」
「そうだね、です」
「普段はあだ名で、特別な時は名前呼びかぁ。なんかいいねぇ」
ニケは照れ笑いのような顔であたふたしている。多分だけど、アラは付き合っていることを教えても良いと思っているんだろうな。
早く教えてくれればいいのに。まぁ、気長に待とうかな。
「そんな話をされるとさ、照れるよ」
「照れなくても良いでしょ、ですよ」
排煙が間に合っていないのか、どんどん煙が充満していく。大丈夫なのかな、火災報知器とか反応しそうで怖い。
クラスの皆が、煙の中で盛り上がっている。入ろうと思えば入れるけど、その輪の中に踏み込めない。
誰もボクのことなんて見ていない、なんて言いつつ、ボク自身が皆のことをちゃんと見ようとしていないのかも。
試しに、チスイに話しかけてみよう。
「ねぇチスイ。ボクがメイクを落として戻ってきた時に、受付のところにいなかったみたいだけど」
「音朝さんにちょっと呼ばれてね」
「ふぅん。チスイは、オトアサのことを名字で呼ぶんだね」
こんな、道端で会話しているおばさんよりも盛り上がらない会話をして申し訳ない。
でも、どんな用で呼ばれたのか訊かれたら絶対いやだと思う。そうやって先回りして考えて、保険ばかりかけるからダメなのかな。莎楼が相手なら、もう少し踏み込めるんだけど。
「何、そんなチェックしてたの?」
「ちょっと、思うところがあってねぇ」
「名前呼びって、なんか恥ずかしいじゃん」
「あはぁ。わかるよぉその気持ち」
ボクだけが妙に意識してるのかと思っていたけど、やっぱり名前呼びは特別なことなんだ。
センパイが何年か前に、名前呼びをしたがる人の心理とか教えてくれたことをふと思い出した。今も大学で心理学を学んでいるのかな。
「そろそろ終わりだし、金を集めるぞ」
「アキラぁ、そこは奢りで頼むよぉ」
「俺はそんな金持ちじゃない。ほら、早く二千円出せ」
「はいはーい」
財布から千円札を2枚取り出して、アキラに渡す。
打ち上げの幹事とか偉いなぁ。ボクにはできない。莎楼のクラスの幹事は、アキラの妹なのかな。なんとなくそんな気がする。
「金払った奴はいつ帰ってもいいぞ」
「終電のことを考えたら、そろそろ帰った方がいいかなぁ」
「私はそろそろ帰るよ、ですよ」
「あたしも帰ろうかな」
皆が少しずつ立ち上がり、出口に向かって歩き出す。
急いで帰る理由もないけど、終電を逃すと大変だ。さすがにセンパイを呼ぶのは申し訳ないし。
こういう時に、親を呼んで車で帰る人が少しだけ羨ましい。ボクには一生縁がない行為だから。
なんて考えていると、ポケットに入れていたスマホが振動しだした。こんな時間に誰だろう。
画面を確認して、思わず笑みがこぼれる。
「カサっち、どうした?」
「ごめん、先に行っててぇ」
通話ボタンを押して、電話に出る。一応、駅に向けて歩きながら。
『もしもし。今大丈夫ですか』
「うん。今はねぇ、打ち上げが終わって駅に向かうところだよぉ」
『もしあれでしたら、またかけ直しますが』
「平気だよぉ。珍しいねぇ、君からかけてくるなんて」
『えっと、その。私も打ち上げが終わって、そろそろ駅に着くところなんですけど。なんとなく先輩の声が聴きたくなって』
「あはぁ。打ち上げの空気がなんとなく嫌だったとか?」
『それは否定できませんが、直接の要因ではないです』
「ボクはねぇ、焼肉を食べながら君のことをずっと考えてたよぉ」
『奇遇ですね、私も焼肉でした。そして、先輩のことを考えていましたよ』
なんだろう、電話越しの声が甘く脳に響く。すごく素直に可愛いことを連呼する莎楼、たまらない。
学祭も終わって、ちゃんとスマホも直ったわけだし、また夜に通話とかしたいなぁ。
視界には、まだニケとアラの背中が見える。
二人には聴こえないくらいの声の大きさで、通話を続けながら歩く。
「学祭も終わったし、次会う時はいっぱいお喋りしたいなぁ」
『おうちデートにします?』
「それは天気次第かなぁ」
『一応、晴れるように祈ってください。……あ、電車が来たのでそろそろ切りますね』
「はぁい。それじゃ、また明後日ねぇ」
『はい。……おやすみなさい、華咲音先輩』
「おっ、おやすみぃ。莎楼」
また不意打ちをされた。いつの間にそんな強いワザを容易く扱えるようになったのか。
声が裏返らないように気をつけるので精一杯だった。先輩としては少し悔しいなぁ。
スマホをポケットに戻して、駆け足で二人の背中を追いかける。
また頭の中で、ボクの名前を呼ぶ声が反響し始めた。
今夜、眠れるか心配だなぁ。
これで正式に学祭編は終わりです。




