50日目:学校祭二日目〜重ねた想い〜
メイド喫茶の担当を終え、制服に着替えて、先輩のクラスのお化け屋敷に向かう。結局、先輩がメイド喫茶に来ることはなかった。
友だちと、何処か別のところに行ったりしていたのだろうか。後で訊いてみようかな。嫉妬してると思われそうだけど。
私の心中はかなり穏やかで、まーちゃんや無音さんが来たことも、先輩が来なかったことも、特に私の心を乱してはいない。少しは成長したかな。
先輩のクラスに到着すると、カップルらしき2人組が5組くらい並んでいた。普通に考えて、単身で乗り込むという人の方が珍しいか。
「いらっしゃい。おひとりかな?」
「はい、そうです」
「それじゃあ、ここにクラスと名前を書いてね」
入口付近に座っていた、店番らしき女子にボードを手渡された。胸元に、『千水』と書かれた名札が付いている。先輩の話に出てきたことはない名前だ。
店番用の机の上には、小さなドクロや注射器が置いてある。雰囲気を出す小道具だろうか。
クラスと名前を書き、ボードを返す。
「あぁ、君がクグルちゃんか。初めて顔を見た」
何故だろう、すっかり有名人になってしまっている。
それだけ、先輩とニケさんの波及力が強いということか。
「先輩の影響ですか」
「そうだね、カサとニケがたまにあなたの話をしているよ」
「千水先輩は、お二人と仲が良いんですか」
「いや、私は別に。カサと本当に仲が良い人なんてそうはいないし」
「そう、ですか」
やっぱり、先輩は広く浅い付き合いをしているんだ。
誰も自分のことなんて見ていない、って先輩は歌っていたけども、そんなことはないと思う。
「ほら、そろそろあなたの番だよ。頑張ってね」
「はい」
千水さんが緩く笑い、私を送り出す。
あれだけ待機していたハズのカップル達は、いつの間にかお化け屋敷に飲み込まれていたらしい。
時々、悲鳴のような声が聴こえる。
恐る恐る、お化け屋敷に一歩踏み入る。真っ暗だけど、足元だけは照らしてある。
天井まで届く黒い壁で所々が仕切られていて、目の前の道しかわからないような作り。
これは本格的だな、と思いながら、ゆっくり歩を進める。
「ぅおっ」
突然、目の前に全身真っ赤な人が現れた。思わず変な声を出してしまった。
「わたしの血……飲まない……?」
ひたひた、と歩いて何処かへ消えた。随分と可愛い声だった。
ほとんど目の前を見ることしかできない構造で、死角からお化けが出てくるシステムか。完璧に理解した、怖い。
よく目を凝らすと、床や黒い壁に沢山の赤い手形が付いている。その内の一つが、私の頬を撫でた。
「んひぃ!?」
手形の中に、本物が混ざっていたのか。薄暗いからわかりにくい。
今度は、両サイドが壁のゾーンに来てしまった。
これはホラーゲームでよくある、両側から腕とか飛び出してくるやつではないだろうか。あれ、わかっていても怖いんだよね。
両腕を胸の前でクロスして、身構えながらゆっくり歩を進める。
……警戒した割には何も起きない。なるほど、何かあると思わせて何も無いパターンのやつか。
バァァァン!!
「キャーーー!!??」
違った、何かあると思わせて何も無いと見せかけて本当はやっぱりなんかあるやつだった。もう終わるよってタイミングで腕が両方から10本くらい飛び出してきた。
完全に気を抜いていたので、女の子みたいな声を出してしまった。女だけど。
……眼前の左端に、めちゃくちゃ髪の長い人が座っている。アラさんだ、きっとそうに違いない。
地獄で仏に会ったよう、じゃないけど、ここで知っている人に会えるのは嬉しい。
とはいえここは戦場、恐る恐る『推定アラさん』に接近する。
「あれ……マネキン?」
「ばぁ」
「ひぃぃぃッ!?」
マネキンに重なるように、上からアラさんが降りてきた。否、落ちてきた。長い髪が黒い滝のように揺れる。
「その可愛い声、カサにも聴かせてあげて、です」
「ま、まだ先輩は出てきていなかったんですね……」
アラさんはマネキンの後ろの隠し扉を開いて、姿を消した。
そこからまた上に戻るのだろうか。
まだニケさんと先輩が登場していない。
教室一つ分の広さのはずなのに、終わりが見えない。レクイエム的な攻撃でも食らっていただろうか。
「……ん?」
出口の光が見える。やはり教室一つ分なんて、そんなに広大なフィールドではなかったというわけだ。
あの二人がこの短い通路の何処から出てくるのかわからないけど、あともう少しでゴールだ。
上からも下からも横からも、何も出てこない。
一気に光の中に足を踏み入れる──。
瞬間。真っ暗になった。
廊下の光じゃなく、演出の明かりだったのか。考えている数秒の間に、再び明るくなった。
「キャァァァァァァァッ!!!!!!」
ほぼゼロ距離の眼前に、白塗りの顔に耳元まで裂けた赤い唇、大きくギョロギョロとした目玉。そして無造作な黒髪に、溢れた腸の人物が立っていた。
「いい声で鳴くねぇ」
「せ、先輩……?」
「お疲れ様ぁ。これで本当にゴールだよ」
「ニケさんは……?」
「真っ赤な手形ゾーンにいたと思うよぉ」
「あれか……」
ミイラ女だとばかり思っていた。昨日はそうだったのかもしれない。
「お疲れ様ー。楽しかったようで何より」
「千水先輩……」
「ありがとうチスイ。おかげで最高の悲鳴が聴けたよぉ」
「それは重畳。メイク落として、今日はもうフリーになって良いよ」
「先輩、ずっとやっていたんですか?」
「それでメイド喫茶に行けなくてさぁ。お客さんが途切れなくて」
「昨日来てくれましたし、お気になさらず」
「ありがとぉ。それじゃ、着替えてくるねぇ」
「いってらっしゃいませ」
メイドの癖が抜けていない。どうしよう、日常生活になんらかの影響を及ぼしてしまいそうだ。
「千水さん……」
最初に出てきた、全身真っ赤な可愛い声の人がお化け屋敷の入口から現れた。
明るいところで見ると怖くない。不思議だ。
「音朝さん。休憩が欲しいの?」
「あのね、ちょっとだけ……あの……」
「……わかったよ。今誰も待ってないし、少しだけね」
そう言って、千水さんは『しばらくお待ちください』の札を立てて、オトアサ先輩と近くのトイレに入っていった。
よくわからないけど、きっとこれは気にしたらダメなやつだ。
「おまたせぇ」
「メイク落とすの早いですね」
「そこはまぁ気合いだよねぇ」
先輩は千水さんの不在に触れなかったので、私も敢えて話題に出さないことにした。
「さて。残り時間、どこか行きますか」
「お化け頑張ったから、なんか食べたい」
「購買とか行きます?」
「そうじゃなくてぇ」
先輩の、舐めるような視線。頭の上から爪先まで、ゆっくりと全身を見られる。
お化けより怖いのは生きている人間だって、死んだおばあちゃんも言ってたな。
「……そういうことですか」
「キスだけでいいからぁ」
「では、去年見つけた穴場に行きましょうか」
「穴場って、なんかやらしぃ言葉に聞こえない?」
「多分それ中二レベルですよ」
いつも通りの制服姿に戻った先輩と、メイド服を着ていない私が手を繋ぐ。
大勢の生徒の中を進みながら、少しだけ先輩の気持ちがわかった。誰も自分のことなんて見ていないって、こういうことか。
出店も何も無い方へ進み、すっかり誰も居なくなった廊下を真っ直ぐ進む。
立ち入り禁止とは書かれていないし、一応電気も点いている階段を上る。
「なるほどぉ、パソコン室かぁ」
「正確にはパソコン室は鍵がかかっているので、パソコン室前の空間が穴場です」
「そりゃ誰も来ないわけだ」
パソコン室とよくわからない部屋の二つのみの、小さな離れ的な階。いわゆる移動教室だ。
ここなら誰も来ないし、鍵がかかっているので見回りに来る先生もいない。
「先輩。キスはしますが、あくまで今日のログボは学祭終了後にあるので」
「わかってるよぉ。ずっと楽しみにしてるんだから」
「なら、良いですけど」
脚を伸ばして、壁にもたれかかって座る先輩。
その綺麗な脚の間にお邪魔し、立ち膝をして先輩にキスをする。
学祭中とは思えないくらい静かで、私たちの呼吸と鼓動しか聴こえない。目を細めて、優しく微笑む先輩。一回じゃ足りないのか、もう一度キスする。一回目よりも長く、ゆっくりと。
「ねぇ、パンツ見えそうだよ?」
「見たければどうぞ」
「自分の言葉には責任を持ってねぇ?」
ゆっくりと、私のスカートに伸びる手。
それを、反射的に握って制止する。自分で言っておいて、羞恥心的な何かが反射神経を通して反応してしまったようだ。
「すみません、私が軽率でした」
「そうだねぇ。ダメだよぉ、ボクにそんなこと言ったら」
「先輩って性欲強いですけど、スカートを捲るとか胸を触るとか、そういうことはあまりしませんよね」
「ボクってそういう認識されてたの?」
「性欲というか、三大欲求がつよつよだと認識してます」
「あはぁ、否定はしないけどね。でも、ほら。君とボクは恋人じゃないし」
逆に、恋人になったら何が変わるんだろう。そういうアクションが増えるのだろうか。
だって、もしも付き合ったとしたら。それには別れという終わりが付きまとうことになる。良いところだけじゃなくて、嫌なところが見えてきたりするかもしれない。
失うことへの恐怖で、私はあと一歩を踏み出せないでいる。
ほら、やっぱり踏み込むのが怖いんだ。この関係を続けて、先輩の優しさに甘えていれば良いんだ。
この気持ちに、この関係に、名前を付けたくないんだ。
うるさいな。
「……恋人に、なりたいですか」
「え?」
「私と、ログボという関係をやめて。付き合って、恋人という関係になりたいですか?」
「んー。そんな顔してる子に、恋人になりたいとは言えないかな」
「先輩……」
「ボクはねぇ、あんまり関係性にこだわりはないんだ。結婚をゴールだとは思ってないし、センパイみたいにすぐ別れちゃう人もいるし」
「で、でも。恋人じゃないからって先輩が遠慮するのは……なんか、嫌なんです。私が、はっきりしていないせいだから」
「違う、君は何も悪くない。今度そんなこと言ったら、怒っちゃうからね」
「……ふふ。先輩の怒った顔、一回は見てみたいですけどね」
「変な伏線をはらないでよぉ」
いつもの笑顔と喋り方に戻った先輩と手を繋いで、階段を降りる。来た時と変わらず、誰も居ない。
何か、ずっと胸に引っかかっていた言葉の、欠片のようなものが口から出てしまった気がする。
来た道を戻って、空腹を満たすために、駐車場や駐輪場のあるスペースに出ている出店に向かう。
「たこ焼きにフライドポテトに、焼きそばに……。ほとんどお祭りの屋台ですね」
「PTAの皆さんと先生方の努力だねぇ。あ、PTAには先生も含まれてるか」
「大丈夫です、わざわざ指摘しませんよ」
2人で適当に食べ物を買って、駐輪場横の段差に座る。ベンチでもなんでもないけど、丁度いい高さだ。
「学祭が終わったら、クラスの人たちと打ち上げとかに行きます?」
「考えてなかったけど、誘われるかもねぇ」
「やっぱりそうですよね。……では、今ログボを渡します」
「えっ、大丈夫なやつ!?」
「ふふ。別に早まっても大丈夫なやつです」
今、このタイミングで気づけて良かった。もし今日を逃してしまったら、このログボを明日渡そうとは思えなかっただろうから。
大袈裟に深呼吸して、期待の眼差しを向ける先輩と向かい合う。膝の上に乗せてあるたこ焼きと焼きそばの熱が、容器からスカート越しに脚に伝わる。
「昨日のライブに、今日のお化け屋敷。先輩のおかげで、学祭を楽しむことができました。ありがとうございます」
「えへへ。こちらこそありがとぉ」
「私、その。まだ……まだまだ、50日目にもなって、本当にまだまだ変わっている途中で申し訳ないのですが」
「そんなことないよぉ」
心臓が大袈裟に暴れる。体の外に出て行ってしまいそう。きっと先輩は、これらの言葉がログボだと思っているだろう。
先輩の歌のように、私も伝えるんだ。言葉にしないと伝わらないって、何度も学んだから。
「これからも、ずっと。一番近くにいますから。50日なんかで満足せず、ログインを続けてくださいね。
──大好きです、華咲音先輩」
言って良かったな、と私は笑う。その顔を見られただけで、勇気を出した価値がある。
たこ焼きと焼きそばの熱は、まだ残っている。熱いうちに食べないと冷めてしまう、という先輩の言葉を思い出した。
「ほら、いつまでそんな顔してるんですか。食べましょ?」
「く、莎楼ぅ」
ライブで泣かされちゃったので、これでおあいこだ。なんて。




