36日目:コール・ミー・ライブ①
耳元に感じる、板一枚隔てた距離感。
「先輩、お願いがあります」
「ログボ休止!?」
「違います。落ち着いてください」
「落ち着くね」
月曜日の朝。第二理科準備室で、何度目かわからないやり取りをしている。
今日はずっと晴れの予報なので、気分も軽い。そろそろ梅雨明けだろうか。
「実はですね、今日から30日まで、ゲーム内で復刻イベントがありまして。それに集中したいんです」
「なんだぁ。そんなことなら全然オッケーだよぉ」
「ありがとうございます」
「むしろ、ログボ実装してからゲーム頻度が減ってる気がしたし、安心したよぉ」
「安心、ですか」
「うん。ちゃんと趣味も楽しんでもらいたいもん」
ログボ実装からというもの、先輩が魅力的すぎて、ネトゲへの熱意が薄れているのは認める。
が、復刻イベントとなると話は別だ。
先輩に詳しく説明する気はないけど、簡単に言うと、過去に入手を逃していた武器やアイテムが手に入れられる、またとないチャンス。
「では、お言葉に甘えて。久々に周回します」
「今日を入れて一週間かぁ。がんばってねぇ」
「毎朝のログボは欠かさないつもりです」
「えらいねぇ。よしよし」
先輩の手が、私の頭を優しく撫でる。昨日の甘えたことを思い出して、少し照れてしまう。
「では、今日のログインボーナスを」
「お願いしまぁす」
目を閉じる先輩に、優しくキスをする。
新しいシャンプーの匂いも、すっかり馴染んできた。髪以外からも、何が由来か不明ないい匂いがする。『先輩の匂い』みたいな香水でも売っているんだろうか。
「そろそろ教室に行きましょうか」
「あ、ちょっといい?」
「なんですか?」
「ゲームしてる時って、ボイスチャットしてるのぉ?」
「する時としない時がありますね。単純な周回の時は、しないことの方が多いです」
「じゃあ、夜に電話してもいい?」
「構いませんよ」
遊べない分、お話をしようという先輩の提案は、かなり魅力的だ。
ゲームをしている時に、きちんとした言葉遣いで会話をできるかは怪しいけれど。どうしよう、うっかりゲーム関連の暴言とか吐いたら。
「ボクは通話し放題のプランに入ってるから、ボクからかけるねぇ」
「わかりました。夜九時以降なら、いつでも出れると思います」
「それじゃ、また夜にねぇ」
二人で第二理科準備室を出る。ここの廊下は相変わらず静かで、誰もいない。
先輩に手を振り、自分の階に戻る途中で、ニヤリと笑う理科の先生とすれ違った。別にいかがわしいことはしていませんよ、と心の中で言っておいた。
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夜8時半。
今日は学祭準備には参加せず、バイトに行った。
夏休みに向けて、少しでも稼いでおきたい。なんでも先輩に出してもらうわけにはいかないし、遠方に行くための交通費も確保しておかないと。
夕飯とお風呂も済ませ、早速ログインする。
武器を交換するために必要なイベントコインは千枚。ミッション一回でドロップするコインの枚数は平均10枚。デイリークエストとクリア報酬でもコインは手に入るし、毎日4時間くらい周回すれば余裕かな。
ちらちらとスマホの画面を確認しつつ、イベントクエストに参加する。
今日は支援に徹しよう。パーティーを組まず、野良で参加する時は支援職の方が気楽。
「結構参加者のレベル高いな。これなら攻防強化撒いて回復に徹した方が効率いいかな。ボス以外はそんな固くないし」
返事が無いことが明確な独り言を呟いていると、スマホが震え出した。そんな速さで首動かせるんだ、と自分でも驚く速度でスマホを確認する。先輩からだ。
「もしもし」
『もしもしぃ。今大丈夫ぅ?』
「はい。今クエストに参加したところです」
『それじゃあ、適当に喋るから、返事ができそうならしてほしいなぁ』
「わかりました」
キーボードを打鍵し、敵からドロップしたアイテムを回収する。ドロップ率ブーストを最大まで使っているけど、それでもコインの落ちは渋い。
周回前提の作業ゲーと言われるとそれまでだけど、私はこういうのが苦にならない。
『あ、パソコンでやってるんだねぇ』
「はい。結構いいゲーミングパソコンなんですよ」
性能や値段について説明したい気持ちを我慢する。
ゲームとかしない人がそんな話を聞いても、馬の耳に念仏状態になるだろうし。
『そうそう、サヨナラエナジー読み終わったよぉ』
「おっ、どうでした?」
『普段、小説を読まないボクでも楽しめたよぉ。読みやすいし』
「行方行方の本はどれも読みやすいんですよ」
『現実世界が舞台なのに、キスをした相手の思考を読み取る能力を持つ女の子が主人公、っていうところも驚いたよぉ』
「先輩も持ってるじゃないですか、その能力」
『あはぁ。そんな能力があったら、ログボの度に大変なことになっちゃうよぉ』
毎回ドキドキしていることとか、どのくらい先輩のことが好きなのかとか、いい匂いだなぁと思っていることとか、そういうのが全部見通されるのは恥ずかしい。
画面内では、次々と雑魚敵が溶けていく。
バフだけではなく、敵の攻撃と防御を低下させる魔法と、状態異常をばら蒔いているので、自然と時間短縮になる。
「先輩は、ラストをどう解釈しました?」
主人公の女の子が、昔から好きな男の子と、自分に好きだと告白してきた女の子の両方とキスをするが、どちらと付き合うのか、そしてどんな思考を読み取ったのかは描かれていない。
『主人公がどんな思考を読み取ったのかはわからないけど、相手の気持ち次第で自分の気持ちを変えるなんて、ボクならできないなぁ』
「……確かに、そうかもしれませんね」
『まぁ、好きだなーって思っている人が、自分のことを好きでいてくれたら一番いいんだけどねぇ』
「ふふ、私に言ってます?」
『うぇっ!? 他意はないよぉ?』
電話越しでもわかる狼狽えっぷり。可愛い。
私たちが両想いなのかどうかなんて、それこそ先輩に思考を読み取ってもらわないとわからない。自分でもわからないことを、誰かに委ねるのも変な話だけど。
「そんな能力が無くても、お互いのことをわかりあっていきたいものですね」
『そうだねぇ』
所持アイテム一覧を開き、コインを確認する。60枚か、今日中に100枚は集めておきたい。
土日もあるし、割と余裕はある。もしかしたら、日曜は先輩に会えるかもしれない。というか、会うために早めに終わらせたい。
『ねぇねぇ。今度さぁ、行方行方の小説を借りてもいい?』
「喜んで。先輩と語り合えるなんて嬉しい限りです」
『オススメはなぁに?』
「『間違い晒し』とか良いかもしれません」
『どんなお話なの?』
もう何周目か忘れたけど、クエストを受注する。
支援職がそこそこいる。野良だとこういうことがあるから、固定パーティーを組んで高速周回する方が効率いいんだけど。
「えっと、過去に過ちを犯した男女三人の話なんですけど、少しずつ自分の罪を告白していく内に、その三人は過去に関わっていたことが明らかになるっていう」
『面白そうだねぇ』
私の荒すぎるあらすじに興味を持ってくれたようで、早速明日に貸すことが決まった。
そこから小説の話とか、先輩が最近買ったCDの話とか、コスプレのイベントに参加するか悩んでいることとか、ヒアさんが煙草の銘柄を変えた話とかを、取り留めなくポツポツと続けた。
所持コインの枚数が100枚を超えた辺りで、先輩の声が小さく、か細くなってきた。
「先輩、もう眠たいのでは」
『んにゅ……そんなことないよぉ……』
「そんなことありまくりじゃないですか。寝てください」
時計を確認すると、日付が変わって一時間も経過していた。ネトゲは時間を食べまくるから困る。結局、時間を沢山使える人が有利なんだよね。
『……すぅ……すぅ』
「先輩?」
先輩の代わりに、沈黙が返事をした。
私もそろそろ寝よう。ノルマはクリアしたし、所持品を整理して、ログアウトする。
そういえば、先輩は毎日ログインしてボーナスを得ているわけだけど、ログアウトはいつしているんだろう。
まぁ、ログインしたままでも日付が変わったら自動的にログボが貰えるゲームもあるし、気にすることではないか。ただの言葉遊びみたいなものだし。
「おやすみなさい、先輩」
先輩の寝息を子守唄に眠るなんて、贅沢すぎる。
寝落ち通話、良いですよね。でも二人の関係だけじゃなく、スマホが熱を持つこともあるのでご注意を。
 




