35日目:レイニーでブルー(後編)
変わるものと、変わらないもの。
先輩のことを抱きしめて、頭を撫でる。
年上を猫のように扱うのは、何回やっても慣れない。目を細めてニコニコしているのを見ると、なんだか私まで嬉しくなる。
「先輩の髪、本当にサラサラですね」
「髪には気を遣ってるからねぇ。もうちょっと伸ばそうと思ってるんだぁ」
「アラさんみたいに?」
「アラは床につきそうなくらい長いからなぁ。今は肩にかかるくらいだから、腰辺りまで伸ばそうかなぁ」
「卒業までに、そこまで伸びますかね」
「1ヶ月に1センチ伸びるとして、卒業まで10センチくらいしか伸びないからねぇ。ちょっと無理かも?」
このくらいの長さでも、私には魅力的だから良いけど。
サラサラで柔らかい髪が、指の間を通り抜けていく。ずっと触っていられそう。
「そろそろ、キスしますね」
「それがログボってことになるのかなぁ?」
「そう、ですね。多分」
「多分なんだぁ」
もう、どれがログボなのかよくわからない。
おうちデート自体はログボじゃないのか。ログボと宣言してからするキスがログボなのか。ログボって言い過ぎて、ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。
「とにかく、しますよ」
「はぁい」
先輩の後頭部に手を回し、キスをする。
先ほど堪能した黒髪が、また私の手を歓迎してくれる。少し熱を帯びた地肌が、ぎこちない手のひらに触れる。
二回、三回と唇を重ね、先輩はとろんとした目で私の胸の上に手を置く。大袈裟なほどに鼓動が高鳴っているのがバレてしまう。
「なんですか、この手は」
「いやぁ、そこに胸があったから。つい」
「そこに山があるからみたいに言わないでください」
「あはぁ。揉んだりはしないから安心してねぇ」
「……はい」
別に、服の上から触られるくらいなら問題ない。更衣室とかで成長確認、とか言いながら胸を揉んでくる女子もいるし。
「ちょっと元気になったぁ?」
「はい、おかげさまで」
「あはぁ。それじゃあさ、ちょっと」
先輩の目が獣のように光った瞬間、ピンポーン、と言葉を遮るようにインターホンが鳴った。
危ない危ない。わかんないけど多分危なかった。
「私、出ますね」
「……はぁい」
明らかに機嫌を損ねた、悔しそうな先輩を部屋に残して玄関に向かう。宅配ピザなんて久しぶりだけど、お金を渡せば良いんだっけ。
「はい」
「こんにちはー、ピザフィートです。こちら、ご注文の人気クワトロと、トマトシュリンプピザです」
二枚も頼んだのか。確実に余る。
いくら先輩が食欲旺盛でも、ピザというのは食べ進めていく内に限界を迎えるものなのだ。1人1枚計算で食べていい代物ではない。
「それと、サイドのボックスポテトですね。お会計、4648円です」
サイドメニューまで頼んだのか。確実に余る。
え、今から何人か友人を呼んでパーティーでもするのだろうか。そんな突然のアメリカンなノリに対応できるほど、私は寛容ではない。
財布から5千円札を出して支払い、お釣りを受け取る。
「ありがとうございましたー!」
爽やかな笑顔で、お兄さんは出て行った。
鍵をかけて、想像より重いピザの箱を持ち直し、部屋に戻る。
「先輩、どうして2枚も頼んだんですか」
「え、だって夕飯ないんでしょ?」
「無い、ですけど」
「だからぁ、残ったピザはオーブンで温めて、夕飯にすればいいでしょ?」
「えっ、優しい……」
「今日の君は、料理作る余裕もなさそうだったしねぇ」
「はい、カップ麺でも食べようかと思っていました」
「それならさぁ、一緒にピザパした方が楽しいでしょ?」
「女神かな?」
「先輩だよぉ?」
さっきまで心の中で、ちょっと頭がおかしいんじゃないのかなーと思っていたのが申し訳なくなった。
いや、昼も夜もピザという点はおかしい気もするけれど、先輩の優しさが嬉しい。
「そういえば、一昨日もピザ食べましたよね」
「宅配ピザは『宅配ピザ』という概念だからねぇ。お店のピザとは違うのだぁ」
「あ、それちょっとわかります」
ピザとピッツァの違い、みたいな感覚。
そんなピザを、テーブルの上に二つ展開する。部屋用のテーブルなので、なんかもう狭い。ポテトを置く余裕がない。
「それじゃあ、いっただきまーす」
「いただきます」
熱々のピザを持ち上げ、伸びるチーズに目を輝かせる先輩。
口に運び、んーと嬉々として声を出す。可愛いなぁ本当に。
「さすがは人気の味が四種類。食べてて楽しいねぇ」
「ピザって、暴力的な旨味と香りですよね」
「たまに食べるからいいんだよねぇ」
「たまに……?」
一昨日も食べたのに。いや、宅配ピザという概念はたまに、という意味だろうか。文脈から考えよう、国語の授業だ。
「ねぇ。ピザ食べ終わったらさ、さっきの続きしようよぉ」
「しません」
「しようよぉ〜!」
「しません。ほら、早く食べちゃいましょう。冷めちゃいますよ」
「ボクだって、早く食べないと冷めちゃうよ!?」
「先輩はいつでも熱いので大丈夫です」
皮付きポテトって、どうしてこんなに美味しいんだろう。細いカリカリのやつも良いけど、これはホクホクで好き。
「ボクはいつでも熱いの……?」
「あ、そこ引っかかります?」
「暑苦しい的な意味だったら落ち込むもん」
「熱意的な意味ですよ」
それも、私に無いものだ。と思う。
熱意というか情熱というか、やる気というかなんというか。
「まぁ、悪い意味じゃないならいいけどさぁ」
「私が先輩のことを悪く言うわけ、ないじゃないですか」
「まぁ、確かにそうかも」
恐るべき早さでピザが無くなっていく。侮っていた、先輩の食欲。ポテトも込みでどんどん減っていく。え、夕飯の分とか残るのかな。
「先輩、普通に無くなりそうですけど」
「だって、君が何も手を出してこないからさぁ」
「ヤケ食いはやめてください」
「まぁ、寝顔も見れたし、甘えんぼなところも見れたし、今日は満足ってことにしておくよぉ」
「……恥ずかしいので、もう雨が降っている日は会わないことにします」
「あはぁ。そんなこと言わないでよぉ」
先輩になら、弱いところや恥ずかしいところを見せても良いか。
きっと、どんな私でも好きでいてくれるのだろう。
……どんな私でも、本当に好きでい続けてくれるのだろうか。
「先輩。私が、どんな『私』でも、好きって言い続けてくれますか」
「急に別人になったりしたら言わないかも?」
「別人にはなりませんね」
人の悪口ばっかり言うようになったり、暴力的になったりしたらさすがにねぇ。と先輩は目を閉じてしみじみと言う。
私が人に踏み込めるようになったりすると喜んでくれたし、恋をしたことがない私より、恋ができる方が嬉しいだろう。
私のまま、私は変わらないといけない。
「でも、ボクに変えられている途中なんだもんね?」
「そうですね」
「ログボ実装の頃から比べると、かなり変わったと思うけどねぇ」
「いい意味で、ですか」
「もちろん」
笑顔で肯定する先輩。こうもはっきり言われると、照れる。
夕飯用に残しておくために、ピザの箱を閉じる。ウェットティッシュで手を拭き、ベッドに座る。
「先輩、ちょっとこっちに来てください」
「なぁに?」
「……もう少しだけ、甘えてもいいですか」
「あはぁ。やっぱり変わったねぇ」
先輩の手が、私の頬を撫でる。
やっぱり、先輩はいつも熱い。
※ピザ代は後でちゃんと割り勘しました。




