31日目:サボタージュ(中編)
湯けむりなんちゃら事件。
希過市に入ってから10分ほどで、温泉街に到着した。色々な所から、湯けむりが上がっている。
歴史を感じる景観に、ほんのりと硫黄の匂い。平日にも関わらず、観光客がかなり歩いている。外国人も多い。
土産物屋の駐車場に停まり、ヒアさんは、私たちに降りるように促した。
運転席の窓を開けて、降りた私たちと話す。
「本当に、ありがとうございました」
「ん。楽しんでおいで」
「センパイ、今度お礼するからねぇ」
「じゃあ、ホテル予約しておく」
「まってぇ?」
「冗談。お礼なんかいらない」
ヒアさんは静かに笑い、窓を閉めて走り去った。
本当にいい人だなぁ、と思いつつ、いい人じゃないよ、という過去の発言が頭をよぎる。あれは謙遜なのか、それとも本心なのか。会う度に謎が深まる。
「それじゃ。適当に歩いてみて、良さそうなところ探そっか」
「そうですね」
手を繋いで、観光客の中を歩く。
日帰り入浴可能です、と書かれた看板が多数目につく。料金もそんなに変わらないし、建物の外観や好みで決めても良さそうだ。
「あっ。こことかどうかなぁ」
「創業50年、『湯百合温泉』ですか。良いんじゃないですか、見た目も綺麗ですし」
「50年やっててもキレイなんだねぇ」
「企業努力でしょうか」
薄紅色の暖簾をくぐり、カラカラと引戸を開ける。
広い玄関。木のいい匂い。歴史を感じるけれど、古くさいとは思わない。横に並んでいる下駄箱に靴を入れ、スリッパに履き替える。
「いらっしゃいませ。日帰りですか」
「そうです」
「おひとり様、400円です」
安い、と心の中で驚きつつ、先輩と一緒にお金を払う。
ロッカーの鍵を受け取り、赤い暖簾に向かう。男湯はこの階にあるようだが、女湯は階段を降りた先にあるらしい。
先輩と階段を降り、『女湯』と書いた赤い暖簾をくぐる。貰った鍵に書いてある番号のロッカーを見つけ、そこに鞄を入れる。
「コンタクトを外してくるねぇ」
「わかりました」
先に服を脱ぎ、ロッカーにしまう。鍵をかけ、左の手首に鍵を着ける。
コンタクトを外し終えた先輩が戻ってきた。急いで服を脱いで、ロッカーに入れている。別に焦らなくても良いのに。
「よし、それじゃ入ろっかぁ」
「はい」
ガラッと戸を引くと、大小様々な湯船が五つほど目に飛び込んできた。人の姿は見当たらない。
お互いかけ湯をし、まずは洗い場に行く。先に体や頭を洗うのを済ませておくと、なんだかんだで楽だし。
「先に洗うタイプなんだねぇ」
「楽じゃないですか。あ、左がボディーソープで、右がリンスインシャンプーです」
「ありがとぉ」
ここからはお互いに無言で、体を洗う。まぁ別に汚れてはいないんだけど、湯船に浸かる前は綺麗にしないと。
「あ、先輩。お背中お流ししましょうか」
「お願いしまーす」
「この短期間で、また一緒にお風呂に入るとは思いませんでした」
「そうだねぇ。次はボクが洗うよ」
「お願いします」
お互いの背中を流して、頭を洗う。
この、絶対に自宅で使うことはないであろうシャンプーとか、旅行の醍醐味だと思う。ホテルに泊まった時にも思ったけど。
「ボクは髪洗うのに時間かかるから、先に湯船に浸かってていいよぉ」
「では、お言葉に甘えて」
丁寧に髪を洗い流す先輩を横目に、まずはジャグジーに入る。小学生の頃から、このぶくぶくが好き。体が下から揺らされる感覚がたまらない。
それにしても、本当に誰もいない。外にはそこそこ人がいたけど、もしかすると宿泊客だったのだろうか。それなら、午前中に誰も入浴していないのも頷けるけど。
「おまたせぇ。ジャグジーいいよねぇ、ボクも好き」
「良いですよね。自宅に欲しいくらいです」
「あはぁ。そうなると、かなり稼がないとダメだねぇ」
笑いながら、泡に包まれる先輩。すごいな、胸とかそんなになるんだ。うっわすごいわこれ。
「……」
「そんなに見つめないでよぉ。えっちだなぁ」
「えっ、いやいや。そんな邪な気持ちで見ていたわけではありませんよ?」
「別にいいよぉ。誰もいないしぃ、さわったりする?」
「しません。のぼせちゃいますし、湯船も赤く染まります」
「じゃあ後でだねぇ」
後でってなんだ。今日は泊まらないし、何処でナニをするつもりなんだろう。キスならいつでも良いけど。
「露天風呂に行きませんか」
「うん。じゃあ、そこでちゅーしよ」
「ふふっ、わかりました」
タコみたいに唇を尖らせる先輩。可愛いなぁ。
こんな時でも、いやこんな時だからこそなのかもしれないけど、先輩はいつでも私とキスをしたがる。毎日キスしてほしい、という言葉から関係が始まっただけはある。
露天風呂に繋がる戸を開けると、石の敷き詰められた庭園にある、池のような湯船があった。
周りに植えられている、背の低い木々もアクセントになっている。
「いいねぇ。上半身を冷やしつつ、下半身を温める感じ」
「露天風呂って良いですよね。夏になると虫の死骸とか浮いていたりしますが」
「この時期なら、まだ大丈夫そうだねぇ」
「そうですね。……あの、ではキスしますね」
「よろしくぅ」
先輩が私の方を向き、目を閉じた瞬間。
ここに繋がる扉が開く音が聞こえた。慌てて振り返ると、そこに居たのは私を今の私に変えた人物だった。
「……まーちゃん?」
「えっ、くーちゃん?」
人に深く踏み込まず、一歩引いて言葉を選ぶ。
そうやって生きていくことを私に決意させた人物が、一糸まとわず目の前に立っている。
あぁ、最悪だ。
次回。今まで散りばめられていた、後輩の過去の一端を担うお話になるかもしれません。




