23日目:まさかのランチ(後編)
パスタ作った後輩。家庭的な後輩がタイプの先輩。ひとめぼれじゃなくて、前から惚れてる。
買い物を終えた私たちは、ヒアさんの車に乗った。助手席は私で、後部座席で、先輩が荷物を持って座っている。買い物袋は2つ。
お母さんに頼まれたものと、カプレーゼの材料だけでなくパスタも買ったし、何故かアイスとかジュースも買ったので、袋がパンパンになってしまった。
「それじゃあ、カサの家に行くよ」
「ヒアさんは、先輩の家に行ったことがあるんですか」
「入ったことはない。家の前まで送ったことは何回もあるケド」
「あはぁ。いつもお世話になってます」
「敬語やめて。違和感しかない」
駐車場を出て、先輩の家に向かって走り出す。
先輩の住んでいる町は、駅名こそ市の名前だけど、凄く栄えているわけではない。高級そうな家は多いけど。
基本的に電車でしか移動しない私にとって、車での移動は新鮮だ。あまり乗ったことがないので断言はできないけど、ヒアさんは運転がかなり上手い。安心感と安定感があって、先輩が何度も送ってもらうのも頷ける。
……なんだろう、少し心がざわつく。
「あの、ちょっと不躾な質問をしても良いですか」
「いいケド」
「ヒアさんと先輩は、その……昔、付き合っていたりとか、そういう関係でしたか」
先輩は、以前に交際経験が無いと言っていたが、正直、あまり信じていない。これほどの美人が、本当に経験が無いのだろうか。
先に質問に答えたのは、先輩だった。
車は、手押し式の信号で停まった。
「いやいや。誰とも付き合ったことないって、前にも言ったでしょ?」
「修羅場か。もっとやれ」
「センパイ、ちゃんと否定してよぉ」
「そうだね、付き合ってはいない。でも、付き合ってなくても色々デキる。それは、サドちゃんもよく知ってるでしょ」
「イジワルなこと言わないでよぉ」
「サドちゃんの想像に任せるよ」
信号が青に変わり、車は動き出す。
確かに、私も先輩と付き合ってはいないけど、色々なことをしてきた。だから、仮に先輩が過去にナニをしていようと、否定することも怒ることもできない。
私と出会う前なら、尚更そうだ。好きな人も初めてであってほしい、というのは、ただのわがままだ。ログボ初日の時にも思ったけど。
車内に、なんとなく気まずい空気が流れる。
スマホが振動したので、確認する。助手席に座っている人は、スマホを見たりしない方が良いとは思うけど。
後部座席で無言になっている、先輩からのメッセージだった。
『本当にセンパイとは何もしていません』
思わず吹き出しそうになるのを堪え、後ろを振り返る。おどおどした表情の先輩と目が合った。
「敬語はやめてください。違和感しかありませんよ」
「それ、さっきのセンパイのやつ……?」
「ふふ、そうです」
「なんかイチャついてる。事故ろっかな」
「安全運転でお願いします」
「私とサドちゃん即死。カサだけ生存。ふふ」
「え、どこが笑いどころだったのぉ?」
ヒアさんはそれ以上は何も言わず、静かに運転を続けた。勿論、安全運転で。
それから5分ほどで、先輩の家に着いた。敷地内である裏手には5台分の駐車スペースがあり、来客はそこに自由に停めて良いそうだ。流石、よくわからないけどお金持ち。
「この家にお客さんが来ることなんて、今はもうないんだけどねぇ」
「そうなんですね」
「ほとんど住んでないんでしょ。よく知らないケド」
先輩が袋を2つ持って降りてきたので、1つ受け取る。鍵を開けるのに邪魔だろうと思ったから。
ありがとぉ、と先輩は言い、鞄から鍵を取り出した。
「がっちゃーん」
「お邪魔します」
「お邪魔します。広いね」
「ボク1人で暮らすには、広すぎるよねぇ」
「ご両親は、もう住んでないんですか」
「なんか2人とも浮気してるみたいで、ほとんど帰ってこないんだぁ。最後に顔を見たの、いつか思い出せないもん」
毎月、お金だけは置いてあるけどね。と先輩は付け加え、買ったものを台所に運んだ。ヒアさんはソファに座り、煙草を取り出す。
「ごめん。ちょっと吸ってくる」
「ここで吸ってもいいよぉ?」
「未成年の前で吸うほど、落ちちゃいない」
そう言って、ヒアさんは玄関に向かう。
車内でも吸っていなかったが、それは私たちに気を遣っていたということか。それとも、車では吸わないタイプなのだろうか。
「それでは、調理を始めましょうか」
「はーい」
「まず、パスタを茹でましょう。その間に、ニンニクと鷹の爪を、オリーブオイルで炒めます」
「パスタを茹でる時って、どうすればいいのぉ」
「お湯を多めに沸騰させて、パスタを投入します。1人前につき、塩を10グラムほど入れると良いですよ」
「ふむふむ。じゃあ今回は30グラムくらいかなぁ」
3人前のパスタを鍋に入れ、先輩が塩を入れる。
お湯の量と塩の量は、なんとなくでも覚えておくと役に立つ。
「ニンニクがきつね色になったら、トマト缶を投入して、煮詰めます。先輩が穴が空くほど見つめていたトマトは、後でカットして入れましょう」
「先に入れないのぉ?」
「別にそれでも構いませんが、後でモッツァレラと一緒に散らした方が、カプレーゼっぽくて私は好きです」
ソースを炒めながら、先輩に味見をしてもらい、塩と胡椒で味を整えてもらう。
少しずつトマトが液状化し、半分ほどの量になったところで、5分茹でたパスタを入れ、強火で和える。麺の硬さの好みを聞いていなかったけど、アルデンテで良かっただろうか。
「麺とソースが馴染んだら、火を止めて、バジルとオリーブオイルを加えます」
「オリーブオイルをこんなに使うの、朝の番組で料理してた人だけだと思ってたよぉ」
「パスタ系は結構使いますね。体にも良いですし」
「あとは、モッツァレラチーズとトマトを乗せればいいんだねぇ?」
「その通りです。先輩、ヒアさんを呼んできてください」
「はぁい」
先輩が玄関に向かって、パタパタと走る。その間に、お皿に盛り付けておこう。最後にトマトとモッツァレラを乗せて、完成。
「いい匂い」
「でしょでしょ」
「カサが得意気な理由がわからない」
テーブルに運び、フォークを並べる。冷静に考えると、食器類も全て、恐らく先輩の親が買ったものだけど、こんなに自由に使用しても良いのだろうか。
ほとんど家に帰ってこない、とは言っていたが、冷蔵庫の中に食材を入れているわけだし、こうして過ごしている時に、ばったりと会ってしまったりしないのだろうか。少し怖い。
「それじゃ、いただきまーす」
「いただきます」
「どうぞ、お召し上がりください」
2人がパスタをくるくる巻いているのを、緊張しながら見つめる。どうだろう、お口に合うだろうか。
「……美味しい。喫煙者に言われても、嬉しくないだろうケド」
「んー、おいしぃ。本当にカプレーゼのパスタって感じだねぇ」
「ふふ、ありがとうございます」
美味しいと言ってもらえて、本当に良かった。
トマトとモッツァレラを一緒にフォークに刺し、口に運ぶ。うん、やっぱり一緒に食べるのがカプレーゼの楽しみ方だ。
ふと視線を感じ、先輩の方を見ると、どうやら私の食べ方を見つめていたらしい。
「モッツァレラは、トマトと一緒に食べるといいの?」
「そうですね。ほとんどのオタクは履修済みの食べ方です」
「そうなんだぁ」
私の真似をしながら食べ、微笑む先輩。食べている時も可愛い。常に可愛いけど、特に麺類を食べる時の先輩はトップクラスに可愛い。こちらまでにやけてしまう。
「ごちそうさまでした。私は帰るケド、サドちゃんは」
「私は、後で帰ります。今日はありがとうございました」
「ん。それじゃ、またね」
ヒアさんは手をひらひらと振り、帰っていった。
「帰らなくてよかったのぉ?」
「折角お会いできたんですし、ログボでもどうですか」
「いいのぉ?」
「というか、私がキスしたいだけですね」
テーブルの上もキッチンも片付けていないのに、先輩にキスをした。トマトも真っ青になるくらいの、真っ赤な唇に。
カプレーゼパスタ、美味しそう。




