22日目:雨の後に歌えば
6月編がスタートします。ここから読み始めても大丈夫だと思います。
目覚まし時計が鳴る前に、雨音で目が覚めた。
今日から6月だけど、梅雨入りにはまだ早いはず。
目覚ましのボタンを押し、鳴らないようにしてから、スマホの充電器を抜く。電源をつけたが、着信履歴は無い。自然とため息が出る。
スマホを持ち、布団から出て、1階へ降りる。
卓上に朝食を並べているお母さんに、朝の挨拶をする。今日のメニューは、ベーコンと目玉焼きの乗ったトーストのようだ。
「おはよう」
「おはよう。あら、随分とテンションが低いわね」
「雨だからね」
先輩からの連絡が無いことも原因の1つではあるけど、半分くらいは本当に雨が原因だ。昔から雨や湿度に弱く、朝から降っている日は特に元気が出ない。
別に、晴れている日も元気いっぱいというわけではないが。
「取り敢えず、朝ごはん食べちゃいなさい」
「うん」
胡椒と焼けたマヨネーズの風味が、口いっぱいに広がる。ベーコンのジューシーさと、半熟の目玉焼きのやわらかさがたまらない。黄身がこぼれないように、慎重に噛みつく。
半分ほど食べ進めたところで、突然スマホが鳴り出した。慌ててトーストを皿に置き、電話に出る。
「も、もしもし」
『あはぁ。今日は起きてたねぇ』
「はい。いつもは、先輩が電話をかけるのが早いんですよ」
『そうだねぇ。あのね、今日から土曜日はバイトしなくなったんだけど、遊べるかな。雨だけど』
「雨が降ろうと槍が降ろうと、先輩と遊べるなら問題ありません」
『ありがとぉ。それじゃあ、10時に戸毬駅で待ち合わせってことで』
「わかりました。それでは、また後で」
急いで残りのトーストを食べ、皿を片付け、階段を上って部屋に戻る。
通販サイトで買ったばかりの、白のニットセーターと黒のジャンパースカートをクローゼットから取り出し、薄い紫色の折り畳み傘も用意した。服にお金をかけるようになったのも、先輩の影響だ。
可愛いよ、って言ってもらえるだろうか。
なんて、浅ましいか。
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午前10時。
戸毬駅のベンチで座っていると、先輩が駆け寄ってきた。胸が暴れている。暴乳ハロー注意報発令。
全面に小さいテディベアが沢山描かれている、少し大きめのピンクの服と、黒のショートパンツ。一瞬、服が大きいから、下には何も着ていないのかと思った。
「安心してね、履いてますよぉ」
「ちょっと古いです」
「あはぁ。君がジャンパースカートを着てるの初めて見たけど、可愛いねぇ」
「ありがとうございます。先輩も、ピンクなんて珍しいじゃないですか」
「たまにはいいでしょ」
「はい。とっても可愛いです」
「ありがとぉ」
良かった、可愛いって言ってもらえた。心の中でガッツポーズをしつつ、ベンチから立ち上がって、微笑む先輩と手を繋ぐ。
相変わらず、特に行き先は決めていないが、2人で駅を出る。折り畳み傘を取り出そうと思ったが、いつの間にか雨は止んでいた。雲間から、光の梯子が伸びている。
「それでは、今日は何処に行きましょうか」
「その前にぃ、6月初のログインボーナスくーださい」
「いつも通り、キスで良いですか」
「ぎゅーってしながら、とかはダメぇ?」
「良いですよ。……あの、駅を出る前にしておけば良かったですね」
流石に土曜日ということもあって、駅も街中もそこそこの賑わいを見せている。こんな中で、抱きしめてキスは難しい。先輩には申し訳ないけど。
少年漫画のように、『場所を変えよう』なんて言うのもなんだか可笑しいし、どうしようか。
「じゃあ、カラオケに行こうよ。個室だし」
「カラオケ、ですか」
「苦手ぇ?」
「私、カラオケに行ったことが無いんですよ。歌も得意ではありませんし」
「そっかぁ。ボクも歌は得意じゃないけど、仲のいい人となら案外気にならないよぉ」
「では、ちょっと体験してみます」
以前に行ったゲーセンの隣に、カラオケ屋がある。土曜日に、予約もせずに行っても大丈夫なのだろうか。混んでいて入れなかった、とクラスメート達が話しているのを、よく聞くけど。
「君は、普段はどんな歌を聴くのぉ?」
「あまり聴かないですね。ゲームのサントラとかは聴きますが」
歌詞のある曲が苦手で、どうしても内容が頭に入ってこない。歌詞に集中すると曲がわからなくなるし、曲として聴くと歌詞が理解できなくなる。だから、ゲームのサントラくらいしか聴かない。
駅から歩いて10分ほどで、カラオケ屋に到着した。
「いらっしゃいませ。ご予約はされていますか?」
「してないんだけどぉ、空いてるかなぁ」
「2名様ですね。機種は選べませんが、それで良ければご案内できます」
「じゃあそれでお願いしまーす。2時間飲み放題付きで」
「かしこまりました。26番の部屋になります。ごゆっくりどうぞ」
伝票らしきものと、おしぼりが入っているカゴを渡され、26番の部屋に向かう。
部屋の扉を開けると、テレビだけが暗い部屋で光っていた。煙草の臭いがする。
先輩が部屋を明るくして、マイク2本とよくわからない機械をテレビの前から手元に持ってきた。これで歌う曲を予約するのだろうか。
「ドリンク飲み放題で、2時間も個室で二人きり。これってすごいことじゃないかなぁ」
「確かにそうですね。では、ログインボーナスを」
「お願いしまぁす」
先輩のことを抱きしめ、唇を重ねる。
やわらかさと、甘い香りが私を包み込む。さっきまで感じていた煙草の臭いも何処へやら。胸の感触、鼓動の高鳴り、とろける唇の感覚。
しつこく言うが、付き合っているわけではない。それでも、この感覚は嫌いじゃない。というより好き。大好き。
「キスで長生き、ハグでストレス解消だっけ」
「理論上、不老不死になりますね」
「あはぁ。君と一緒に、長生きできたら嬉しいなぁ」
バッドエンドくさいフラグめいた発言は控えてほしい。明日にでも先輩がいなくなってしまうようで、怖い。失くしていないのに、変な喪失感が胸に去来する。
「できるに決まっているじゃないですか」
「本当かなぁ。そうだと嬉しいなぁ」
「さて。先に歌ってくださいよ」
「しょうがないなぁ。それじゃポチッと」
先輩が謎の機械を触ると、1曲目に予約しましたという画面が表示され、音楽が流れ出した。
「これはどんな歌なんですか」
「甘ったるいラブソングだよぉ」
2時間も先輩の歌うラブソングなんて聴いたら、脳が蕩けてしまわないだろうか。心配だ。
作者はカラオケが苦手です。




