19日目:ときめきはディナーのあとで(前編)
一緒に「いただきます」を言えることの喜び。
「もう、バイト辞めようかなぁ」
「えっ、どうしたんですか」
昼休み。
第二理科準備室で先輩と一緒に、購買のパンを食べている。
先輩はボリュームたっぷりの焼きそばパンとカツサンドを頬張っている。リスみたいで可愛い。
私はクロワッサンと、たっぷりの生クリームと苺ジャムが入ったコッペパンを食べている。安くて量が多いのが、購買のパンの良いところだ。それなりに美味しいし。
「今日も明日もバイトでしょ、君と遊べない日が多いなぁと思って」
「辞めなくても、シフトを少し減らすとか。私も合わせますよ」
「そうだよねぇ、辞めたらお金が減っちゃうもんねぇ」
「先輩はお金が沢山あるイメージなんですが、全てバイトで稼いだものなんですか?」
「その質問はぁ、ボクがおじさんとか相手に、イケナイことをしているのか疑ってるってことぉ?」
「いえ、決してそんなことは」
親からお小遣いを貰っているとは思えなくて、とは言えなかった。地雷ならまだしも、最初から親絡みの話題を出すのは地雷でもなんでもない。目に見えている危険物に、自ら突撃するようなものだ。
というか、先輩がおじさんとか相手にイケナイことをしていたら、全力で止める。その前に泣く。
「一応、親から毎月15万円は貰ってるけどね」
「じゅっ……ごほっ、15万円ですか」
驚いた衝撃で、飲み込んで良いサイズではないコッペパンが、喉の奥に突撃してしまった。むせて涙が出る。
「手をつけたことはないけどねぇ。お金だけ渡して、それで親の義務を果たしたつもりになってるんだよ」
「……なるほど」
「高校を卒業したら、今までのお金をそっくりそのまま、ぜーんぶ返すんだぁ」
「凄いですね、私なら使ってしまうと思います」
「あはぁ。もし君が同じ状況だったら、使わないと思うけどなぁ」
「買い被りすぎです。私はそんなに強い人間ではありませんから」
先輩はパンを全て食べ終え、空き袋をゴミ箱に捨てた。そういえば、誰もこの部屋には来ないはずだけど、ここのゴミ箱に捨てても良いのだろうか。
私も急いで残りのパンを食べ、本題に入ろうとした。昼休みの残り時間は、あと10分。
「せ、先輩」
「なぁに? そんなに慌てなくても大丈夫だよぉ」
「あの、お互い今日はバイトですが、夜はお時間ありますか?」
「うん、暇だよぉ」
「それでしたら、ご夕飯を作りに行ってもよろしいで……」
話している途中で、興奮した先輩に両肩を掴まれた。軽く揺すられる。
「また作ってくれるのぉ?」
「は、はい。あの、それならバイトがあっても会え……あっ興奮しすぎです先輩、揺らしすぎです」
「あ、ごめんねぇ。じゃあさ、終わったら一緒に、スーパーで食材とか買おうよぉ」
「良いですね。そうしましょう」
「あ。心配しなくてもぉ、家にはだーれも居ないからねぇ」
「わかりました」
先輩はかなりの上機嫌で、私の肩から手を離した。こんなに喜んでくれるなら、もっと早くに言えば良かった。
しかし、いつもご両親が不在のようだ。まさか先輩は、あの大きな家で、実質的に一人暮らしをしているのだろうか。
休み時間の終わりも近づき、第二理科準備室を出る。施錠している間も、ずっとニコニコしている先輩。可愛い。
「それじゃあ、終わったら連絡するから。またねぇ」
「はい。それでは、また」
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「マスター、昨日はありがとうございました」
「いえ……」
午後7時。『Venti』の営業も終わり、片付けをしながらマスターと会話をする。今日は10人もお客さんが来たので、マスターも心なしか嬉しそうだ。
「あの、茶戸さん……。昨日のパーティーで余った食材、良かったら貰って下さい……」
「え、良いんですか」
「はい……その、不要なら別に……」
「いえ、今日は特に大助かりです。是非いただきます」
「わかりました……。片付けも終わりそうですし、先に帰って下さい。食材を持ってくるので……」
「ありがとうございます」
マスターから食材と、缶ジュースまでいただいた。
制服に着替え、もう一度マスターにお礼をして、店を出る。
半月より少し細い月が、煌々と輝いている。先輩にメールをすると、すぐに返信が届いた。どうやら先輩もバイトが終わったようで、次の電車に乗るらしい。これから私も電車に乗れば、ほぼ同じくらいの時間に不行駅で会えるはず。
鞄と、マスターからいただいた袋を持って、駅へと向かう。平日のこの時間ともなると、人も車もほとんど通らない。
連日、先輩に学校外で会えるのはとても嬉しい。やはり、私は先輩のことが『そういう意味』でも好きなのか。こんなにも会いたくて、こんなにも幸せなのは、これが恋だからなのではないだろうか。
もしそうだとして、先輩と正式に付き合ったとして、それで何が変わるだろう。世の中の人たちは、どうして付き合うことに執着するのだろう。別に恋と確信しなくても、正式に交際をしなくても、今が幸せならそれで良いと思う私は異端なのだろうか。
なんて考え事をしていると、駅に着いていた。
人はまばらで、少し冷たい夜風だけが私の近くにいる。
「あれぇ、その荷物はなぁに?」
「これはですね、マスターから……って先輩!?」
「驚きすぎだよぉ。センパイが、ついでだからってここまで送ってくれたのだー」
「そうですか……。あ、この荷物はマスターからいただきました。野菜とかジュースが入ってます」
「良いねぇ」
「……あの、先輩」
「ん?」
間。言葉が続かない。2人の間を、また夜風が通っていく。その感覚が、私に次の言葉を急かす。バイトお疲れ様です、でも言おうと思ったけど、出てきたのは違う言葉だった。
「……好きです」
「ボクも大好きだよぉ」
赤面する私と、優しく微笑む先輩を乗せるために、人のほとんど乗っていない電車が来た。
どうか、何も言及しないでほしい。この言葉の真意を、どうか勘繰らないでほしい。ただの挨拶、お互いがわかっていることの再確認。認識を共有するための言葉。ただのそれだけ。そう、そうであってほしい。
どうか、この『好き』に、先輩の望む意味を付加しないでほしい。
「……先輩、食べたいものはありますか」
「あはぁ。それは勿論、莎楼とか」
「それは食後にお願いします」
「えっ」
「えっ」
先輩の家へ向けて、電車は動き出す。
どうしようもない私の気持ちも乗せて。
次回、一緒にご飯を作って食べます。