15日目:後輩の母に会いに行く(前編)
好きな人の親に会うの、緊張しますよね。経験ないですけど。
「先輩、なんですか昨日のは」
「え、なんの話ぃ?」
「陸上部のエース、ニケさんと一緒に来店したことですよ。なんですか、私の嫉妬心を煽りたかったんですか」
「顔が怖いよぉ……?」
放課後。戸毬へと向かう電車の中で、先輩に詰め寄る。
今日はお互いバイトが休みなので、少なくとも私は遊ぶ気しかない。なんだか久しぶりに先輩と遊ぶ気がする。
「確かに、私は先輩と付き合っているわけではありません。しかし、私のバイト先に女子と来るのはデリカシーが欠如していませんか」
「ごめんねぇ。まさか、そんな気持ちになってくれるとは思わなくて。なんだか嬉しいなぁ」
「うれしっ……ごほん。まぁ、悪気が無いなら良いです」
そんなことで嫉妬する、自分の矮小さに嫌悪する。仮に交際していたとしても、そんなことで怒ったり、縛りつけようとするのは駄目だと思う。誰とどんな関係でいようと、個人は個人だ。
「他人に深入りしない。そんなスタンスの君がそういう気持ちになるの、ボク的にはかなり嬉しいんだけど」
「呆れても、怒っていただいても良いですよ」
「いやいやぁ。ボクの配慮が足りなかっただけだよぉ」
「いえ、そんなことは……」
いつも通り、先輩は柔和な笑顔で、優しい言葉をかけてくれる。この人の優しさに頼りっきりなのは、本当は良くないのだろうけど。
「そうだぁ。あの2人のこと、少し説明しておくよ」
興味は無いだろうけどね、と先輩は付け加える。興味が無いわけではないけど、個人的に仲良くなる予定は無い。
「まず、陸上部のエースこと、ニケ。二家って苗字だから、ニケってあだ名。ボクと同じクラスで、君の次に仲が良いかなぁ」
「私の方が上、ですか」
「君より仲の良い人なんて、いないからねぇ」
「……照れます」
「ふふ。そしてアラ。非って名前だから、これはあだ名じゃなくて本名だねぇ。あの変な口調は、海外生活が長かったから、らしいよぉ」
「なるほど。つまり、マスターも海外生活が長かったということでしょうか」
「今度、訊いてみてもいいかもねぇ」
『次は戸毬です。停車時間は僅かです』
デートでもバイトでも降りる、目的の駅名がアナウンスされた。でも、たまには他の場所に行ってみるのも良いかもしれない。
「さて、今日はどこに行こっか」
「先輩となら、どこへでも」
「あはぁ。それじゃあ……君の家に行きたいなぁ」
「えっ」
戸毬をスルーし、私が普段降りる駅まで向かうことが決まった。今日はお母さんがいると思うけど、大丈夫だろうか。
「ほら、そろそろご挨拶をしないといけないしさぁ」
「……まぁ、あの一件のこともありますしね。めちゃくちゃ恥ずかしいですけど」
「どうしよう、何か手土産を買った方が良いよねぇ」
「そんな、お気遣いなく。どうしてもと言うなら、コンビニのアイスとか喜ぶと思います」
「そんな安上がりで平気?」
「平気も何も、下手な高級品より喜びますよ」
『次は肆野です。停車時間は僅かです』
「あ、ここで降ります」
「肆野町で降りるのはあの日以来だよぉ」
「そう……ですか、そうですよね」
「あんまり来ないんだけど、有名なお店とかあるのぉ?」
「そうですね……。渋いマスターの営む喫茶店と、不行市で唯一のお花屋さんがありますよ」
「喫茶店」
「食いつきましたね」
電車が停止し、先輩と一緒に降りる。
本当は、もう一つ名物がある。そしてそれは、先輩の好奇心を間違いなく刺激する。だから、取り敢えず黙っておこう。
「さて。真っ直ぐ、君の家に行ってもいいのかなぁ?」
「構いませんよ」
「途中でコンビニに寄ろうねぇ」
「はい」
駅前は、不行ほどではないが、そこそこ賑わっている。大型スーパーや、その近くにある花屋、もう少し進むと喫茶店。この喧騒を抜けると閑静な住宅街があり、そこに私の家がある。
コンビニは自宅の近くにあるので、そこで良いだろう。
先輩と手を繋ぎ、スーパーの前を通過して、花屋の前に差し掛かる。そこの店長さんが、軽く手を振って挨拶をした。
「おっ、今日はお友だちと一緒っすか」
「こんにちは、花屋さん」
「いや、お友だちじゃあないみたいっすね。どうです、花でも」
変なところで鋭いことを言い出した。手を繋いでいるからだろうか。彼は女性人気が高いので、なんとなくわかるのかもしれない。
「お土産、お花でも良いかなぁ」
「良いですね。お母さん、喜ぶと思います」
お母さんは、コンビニのアイスより花に喜ぶタイプだと思う。たまに、食卓の上に花を飾っていることもあるし。
「お土産っすか。それじゃあ、お任せで花束とかどうっすか?」
「それでお願いしまぁす」
「白とピンクの薔薇、シャクヤク、あとは百合とか。5月の花でまとめました」
「わぁ、すっごい立派だねぇ。おいくらですかぁ?」
「千円でいいっすよ」
最低でも、3千円はしそうな大きさの花束だが、恐らく先輩が美人だからお安いのだろう。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
「毎度ありです」
先輩は千円札を手渡し、花束を受け取った。隣にいる私にまで届く花の香りが、鼻腔をくすぐる。
私は、花屋さんに小声で話しかける。
「先輩が美人だから安くしたんですか?」
「いいや。良いもの見せてもらったんで、ちょっとサービスっすよ」
そう言って花屋さんは、先輩が抱える花束の中の、ある花を指さした。……やはり見抜かれている。いや、付き合ってはいないけど。
なんて、この言い訳がいつまで通用するのか。
ちょっとずつ、人名や地名が出てきていますが、別に記憶しなくても大丈夫です。先輩と後輩だけわかっていれば大丈夫です。