文化の日:悲しみをくぐり抜けろ!
「あの、ちょっと良いですか」
本家の孫娘の隣に座っている、誰も気にかけていなかった小娘が突然立ち上がったことにより、罵詈雑言はピタリと止んだ。
「あら、全然気が付かなかったけど、貴女は誰?」
「私は茶戸莎楼。華咲音さんの後輩です」
「この集まりに親族以外が顔を出すなんて、恥ずかしいと思わないの?」
「あらぁ。それは、サドちゃんを呼んだ私に対する侮辱?」
さっきまで沈黙を貫いていたテラコさんが、静かにそう言った。たったそれだけで、興奮していた親戚一同は水を打ったように静まり返った。
先輩も言ってたけど、テラコさんは味方なんだった。じゃあもっと早くに助けてくれてもいいのに、と少し思ってしまったけど、きっと立場というものがあるのだろう。
「テっ、テラコが呼んだなら、ちゃんと躾くらいしておきなさい。流石に失礼が過ぎるわよ」
「失礼なのはどっちですか」
「く、莎楼。もういいよ、ね?」
座ったまま、心配そうに私を見上げる先輩。
軽く私の袖を引っ張って、座るように無言で訴えている。
先輩は、これ以上私が戦うことを望んではいないらしい。これ以上波風を立てたくないのか、それとも私の身を案じてくれているのか。
どちらにしろ、確かに私がここで先輩の親族一同を相手に戦うのは賢い選択とは言えないだろう。
でも、それができれば苦労はしない。
「ごめんなさい。たとえ先輩に嫌われることになったとしても、ここで黙っているわけにはいきません」
「……ありがとう、莎楼」
ここで謝るのでも怒るのでもなく、感謝をされるとは思わなかった。思わなかったけど、とても先輩らしいと思った。
「さっきから黙って聞いてれば、あなたたちは華咲音さんの何を知ってるんですか」
「ちっちゃい頃から知ってるよ。なぁ?」
「どんな気持ちでここまで来たか、あなたたちに言われた言葉でどんな気持ちになったか。わかります?」
「なんでそんなこと、俺たちが考えないと駄目なんだ?」
先輩の母親と話した時のことを思い出す。
なんとなく噛み合わないというか、根本的に考え方が違う生き物とは、会話が成立しないことを痛感する。
「先輩の心を、ほんの少しでも理解しようとしないあなたたちには、永遠にわからないでしょう!」
「余所者が、何を言ってやがる!」
「そうよ。跡継ぎ問題は深刻なの。このままでは、私たち分家も含めて滅んでしまうかもしれないのよ」
「じゃあ、さっさと滅んじゃえば良いんじゃないですかね」
知らない人たちが激昂して顔を真っ赤にしている中、先輩とテラコさんだけがクスッと笑った。
私、また何かしちゃいましたか?
「何を馬鹿なことを!」
「吹空枝の嬢ちゃんは絶対に結婚する、そうだろ!?」
結婚と出産は別問題なんだけど、そんなことも知らないのかな。そもそも、結婚するかどうかも本人の自由だし。
でも、売り言葉に買い言葉じゃないけど、ついそれを流すことはできなかった。
「そうですね。先輩は絶対に結婚します」
「あ、あぁ……?」
急に肯定されて驚いたのか、コズカタとやらは力の抜けた顔をしている。
「でも」
しゃがんで先輩の手を取り、2人で一緒に立ち上がる。
ヒーローショーで選ばれた観客みたいに、先輩は喜びと混乱の混じった表情を浮かべた。
それを見て、心配ありませんよ、と優しく微笑みかける。上手く笑えてると良いんだけど。
前を向き直して、大きく息を吸い、高らかに宣言する。
「華咲音さんと結婚するのは、私ですから!」
「「「はぁぁぁぁぁぁ!?」」」
何重にも重なった、理解不能を示す声が響き渡る。
「あははぁ。なんだか盛り上がってるねぇ」
誰かが何かを言う前に、まさかのタイミングでおばあちゃんがやって来た。
「ちょ、ちょっとメナミさん。このサドとかいう娘が、貴女のお孫さんと結婚するとか言い出しましたよ!?」
「言いましたけど」
「つまり、答えは出たってことかな?」
「はい。もう、迷いはありません」
「そう。で、華咲音は返事したのぉ?」
「えっ、あっ、だ、だってまだ……付き合ってもいないし」
まぁ確かにその通りで、先輩の進路が決まるまではお預けされている状況ではある。
勢いに任せて、宣言する必要の無い人たちの前で結婚宣言してしまった。
「あらぁ。まだ付き合ってなかったの?」
全員を代表するように、テラコさんは呆れ気味に肩を竦めた。
「先輩」
「は、はい」
「今日は、高確率で晴れる日だって教えてくれましたよね」
「うん」
「雨が苦手な私の記念日が、今日だったら良いなって」
「なるほど……。で、でも。ボクはまだ、ちゃんと将来とか」
「先輩の気持ちはわかってます。……わかっているつもりです」
少なくとも、この場に居る誰よりも。
本当は、2回目の告白なんて今日するつもりじゃなかったのに。
大好きな人に交際を断られる経験なんて、もうしたくなかったのに。
先輩の言葉を待っている間、まるで時間が止まっているみたいに静かだった。おばあちゃんもテラコさんも、親戚一同も一言も発さない。
私を含めて、全員が先輩の言葉を待っている。
「……ボクね、まだちゃんと決まってはいないんだけど、保育士さんになろうかなって思ってるの」
「そうだったんですね」
前に、ゴールは決まってないけど、ルートは決まったって言ってたもんね。
保育士さんになるのはゴールじゃないのかな。具体的には決まってないって意味かもしれない。
「でも、まだハッキリとは決まってなくて。……そんなボクでも、本当にいいの?」
「勿論。先輩の準備ができているなら、だけど」
今度は上手に笑えている自信がある。
たとえ今日無理でも、大丈夫だよって気持ちを込めて微笑むことができている。はず。
「……こんなボク、あっいや違う。不束者ですが……じゃなくて、えっと、あのね」
「はい」
「絶対に幸せにするから、ボクのことも幸せにしてくれる?」
「約束します」
「じゃ、じゃあ。えっと、ボクのことをお嫁さんに……あっ、彼女にしてくれる……して、ください!」
「はい。これでやっと恋人同士ですね、華咲音」
「待たせてごめんね、莎楼」
「そこは謝るところじゃないですよ」
「あはぁ。そうだね、ありがとぉ」
メナミさんとテラコさんが、拍手をしてくれた。
他の人たちは固まっていたけど、誰かが口を開いてからは洪水のように暴言が飛び交った。
わざわざ文章にするのも嫌なので、まぁ女同士だと跡継ぎがどうだとか言われたってことだけ言っておく。
「それではメナミさん、お誕生日おめでとうございます。私たちはこれで失礼しますね」
「あははぁ。お幸せにねぇ」
「ありがとぉ、おばあちゃん」
「待て、逃がさないぞ!」
コズカタの手が先輩に届きかけた瞬間、もう誰も来ないはずのこの家に、このお誕生会の場に、まるで迷い込んだかのように1人の女性が現れた。
「はぁ。盛り上がっているところ、邪魔するね」
「ママ……!?」
実に気だるそうに、それはそれは面倒そうに、ため息混じりに私たちの前に出た。
突然の先輩のお母さんの登場に、誰もが黙ってしまった。
「……改心でもしたのか?」
「生憎、改める心とやらを持ち合わせていないよ。私はね」
「なら、何をしに来た?」
「一族の恥晒しが!」
「茶戸……いや、クグルさん。娘をよろしく」
「はっ、はい」
「早く行って」
「ありがとうございます」
まさか、先輩を守るためにわざわざここまで来たのだろうか。
そんなこと、ありえないか。私が断じるのもおかしな話ではあるけれど、少なくともそういう人ではない。
先輩の手を握りしめ、廊下を走り、急いで靴を履いて家を出る。誰も追いかけてはこなかった。
「はぁ、はぁっ……はぁ、びっくりしたねぇ」
「まさか、先輩のお母さんが来るなんて……」
「どうしたんだろうねぇ、本当に」
「きっと、先輩がここに来ることを知って助けに」
「いや、それはないよ」
喋り終わる前に、否定されてしまった。
まぁ、先輩ならそう言うと思ったけど。
乱れた呼吸を整えながら、駅に向かう。色々あったし先輩のお母さんの登場で驚いてしまったけど、何より。そう、何よりも。
遂に先輩と、恋人になれたんだ。
押し寄せる歓喜が、心臓と顔を揺らす。大きな声で叫びたい、そんな衝動に駆られる。
「……ねぇ、莎楼」
「はい?」
「つ、付き合ったけどさ。ログボはこれからも欲しいなぁって。……ダメかな?」
ログボという建前は、もういらない気もするけど。
でも愛着があるというか、毎日キスする口実として大事にした方が良いかも。
「大丈夫ですよ、これからもログインしてね」
「うんっ」
私の大好きな人にはログボが無かったらしいので、恋人の私が毎日キスしないとね。
誰も居ない駅に到着すると、どうやら電車はまだまだ来ないらしいことが判明した。
でも、きっと先輩のおばあちゃんとお母さん、それにテラコさんも居るから大丈夫だろう。きっとここには誰も来ない。
駅の中のベンチに座って、先輩の左手を握る。
「ねぇ莎楼。恋人になったら、まずは何をすればいいのかなぁ」
「そうですね。まずは……」
特に何も変わらないとは思うけど、やっぱりここからスタートになるだろうから。
「キスから始めましょうか。ね、華咲音?」
2人にお祝いの言葉を。




