123日目:ノーベンバー・レイン
雨。決戦前日。
「あ、起きたぁ。おはよぉ」
薄暗い室内、パジャマ姿で笑顔の先輩、屋根の上から聞こえる雨の音。
一度に色々な情報が入ってきて、どうすれば良いのかわからなくなってしまった。せめて、朝の挨拶は返さなきゃ。
「おはよう、先輩」
「今日は残念ながら雨だよぉ」
「……そうみたいですね」
時計を見ると、まだ朝の9時ということがわかった。暗いのは雨のせいか。
そのせいで、隣に天使が居るのに全く元気が出ない。どんどん力が抜ける。
「今日はゆっくりしよっかぁ」
「そうしていただけると、嬉しいです……」
頑張って起き上がり、なるべく笑顔に近い表情を作る。
昨日は寝る前にキスしたけど、今日はできるかな。
そんなことを考えながら、一緒にベッドから出て、手を繋いで一階へ降りる。
「朝ごはん……食べます?」
「ボクが作ろっか」
「良いんですか?」
「任せといてよぉ。簡単に作れて軽く食べられるやつ、作っちゃうよ」
そう言って先輩は、まるで自宅みたいな自然さで冷蔵庫を開けて、ハムとチーズと卵と牛乳とバターを取り出した。
それからパン置き場から食パン、調味料の入っている引き出しから塩と胡椒と砂糖を選抜。
サンドイッチを作るのかな。
「別に、見てなくてもいいよぉ?」
「え、見ますよ……」
「ゆっくり休んでてもいいのにぃ」
「たとえ虫の息でも、先輩のクッキングは見守りますよ」
「そ、そっかぁ。ありがとね」
ちょっと戸惑いながら、先輩はパットに卵を割って入れて、そこに牛乳と砂糖も入れた。フレンチトーストの卵液だろうか。
「これを混ぜたら、次はパンをまな板の上に置くよ」
「実況助かります」
「パンの上にチーズ、ハム、塩、胡椒を順番に乗せて、またチーズ、ハム……のループを気が済むまでやるよ」
「無限ループじゃないですか」
「流石に自分の家じゃないからぁ、無限にはやらないよ」
「別に良いのに」
チーズもハムも、先輩に使われて本望だろうし。
気が済んだようで、蓋をするようにパンが乗せられた。
「これを斜めに切って、さっきの卵液に漬けまぁす」
「サンドイッチをフレンチトーストにする、ってわけですね」
「そんな感じぃ。全面コーティングしたらぁ、次はフライパンにバターを入れて加熱するよ」
ジュワッ、と溶けるのと同時に、バターの芳醇な香りが漂い始めた。
「ここに、卵液を浸したサンドイッチを入れて焼くねぇ」
「うわっ、めっちゃ良い匂いですね」
「お腹減ったぁ?」
「既に空腹です」
「よかったぁ」
じっくりと焼けるパンの上に、パットに残った卵液を追加で流す先輩。なるほど、無駄が無い。
「このまま焼き目がつくまで、じっくりと焼いたら完成だよぉ」
「簡単だけど、贅沢ですね」
「後で、使った食材のお金は払うよぉ」
「いや、そんな気は遣わないでください。なんなら私が先輩にお金を払いたいレベルです」
「あはぁ。そんな大したことはしてないよぉ」
雨が降っているだけで不調になる私に、何も責めるようなことを言わず、ただ優しくしてくれる先輩。
そんな先輩に、感謝してもし尽くせない。有り難すぎて、筆舌に尽くし難い。言葉にしないと伝わらないのはわかっているけど、どれだけ言葉にしても全て伝えられる自信が無い。
でもきっと、全てでは無くても……先輩には、ちゃんと伝わっていると思う。
「はい、モンティクリストの完成だよぉ」
焼き上がったサンドイッチが、皿に盛られる。
モンティクリスト、初めて聞く料理名だ。クロックムッシュとフレンチトーストの合体だと思っていたけど、きちんと名前があったんだ。
「あ、飲み物……インスタントコーヒーで良いですか?」
「うん。ありがとぉ」
やかんに水を入れて、コンロに置く。その間に、モンティクリストの乗った皿を2枚、テーブルに運ぶ先輩。
一瞬でお湯が沸くやつ、買った方が良いかもしれない。不便だと思ったことが無かったけど、今欲しい。
マグカップにコーヒーの粉末を入れて、やかんの注ぎ口から湯気が出るのを待つ。トロットロでアッツアツのチーズを堪能したいので、早く沸いてくれと心の中でやかんを急かす。
そんな思いが通じたのか、湯気が出たのでやかんを持ち上げ、マグカップにお湯を注いでいく。美味しくなれ。
「お待たせしました」
「全然だよぉ。それじゃ、食べよっかぁ」
「はい。いただきます」
「いただきまぁす」
ザクッ、と小気味のいい音が鳴った。
フレンチトーストの甘み、チーズとハム、それから塩と胡椒の塩味が同時に口の中に広がる。
「美味しい、すごく美味しいです!」
「よかったぁ。味変で、ハチミツをかけるのもオススメだよぉ」
「ハチミツは無いので、今度試してみます」
「是非ぜひぃ」
それにしても、本当に美味しい。高価な食材は使ってないけど、贅沢感がある。そして満足感も。
今日はあまり食べられそうにない、と思っていたけど、あっという間に食べ終えてしまった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまぁ。皿はボクが洗っておくから、横になっててもいいからねぇ」
「ありがとうございます。横にはなりませんが、お言葉に甘えますね」
まだ雨は降っているけど、かなり元気になってきた。心もお腹も満たされたからに違いない。
鼻歌を歌いながら皿を洗う先輩を、ソファの上から眺める。
そういえば、明日は晴れるのかな。不行と尾途だと天気も違うだろうし、スマホで調べておこう。
「予報では晴れ、明後日はまた雨か……」
「文化の日は高確率で晴れる、って知ってたぁ?」
皿を洗い終えた先輩が、私の隣に座りながらそう言った。
文化の日の天気なんて、今まで気にしたこと無かったな。
「いえ、初耳です」
「正確には、前後の天候がたとえ雨だったとしても、晴れる日なんだってさぁ。晴れの特異日って言うんだよ」
「特異日、ですか。それも初耳です」
「晴れに限らず、色んな特異日があるんだよ。偶然、の一言で片付けられないくらいの高確率なんだってさぁ」
「へぇ……。晴れの特異日は、私にとってめちゃくちゃ良い日ってことになりますね」
「そうだねぇ」
良かった。もし明日も雨だったら、先輩を守れなかったかもしれない。一安心。
いや、何故か戦うことが前提になっている。何も無ければそれで良い、平和が一番。
「……いよいよ明日ですね」
「うん」
頑張りましょうね、は違う。
私が守りますから、もなんか違う。
あくまで、先輩のおばあちゃんの誕生日を祝いに行くんだから、そんな負のイベント感を出すのは違うだろう。
「おばあちゃん、喜んでくれるといいね」
「そうだねぇ」
「せ、先輩」
「んぅ?」
上手く言葉がまとまらなくて、雨のせいか思考もまとまらなくて、でもだからってキスするのも違う気がして。
先輩のことを呼んだのに、言葉を紡げなくなってしまった。
「……えっと」
「莎楼は優しいから、ボクのことを考えて言葉を選んでくれてるんだよね」
「いや、そんなことはありませんよ」
「そんなことあるの!」
断言されてしまった。先輩にしては珍しく、強めに。
「ボクが傷ついたり気にしたりしないように、莎楼はいつも考えてくれてるでしょ。ボクね、莎楼のそういうところも大好き」
「先輩……」
「大丈夫だよ。ボクは大丈夫だから、ね?」
そんなに弱い女だと思う? なんて言って、ウィンクする先輩。
簡単に傷が付かないような宝石でも、丁重に扱うじゃないですか。って言おうとしたのに、また言葉が口から出なくなってしまった。
「ほらぁ。言葉にならない時はさ、ハグとかチューとかしようよ。雨の日はハグすると落ち着くんでしょ?」
「先輩ぃ」
「よしよし。明日は一緒にがんばろうねぇ」
「うん。頑張る」
先輩に優しく包み込まれながら、雨も悪くないかも、なんて思ってしまった。
明日は晴れ、というのを信じて、雨の降る今日は甘えちゃおう。
次回、先輩のおばあちゃんの誕生日。




