111日目:ハウス・オブ・ザ・デート(後編)
「好き」って、なんですか。
「そこにバナナの皮を置きます!?」
無意味という意味を内包しないデッドヒートなレースが、画面上で繰り広げられている。
通常はハズレアイテムに近いバナナの皮を、的確に配置することで一気に差を広げる先輩。
わかってはいたけど、先輩は未経験のゲームですらすぐに慣れる。前にネトゲをプレイした時も、特に苦労しているようには見えなかったし。
「あはぁ。勝負の世界は、いつだって残酷だよねぇ」
「それと同時に、時の運でもありますよ」
「えっ!?」
私の操作する緑の恐竜が、車で景気よくアイテムブロックを割る。
そして出たアイテムは、合計で3回ブーストできるトマトだった。
最下位だけがゲットできるロケットを除けば、単純な加速力はトップクラス。
「どうですか先輩、後ろから追い上げられる気分は」
「いいねぇ。でも、君の風避けになってあげるつもりもないけどねぇ!」
トマトを2個消費して、先輩の操作するオバケの背後にピッタリとくっ付いた。それとほぼ同時に、先輩は大きく右に曲がった。
確かに、風避けになり続けるのは良くない。けど、コースアウト寸前までハンドルを切るのはもっと良くないハズ。
「……まさか」
そうだ。先輩がそんな無意味なことをするわけがない。
どうせやるなら、白熱した試合に決まっている。
「そう、そのまさかだよぉ」
「隠しコース……!」
先輩の車は、一気に真下のコースまで落下していく。今更、そっち側から追うことはできない。
そのまま、先輩が1位でゴールしたことが告げられた。
「初めてプレイしたのに、どうしてわかったんですか?」
「右側の柵の、一部分だけ色が薄かったから。可能性に賭けてみるもんだねぇ」
「グッドです、先輩。完敗です」
「あはぁ。それじゃあ、約束通り」
「なんですか、その手。その指……えっ、いやそもそも約束とかしてませんよね?」
負けた方が相手の言うことを聞く、みたいなルールは無かったよ。
ルールが無かったとしても、先輩がしたいって言うなら拒む理由は無いけど。
「……チューはしてもいい?」
「勿論。そこはレースよろしく、アクセルをベタ踏みしても良いところですよ」
「エンストしないように気をつけるねぇ」
お互い静かにコントローラーを置いて、唇を重ねる。
テレビの画面は、まだ1位の先輩を称えている。
「んっ……莎楼……」
「んむっ、ふっ、ん……」
キスしながら名前を呼ぶなんて、随分とされてなかった気がする。
何度目のキスかわからないけど、手に汗握るレースとは比べものにならないくらいドキドキしている。
「ねぇ莎楼」
「んっ、えっ、はい」
「好き」
「私も」
「大好き」
「私も大好きです」
「えへへ」
自然な、ごく普通の愛の言葉だったと思う。
不穏な空気も気配も孕んでいない、波乱が起こるとも思えない。そんな普通の、いつも通りの好きだったと思う。
だから、どうしたんですか急にって言葉は口から出ることは無くて。ただ微笑む先輩の顔を見て、美しいという感想だけ抱いた。
「先輩」
「んぅ?」
「先輩にとって、好きってどういう言葉ですか」
そんなことを訊くつもりじゃなかったのに、何故か訊いてしまった。
逆に自分が訊かれたら、絶対に困るような質問だ。
「んー。君は好きって言われるのイヤ?」
「いえ、最高に嬉しいですけど」
「おいしぃものを食べたら、おいしぃって言うよね?」
「1人の時は言わない可能性もありますが、まぁ言いますね」
「ボクにとっての好きって言葉は、そういうものかな」
「おぉ……なるほど」
相手が喜ぶことを、感想は正直に。
そう言われてみるとそうか、そうなのかも。
でも私は、衝動的に好きって言っている気がする。反省。
「納得したぁ?」
「しました。青天の霹靂というか、画竜点睛というか目から鱗と言いますか……」
「そ、そんなに?」
「はい」
「じゃあ、莎楼にとって好きってどういう言葉なの?」
「事実の再確認と、祈り……ですかね」
「祈り?」
しまった。ちょっと意味がわからないことを言ってしまった。
「えっとですね、極論を言うとですね」
「うん」
「私が好きな人が、私のことを好きじゃなくても好きなんですよ」
「でも、ボクは君のことが大好きだよ?」
「1回振られてるんですよ、私」
「うっ、うぐぅ……ごめんねぇ……」
「あっ違うんです、別にダメージを与えたかったわけじゃなくてね」
本当に苦しそうな顔をして、錯覚だとは思うけど一回りくらい縮む先輩。
先輩が私のことを好きでい続けてくれているのは知ってる。いや、こう言うと自意識過剰に思えるし恥ずかしいけど。
「その。その時に、それでも私は先輩が好きだって思って。叶わなくても届かなくても好きなら、それはきっと祈りに似てるかなって……わっ」
歯切れの悪い私に、やわらかくていい匂いのする美少女が抱きついてきた。
そのままゆっくりと押し倒される。ここは寝具ではなく床の上なわけだけど、そんなことを考えている暇は無さそう。
覆いかぶさって私の両手を握ったまま、先輩は動きもしないし言葉も発さない。
大袈裟な心音と、呼吸の音だけが耳に届く。
「せ、先輩……?」
「届いてるよ」
「祈りが、ですか?」
「ううん。だって祈りは、届いてほしくてするものじゃないから」
確かに、手を合わせて天を仰いでも救われるとは限らない。
でも、私にとっての好きは、届かなくても構わないって言ったのに。……いや、その言葉選びは良くなかった。
先輩は神様じゃないんだから、祈りは届くべきだったんだ。
「ご、ごめんなさ」
「なんで謝るのぉ?」
「えっ、と」
「悪いこと、したの?」
「してない、です」
「じゃあ、謝ったらダメぇ」
むぎゅっ、と先輩の凶器が押し付けられる。全身の神経がそこに集中する。
怒ってはいないみたいだけど、どういう感情で私の上に覆いかぶさっているのかはわからない。
「私、言葉選びを間違えました」
「そんなことないと思うけど」
無操作時間が続いたので、テレビ画面は真っ暗になった。
まるで、今の自分の目の前みたいに。
「……祈らなくたって、ちゃんと君の気持ちは届いてるよ」
「うん。ごめ……えっと、先輩が私のことを好きなのはわかっていて、だからつまりですね」
「不安にさせたボクが悪いんだから、莎楼は謝らないで……」
……泣いてる?
もしかして、さっきの「1回振られてる」って台詞で傷つけてしまったのだろうか。
ちゃんと解決して、付き合ってはいないけど両想いってところに着地したハズなのに。
「先輩も悪くないよ?」
「面倒な女でごめんねぇ……」
「悪いことしてないんだから、謝るの禁止です。前にも言いましたよね」
「うん。あのね、もう少しで進路が決まりそうなんだぁ。だからね、えっと」
「では、早く進路が決まるように祈っておきます」
布団のように私を包み込む先輩を抱きしめ、向かい合う形になるまで転がる。
先輩が選ぶ道の風避けになら、いくらでもなって良い。
一緒にゴールできなくても、何処かでコースアウトしたとしても。それでも構わない。
なんて、そんなことを言ったら怒られそうだから言わないけど。それこそ、心の中で祈る程度にしておこう。
今回の更新で200話(実質199話)になりました!いつもありがとうございます。次回、自分で言うのもアレですが急展開を迎える予定です。乞うご期待!




