2日目:チューと現実(前編)
このサブタイトル思いついた時、天才かと思いました。チュートリアル、チューと現実。
先輩に唇を奪われ、ログインボーナスをあげると約束してしまった私は、大袈裟に心臓を高鳴らせながら登校した。
先輩とは家の方向が真逆だから、朝会うとしたら学校の中になる。同じ電車に乗ってはいるはずだが、混んでいるので会えない。
ホームルームが始まるまでの時間、学年の違う私たちが落ち着いて話せる場所は少ない。
下駄箱から上履きを取り出し、踵を踏まないように履き、数回つま先を蹴って馴染ませる。何度も繰り返してきたルーティーンだが、今日からはもう一つ、ルーティーンが増える。
「おはよぉ」
「おはようございます、先輩」
狙い済ましたように、玄関で先輩と鉢合わせる。電車を降りてから、私に気がついていたのだろうか。
「昨日はよく眠れたかな」
「おかげさまで、全く眠れませんでした。朝の5時までゲーム三昧でしたよ」
「ボクがワクワクして眠れないのはわかるけど、どうして君が眠れなかったのかなぁ」
「眠れない夜、先輩のせいですよ」
「……あ、そーいうことかぁ」
昔のアニメのオープニングテーマが脳内で流れる。相手の性別を問わず、あれがファーストキスだった。
先輩がどうだったのかはわからないけれど、それを訊く勇気は出なかった。相手も初めてであってほしい、というのは自分勝手なわがままだ。
「ところで先輩。昨日の夜にメールで言っていた、『ふたりきりになれる部屋』というのは何処ですか」
「第二理科準備室だよぉ」
第二理科準備室。
何故か我が校には、理科準備室が2つある。第一理科準備室は授業でよく使うものが所狭しと並べられていて、理科の先生がよくそこで過ごしている。
第二理科準備室は、滅多に使用しない道具や、もう数年は使われていないような、何に使うのかもわからない道具がまばらに置いてある。
当然、鍵はかかっているのだが、先輩はどうやって入るつもりなのだろう。
「実はねぇ、理科の先生と仲良くなって、第二理科準備室の鍵を貰ったんだよ」
「そんなことあるんですか……」
「もう何年も使ってないみたいだし、ボクが卒業する時に返すって約束でね」
「それでふたりきりになれる、と」
「ボクが鍵を開けて、そして閉めれば。先生にも開けられない空間の出来上がりってわけだよぉ」
簡単に言っているけど、すごい事だ。
学園モノでお約束の、なんとか手に入れた部室とか、何故か入れる屋上とか、そういうものは残念ながら無いけれど、先輩は既に第二理科準備室という空間を手に入れていたというわけだ。
話しながら階段を2回上がると、すぐに第二理科準備室に着いた。理科室の並びにあるので、比較的わかりやすい位置にはある。それでいて、理科室に用が無い限りは、絶対に気にならない角度に位置している。
先輩は、貰ったという鍵を差し込み、扉を開けた。
「さて。それじゃあ今日のログインボーナス、お願いしようかなぁ」
「その前に。本当は昨日しておくべきだったことを忘れていませんか」
「なんだろ……口にキスしてごめんねって謝罪?」
「それではありません。ログインボーナスの前にゲームには付き物のアレですよ」
「チュートリアルかな」
「そうです。あのリセマラの時にストレスが溜まるチュートリアルです。まずはそこからクリアしていかないと」
「まず何をすればいいのぉ?」
「土日などの休日はログボがどうなるのか。仮に欠席したとして、ログボはまた初めからになるのか。その確認ですかね」
別に私たちは付き合っているわけではない。
会わない日は普通にあるだろうし、なんらかの要因で、登校していても会わないということもあると思う。
風邪や病気で休んだら、とてもじゃないがキスをしている場合ではないわけだし、どんな理由であれ、ゲームのようにログインボーナスは途切れる、ということになるだろうか。
「そうだねぇ、①学校に登校した場合はログイン扱い。②登校日ではない、もしくは登校がなんらかの要因で出来ない場合はログボは途切れない。これでどうかなぁ」
「ふむ。確かに病欠は仕方がないですもんね」
「ボクに有利すぎかなぁ」
「いえ、それで構いませんよ」
先輩は少し罪悪感があるのか、申し訳なさそうな表情を浮かべる。建前ではなく、本音で私は構わないと思っている。
女性である先輩を恋愛対象にはできないけど、先輩にキスしてほしいと頼まれたことも、いきなり唇を奪われたことにも嫌悪感は無かった。
むしろ、イケメンに同じことをされる方が不信感がある。後で壺か絵画でも買わされそうだ。
「チュートリアルも終わったし、お願いしまぁす」
「なんで目をつぶっているんですか。しませんよ口には」
先輩が目をつぶっている間に、昨日買ったリップクリームを塗り、馴染ませる。ほっぺにするだけなのだが、なんとなくマナーかな、と思った。
優しくほっぺにキスすると、先輩の頬の柔らかさと、程よい温かさに、思わず照れてしまった。未だに目を閉じているから、長い睫毛が視界に入った。なんだかいい匂いもする。
一瞬よりも長い、限りなく永遠に近い数秒が経過した。それでも私は、先輩の頬から唇を離せない。
「ふふふ。なんだか長いねぇ」
「はっ! お、終わりましたよ」
「ありがとぉ」
うっすら目を細めた、優しい微笑みを向けてくる。
ここが第二理科準備室だと忘れてしまう程の、まるで花畑か何かに居るかのような錯覚を覚えた。可愛すぎる。
全く思ってもいない癖に、友人を可愛いと紹介する悪習とは違う。本気で可愛い。私の貧困な語彙では語り尽くせない。ちょっと今夜、チャットで先輩の可愛さについて小一時間は語りたい。
「これで、チュートリアルと、ログインボーナス2日目は終わりですね」
「昨日のやつもカウントされてるんだねぇ」
「あの日も放課後でしたし、丁度いいかと」
「そうだねぇ。それじゃ、そろそろお互いの教室に行こうかぁ」
「そうですね」
先輩が鍵を開け、扉に手をかける。
ガッ、と立て付けが悪いことを窺わせる音が響く。入る時はなんともなかったのだが、長年使っていなかったからだろうか。そのまま先輩は力を込めるが、全く開かない。
「……先輩?」
「えへへ……開かないや」
可愛く笑っても、扉には通じない。
安易な同人誌の導入じゃないんだから、こんな簡単に閉じ込められる展開になるとは誰も思っていないだろう。
全く思っていない展開になったんですけど、どうするんですかねこれ。