111日目:ハウス・オブ・ザ・デート(前編)
食べ歩きの次の日はおうちデート。
朝、目が覚めたら隣で先輩が眠っている。
それは美術館に絵画が飾られているように、本屋さんに本があるように、或いは水族館に魚が居るように。
それほどまでに自然で当然のことのように、静かに寝息を立てる先輩が、私の隣に居る。
「まぁ、先輩が居ないことの方が多いんだけどね……」
そんな寝言のようなことを呟きつつ、ベッドから起き上がる。先輩のことを起こさないように、静かにゆっくりと。
全身がそれとなく疲れている。昨日したことを思えば、普段運動をしない人が、翌日に筋肉痛に苛まれるのに近いと思う。
カーテンを開けるか悩む私が、姿見に映った。
幸い、赤い痕は服の下で息を潜めている。先輩のことだから、計算して付けてると思うけど。
今日はおうちデートだし、早起きする必要は無い。やっぱり、別に今カーテンを開けなくても良いかな。
「……くぐるぅ」
「あ、先輩。起こしちゃいましたか」
「いや……ふつうに起きた……」
「本当に起きてます?」
「ゅむんに……ぁむ」
「なんて?」
目はほとんど開いていないし、歴代最高レベルで呂律が回っていない。可愛い。
日本語に聞こえる猫語みたいだ。
「今日はどこにも出かけないんだもんね……?」
「そのつもりですが」
最初の最初は2日連続で食べ歩きする予定だったけど、それは変更になったから。
「じゃあ、これはいらないねぇ」
そう言って、先輩はスマホの電源を切った。そして、自分の鞄の中に放り込んだ。ケータイは投げるものじゃないよ。
「店長とかセンパイに、今日は邪魔させないんだからっ」
「ふふっ、なるほど」
「あっ、でもタイラちゃんを預かったことは、邪魔されたって認識とはちょっと違うんだけどねぇ?」
「わかりますよ。先輩の言いたいこと」
「あはぁ。それは良かったぁ」
だって、先輩は優しい人だから。そういうところを好きになったんだから。
カーテンを開けて、先輩と一緒に部屋を出る。
時間的には、もうお母さんは仕事に行っているハズ。
「お義母さん、日曜日も仕事なんだねぇ」
「スーパーで働いてますから。日曜日はお客さんも多いし、大変なんだと思いますよ」
「なるほどねぇ」
階段を下りて、リビングに入る。やはり、お母さんの姿は無かった。
炊飯器を見てみたけど、保温になっていないのでお米は不在らしい。
続いて、いつものパン置き場を確認する。
「あ、スティックパンがありますよ。これにしましょう」
「いいねぇ、オシャレパンだねぇ」
「オシャレパン……?」
調理パンとか惣菜パンは聞いたことがあるけど、オシャレパンってなんだ。このチョコチップの入ったスティックパンが、お洒落なパンなのか。
「え、食パンじゃない味付きのパンって、オシャレパンって言わない?」
「言わないし初耳です」
「えー、ボクだけなのかなぁ」
「ふっ、ふふっ……オシャレパンって……!」
「あー! バカにしてるでしょお!」
「してませんよ」
「だって笑ったじゃん!」
「可愛いなぁって思っただけですよ」
「それをバカにしてるって言うんじゃない……?」
「言わないよ。ほら、食べましょ」
「はぁい」
腑に落ちていない表情の先輩に座ってもらい、テーブルの上にパンを置く。
お湯を沸かして、インスタントコーヒーを淹れよう。
「先輩って、パン派ですか」
「別になんの派でもないかなぁ。ご飯もパンも麺も好きだよ」
「朝はどっちが良いとかも無いですか?」
「ないねぇ。何が出てきても嬉しいよぉ」
そう言われてみると、先輩はなんでも美味しそうに食べる。学校でのお昼はパン率が高いけど、私の作ったお弁当も喜んでくれてたし。
「更に言うと、君が作ってくれるならなんでも好きぃ」
「パンは焼いたことないですけどね。今度、挑戦してみます」
「いいねぇ。ボクはメロンパンかカレーパンが食べたいなぁ」
「焼いたことが無い人の1回目でそれはハードル高すぎでは?」
昔、お母さんが作ってくれた素朴なパンをイメージしていたから、パン屋さんみたいなラインナップの提案に戸惑ってしまった。
でも、袋からパンを取り出して笑顔で食べる先輩を見ると、私も最高のパンを焼く使命を果たさないといけない気がしてきた。
「美味しいですね、このオシャレパン」
「バカにしてるぅ!」
「してないよ」
神に誓って言える。バカになんてしてない、ただ可愛いからつい言っちゃうだけ。
でも、本当に嫌がっているかもしれないから、そろそろやめておこう。
「そうそう、この後は何します?」
「えっ、昨日もしたのにいいのぉ!?」
「ナニしますとは言ってませんよ」
流石に、2日連続ではできない。
心も身体も耐えられないと思う。
「まぁ、それは冗談でぇ」
「目がマジでしたが……」
「莎楼はさ、一緒に遊べるゲームとか持ってる?」
突然、話題が変わった。先輩なりの照れ隠しなのかもしれない。
「あれですか、レースとかテニスとか大乱戦とかするやつですか」
「そうそう、そんな感じのやつぅ」
「持ってないですね。家に友だちを呼んでゲームする、みたいな経験が無いので」
「ボクもないけど。そっかぁ、一緒にゲームしてみたかったんだけどなぁ」
「買ってきます」
「えっ、いやいやそれは悪いよぉ」
「私もしてみたいし。ゲーム機はあるので、ソフトを買うだけで済みますし」
「これから買いに行くのぉ?」
「いえ、おうちデートなので外には出ません。ソフトをDLします」
インターネット環境さえ整っていれば、実物こそ手元に残らないけど、簡単にゲームソフトがDLできる。
良い時代になったな、と年寄りみたいなことを思いつつ、ごちそうさまをして立ち上がる。
「すごいねぇ」
先輩は本当にすごいと思っている顔をしている。可愛い。
先輩も立ち上がったので、2人で一緒に部屋に戻る。空になったパンの袋を捨てるのも、コップを洗うのも後回し。
階段を上がって、部屋に戻る。部屋の中は不思議と、先輩の匂いがしている。アロマも負けるほどいい匂いなんだね。
ワクワク顔の先輩を横目に、本当の意味で埃を被っているゲーム機とテレビを起動する。
「良かった、壊れてはいないみたいです」
「壊れてる可能性があったのぉ?」
「はい。使わないと壊れるんですよ、電子機器って」
まぁ、使い続けてもいつかは壊れるんだけど。
昔はネトゲもこっちでやっていたけど、PCでやるようになってからはすっかり起動することも無くなっていた。
ゲームソフトをDLする画面を開く。いつ入れたのかは覚えていないけど、5000円が入っていた。
これだけあれば、レースかテニスか大乱戦のどれかができる。
「どれにします?」
「んー、いっぱいあって悩むねぇ」
「先輩のやりたいやつで良いよ」
「じゃあ、これ!」
先輩が指さしたのは、今までの人生で遊んだことがないレースゲームだった。
次回、ゲームとかします。




