110日目:食べ歩きデート(モーニング編)
「君は何店舗くらい行ける?」
「2、3店舗くらいですかね」
土曜日、午前9時半。待ちに待ったデートの日。
今日の先輩は、やや黄色っぽい白地に薄いグレーの線が入ったチェックのシャツに、濃いブラウンのロングスカート、頭には狐の尻尾のような色のベレー帽を被っている。
たすき掛けしているバッグからは、私の持っているものと同じ赤い本が少しはみ出ている。
なんと今日の先輩は、髪を三つ編みにしている。激レアだ、SSRと言っても過言ではない。
「あはぁ。そんなに行けるなら大丈夫だねぇ」
「先輩と遊ぶようになってから、胃袋が大きくなったので」
「いつも付き合ってくれてありがとねぇ」
「いえ。私も食べるの好きですし」
戸毬で待ち合わせたということは、まずはVentiだろうか。
「それじゃあ早速、Ventiにモーニングを食べに行こ!」
「はい」
当たってた。朝食を抜いて来てねと言われていたので、予想を外す方が難しい。
手を繋いで駅を出る。今日も快晴、雲はほとんど無い。
最近あまり雨が降っていないけど、大丈夫だろうか。まとめて降り続ける日が来ると個人的に困る。
「そういえば、あの後輩がいい子で良かったねぇ」
「そうですね。弱みを握るタイプの人だったら大変でしたね」
この前、電話で先輩と話したことを思い出す。
それこそ、例えば私と同じクラスの……名前がわからないけど、五十右さんがシバケンと呼んでいた男子に見られでもしたら、さぞ面倒なことになっていただろう。
更に辿ると、ココさんだって味方だから良かったようなもので、敵に回していたら大変なことになっていたハズ。いや、ただ面白がっているだけで味方ではないのかもしれないけど。
これまではただ運が良かっただけ。気を引き締めなきゃ。
歩き始めて数分が経ったところで、Ventiに到着した。
「いらっしゃいませ……あ、茶戸さんとカサさん……どうぞ、空いているお席へ…………」
「こ、混んでますね」
土曜日とはいえ、午前中にこんなに混んでいるのは初めて見た。カウンター席も奥の席もほとんど埋まっている。
喫茶店だから、混雑していても店内は静かだ。若いお客さんが増えたけど、マナーの良い人ばかりで助かる。
「あれ、食べ歩きマップでコメントしてた子じゃない?」
「私、あの子がストリートピアノを弾いてるところを見たことあるよ」
そんな静かな店内が、先輩の入店をきっかけに少しだけざわつき始めた。
大丈夫かな。こうやって目立つのは先輩は好きじゃないと思うし、今日はモーニングを諦めるべきかもしれない。
「クグルちゃんと先輩、奥の席にどうぞー」
「ありがとうございます、ココさん」
「ココは土曜も働いてるんだねぇ」
「クグルちゃんが入らない日に入ってますのでー」
「今日は特に忙しいんじゃないですか?」
「うん。食べ歩きマップの影響と、笹がVentiから出てくるのを見たって話が広がったみたいでさー。もう大変だよ」
あの日、他にお客さんは居なかった。にも関わらず、店を出るところを誰かが目撃しただけでこんなことになるのか。
どのくらい有名な読者モデルなのかは知らないけど、もしかして若者の間では知らぬ者なしみたいな人なのかな。
ココさんが案内してくれた席に座り、モーニングを2人分注文した。
組み合わせをある程度決められるシステムで、私はサンドイッチと珈琲、先輩は日替わりのトーストと珈琲のセット。
そして、モーニングには自動的にミニアップルパイが付くらしい。朝からなんて贅沢な内容なのだろう。素晴らしい。
「それにしても、まさか食べ歩きマップにコメントしただけで、あんなにざわつかれるとは思わなかったよぉ」
「そうですね。まぁ写真まで載ってましたし、仕方ないですよ」
「仕方ない?」
その短い返事は、何気ない自分の発言がとんでもない失言であったと気づくのには、十分すぎる長さだった。
「ごっ、ごめんなさい」
「えっ、なんで謝るのぉ?」
「迂闊な発言でした……」
「な、なんでぇ? ボク、何も気になってないよ?」
おろおろする先輩と、そんな先輩と目を合わせられず俯く私。ひどい構図だ。
美人である先輩の写真が載っていたから、それで注目されるのは仕方ない。そんな発言は、先輩のことを見ているとは言えない。
「……莎楼?」
「はい……」
「顔を上げたらぁ、可愛いボクが見れるよ? インタビュー写真なんかより、実物の方が可愛いんだよ?」
「先輩……」
先輩が、自分のことを可愛いって言うのを初めて見た。
偉いとかいい子だとかは言っていたけど、可愛いってことを自認することは決して無かった。
私がどうして落ち込んでいるのか、先輩はわかったのか。わかったから、自分で言うことで私の失言を上書きしてくれたのか。
なんて優しいんだろう。私には勿体ない。
「あっ、やっと顔上げたぁ」
「ありがとうございます、先輩」
「ボクは気にしてないのに、落ち込んだらメッ!」
「ご、ごめんなさ」
「直してほしいところがあったら、その場で指摘してほしいんだよね? はい、だからこれでおしまい!」
「……先輩ぃ……好きです」
「ボクも大好きだよぉ」
私に対して怒ったことも無くて、直してほしいところも無いって言っていた先輩が、私のために怒ってくれた。
回収したくない伏線だと思ってたけど、怒られるのって悪いことじゃないかも。
いや、変な意味じゃなくて。茶戸がマゾなんて笑えないし。
「お待たせしましたー、モーニングですよー」
「ありがとうございます」
「ありがとぉ」
私のサンドイッチはたまごサンドとレタスハムサンド。先輩のトーストは、まさかのピザトーストだった。
先輩は平気だろうけど、想定していたモーニングと違う。マスター、案外攻めの姿勢なんだな。
「それじゃ、いただきまぁす」
「いただきます」
珈琲を一口飲んでから、たまごサンドに齧り付く。うん、シンプルだけど完成された一品にして逸品。甘くてふわふわで、バターの香りが食欲を加速させる。
先輩は、ピザトーストのチーズが噛み切れなくてうにょーんってなってる。可愛すぎる。今度、お餅とか食べさせたい。
「初めてピザトーストを食べたけど、ソースも自家製っぽくておいしぃ! たっぷりのチーズと輪切りのピーマンが合うねぇ」
「サンドイッチも美味しいですよ。アップルパイもいつも通り最高です」
「やっぱり、モーニングをVentiにして正解だったよぉ」
美味しいものを食べて笑顔を浮かべる先輩を見ると、正解だったことが強く伝わってくる。
普段の朝食と比較すると、食べすぎた気もするけど気にしない。こんなにも喜んでいる先輩を朝から見れたのだから、何も問題は無い。
「ランチまでの時間は、何をするんですか?」
「何したい?」
「し、質問に質問で返された……。何って言われても困るんですけど」
「キスしたい?」
「……その質問はズルいよ。そんなの、答えは決まってるじゃん」
「あはぁ。じゃ、お会計しちゃおっか」
「そうですね」
珈琲が残っていないことを確認して、席を立つ。
店内を埋めつくしていたお客さんたちは、もうほとんど残っていない。珈琲一杯で何時間も粘る人も居るけど、朝は流石に居ないか。
「ココさん、お会計お願いします」
「はーい。2人とも食べ歩きマップ持ってるから、200円引きになりまーす」
「ありがとうございます。バイト、頑張ってください」
「えーありがとー! クグルちゃんはデート、楽しんでねー」
「はい。では」
外に出ると、小雨が降り始めたところだった。
雨の伏線までは回収してほしくなかった。
「予報では降るって言ってなかったし、通り雨かもねぇ」
「では、ランチまで雨宿りでもしましょうか」
「あとチューするからね?」
「……雨と、人目を遮る場所を探しましょうか」
「そんなところ、あるかなぁ?」
「すぐ近くにあるじゃないですか、例えばカラオケとか」
「そのアイディア、採用!」
「ありがとうございます」
本来は歌うことを目的とする場所を、キスするための場所として候補に上げるなんて悪い子だ。
なんて、そんなことじゃ先輩は怒らないね。
メッ!




